火曜日, 5月 28, 2019

美味しい貝をいただく

 ドナルド・トランプが日本に来て何を食べているかよく知らないが、今の時期(4月〜6月)日本は貝の季節である。しかし、トランプのようにコカコーラとハンバーガーやステーキを年がら年中食べるような輩には、貝の美味しさが分かるはずもないだろうが。

 

今の時期、貝は身が最もふっくらしている。それゆえに、貝の旬と言われるそうだ。あさり、つぶ貝、赤貝、ホッキ貝などが代表的なものだろう。ということで、先週地元の日本料理店『晴庵』にあらかじめ「貝を食べたい」とリクエストしておいて訪問した。

で、お皿にのって登場してきたのが写真の通り。サザエ、とり貝、ホタテ、アワビ、岩牡蠣など。なかでも我々を唸らせたのが小皿に盛った「大星」。大星とは北海道で獲れるアオヤギ(バカ貝)の貝柱のことをいうようで、その中でも特大のものを大星と呼ぶそうだ。

これをまずお刺身で食べてみるが、何とも言えないまろやかな甘みで、これまで食べてきた貝柱は一体なんだったんだと思うぐらいの美味しさ。変な書き方をするが、この貝柱が一つの貝のようで、凝縮された旨味と潮の香りがほのかに発散していて超絶品。また、この後に出していただいたかき揚げも塩で食べると酒が進んでしまう危険なシロモノのであった。w いや〜、我儘は言ってみるものだ、元い、リクエストはしてみるものである。

いずれにしろ、トランプはこんな美味しいものを食べることなく、日本を去っていった。(笑)

金曜日, 5月 24, 2019

ノーモア長州藩、ノーモア山口県出身の総理大臣

N響公演に行くと誰もがもらえるのが『フィルハーモニー』というプログラム。そこで連載されている片山杜秀の「N響百年史」が興味深い。5月号では鹿鳴館と音楽教育について書かれている。その中で、鹿鳴館建設を主導したのは1879年に外務卿に就任した井上馨(長州藩)で、前任の寺島宗則(薩摩藩)は文部卿に転任して、文部省で音楽取調掛を創設すると述べられている。
 
井上は鹿鳴館で不平等条約を改正するために駐日外交官を西洋音楽と舞踊でもてなして、日本は西洋諸国と同じレベルの国なんだと小手先の手法を講じた。しかし、この手法は6年しか続かず結局さほど大きな成果を上げたることはできなかった。
 
一方、寺島が尽力した音楽取調掛は西洋音楽を義務教育にいかに取り入れるかを研究かつまた実践する組織で、日本の音楽教育の礎を築いた。そして東京音楽学校、東京藝術大学音楽学部を創設して、多くの音楽家を輩出することになる。
 
で、何が言いたいかといえば、この2人を見比べれば分かるように、長州藩出身者は目先であったり自己利益の為に働いた者が多かったが、薩摩藩出身者は「国家百年の計」ではないが、将来を展望した政策を進めた。
 
長野県が教育県になったのは永山盛輝(薩摩藩)が教育の大切さを説いたからだと言われている。また「鬼県令」「土木県令」と言われた三島通庸(薩摩藩)も米沢・福島間の栗子街道、山形・仙台間の関山街道を作ったことによって山形県の陸路としての流通を確保して、後々の山形経済の礎を築いた。
 
で、今日である。吉田松陰や高杉晋作を崇拝する長州藩の末裔・安倍晋三は明治時代の長州人と同じように目先のことというか自分および身内のことしか考えない男である。彼を見ていると、これまでに長州藩もしくは山口県出身で国家百年の計を考えた政治家はいたのだろうかと思ってしまう。
 
最後に山口県出身の人には申し訳ないが、向こう50年いや100年は長州藩・山口県出身の総理大臣が出ないことを切に願う。

木曜日, 5月 23, 2019

ジムは人間観察(ウォッチング)をするには恰好の場所(その2)

ジムは人間ウォッチングをするのに面白い場所である。前回はランニングマシーン(トレッドミル)におけるテレビ鑑賞について書いたが、今回はティッシュペーパー。
 
ジムのドレッシングルーム(更衣室)にある化粧室(髪を乾かしたり、髭を剃ったりする)にはティッシュペーパーが置かれている。私はこのティシュを鼻を噛むぐらいしか使わないが、多くの男性客は何かしらと使う。その中の半分以上の人は1回に3枚も4枚も摘んで使うのである。無駄使いだといつも思う。
 
こうした人たちは家でも何枚もいっぺんに使うのだろうか。ジムだからタダ同然と思い大量に使うのだろうか。もし家では1枚ずつしか使わないのだったら、なんと姑息というかケツの穴が小さい男たちなのだろう。
 
日本は世界でも類をみないティッシュペーパー天国である。街中を歩いてるだけで広告付きとはいえティッシュペーパーを勝手にくれるのだから。このことに多くの外国人は驚くそうである。こうした慣習があるためなのだろうか、ティッシュペーパーを何枚も使う男たちが増えてしまうのかもしれない。しかし、ティッシュペーパーといえどもパルプという資源である。無造作にいっぺんに何枚も使うことは資源の無駄使いになっている。
 
たかがティッシュペーパー、されどティッシュペーパーである。

月曜日, 5月 20, 2019

東京の雨は雨じゃない


九州で激しい雨が降り続いているが、東京に住む地方出身者、特に九州出身の人が多くいう言葉が「東京の雨は雨じゃない」だ。

私も全国各地に行ったが、地方で遭遇した雨は東京の比ではない。特に九州の雨は半端でない。東京でも年に1度か2度「ゲリラ豪雨」とかいって短い時間に激しい雨が降ったりするが、九州の雨は目に見える激しい雨が長々と続く。

東京は周囲に山もなければ小高い丘もないので、雨が降る条件が少ない。このことは大雨をもたらす要素の一つである線状降水帯もできにくい。ところが、九州は低気圧や前線は頻繁に通る上、土地は起伏に富んでいて線状降水帯もできやすい。

全国の年間降雨量ナンバー3は下記の通り。
・鹿児島県屋久島町 4477mm
・宮崎県えびの市  4393mm
・高知県魚簗瀬   4107mm
(えびの市は鹿児島、熊本に近い県境の町。魚簗瀬はダムがある山間の地域)

ではそれぞれの県庁所在地の降雨量となると下記の通り。
・高知県高知市   2547mm
・宮崎県宮崎市   2508mm
・鹿児島県鹿児島市 2265mm

一方、東京の年間降雨量は1528mm。東京も結構降っているような気もしなくもないが、九州出身者の体感としてはおそらく九州の半分以下、いや3分の1以下ではないだろうか。

なお、雨が少ない県は瀬戸内の岡山県、香川県の両県と、四方を山に囲まれている山梨県、長野県で、長野県の年間降雨量は902mmしかない。 


金曜日, 5月 10, 2019

春風亭一蔵 & 春風亭朝之助@チェロキー寄席

一昨日(8日)は学芸大学「Cherokee LIVE TAVERN」で開かれた春風亭一蔵と春風亭朝之助出演の「チェロキー寄席」を聞いてきた。一蔵と朝之助は共に江戸弁落語を得意とする春風亭一朝の弟子。売れっ子の春風亭一之輔は彼らの兄弟子にあたる。演目は下記の通り。

春風亭一蔵  『浮世床』
春風亭朝之助 『壺算』
 〜 仲入り 〜
春風亭朝之助 『猫と金魚』
春風亭一蔵  『子別れ・下』(子は鎹)

春風亭一蔵のマクラは弟弟子の朝之助の話。彼が腰が低いのは昔やっていたバイトのせいと。『浮世床』は幾つかの小咄を合わせた落語だが、一蔵は髪結い処に描かれている絵をめぐる話の「床屋の看板」と、字が読めない男が本を読むという「変な軍記」を割とサラッと演じる。

春風亭朝之助のマクラは一蔵の答え合わせかのような学生時代のバイト話。『壺算』は二荷入りの甕を買うために口八丁手八丁で詐欺をする噺。朝之助は師匠譲りの一生懸命に演ずるが、ちょっとカラまわり気味な部分も。もう少し抑揚をきかせた方がいいのかもしれない。

仲入りも短く、朝之助が『猫と金魚』を。これはご隠居が猫から金魚を取られないようにするというドタバタ劇。こちらはご隠居が主人公ということもあり、前半の『壺算』に比べて抑揚をきかせながらもじっくりと滑稽に話を進めていく。確実に手中に収めている。

『子別れ』は代表的な人情噺で、登場人物は基本的に大工の熊五郎、別れた髪さん、そして息子の亀の3人。この噺、かなりの大ネタであり、また二つ目の実力が試される演目でもあるのかもしれない。それゆえに春風亭一蔵も大汗をかきながらの大熱演。一蔵が演じる熊五郎は改心した大工をどっしりと演じるが、息子の亀がちと物足りない。もっともっとこまっしゃくれた子供でもよかったのでは。

さて、チェロキー寄席も数えて第38回とか。第1回は2015年10月のはずだから3年半以上になる。しかし、お客さんの数は正直いつも寂しい。そろそろテコ入れをしないといけないのではないだろうか。やはり夜8時開演というのは遅すぎると思う。夜8時開演となると終演は10時前後になってしまう。こうなると年配層や遠方の落語ファンは躊躇してしまう。他の寄席と同じように夜7時開演9時終演にするべきではないだろうか。チェロキーは学芸大学駅東口から徒歩1〜2分と近いのだから。

月曜日, 5月 06, 2019

令和は、昭和を明治化する改元

「平成最後の〜」とか「令和最初の〜」とかいった言葉がひと段落した昨日、年配の女性たちが語っていた言葉が忘れられない。

「テレビは平成最後だ〜の、令和最初だ〜の、うるさいったらありゃしないわ。昭和を明治にするつもりなの。不愉快極まりないわ」「平成なんか30年余しかなかったんだから、元号もそのままにすれば、平成も昭和と同じように60年になるわよ」

目から鱗の発言だった。

昭和1桁生まれは素晴らしい。明治生まれは気骨があると言われてきたが、昭和1桁生まれはそれ以上に気骨があるかもしれない。彼女らは戦争を体験している上、戦中戦後のひもじい思いもしている。そんなおばあさんたちにとって、今回の改元騒ぎは甘っちょろくてならないのだろう。

元号が変わることで愚かな連中は「時代が変わる」とはしゃぐが、年配の女性がいうようなある種の時代差別を生む要因にもなりそうだ。また、元号が変わらなければ平成も昭和と同じように60年ぐらいになり、大正や平成のような短期年号で済むことはない。

昭和1桁生まれの気骨さを尊敬したい。

土曜日, 5月 04, 2019

二黄卵と無黄卵


一昨日地元学芸大学の晴庵で飲食をしたのだが、締めに卵かけご飯を頼んだら、黄身が二つの卵がでてきた。「これはラッキーですね」と言われたので、黄身が二つの「二黄卵」のことについてちょっと調べてみた。

産卵を始めて間もない若鶏は、排卵のリズムがまだ整っていないようで、その時に連続して排卵したり、同時に二つの卵胞を排出したりして、一つの卵白が二つの卵黄を包み「二黄卵」ができるとのこと。ふ〜ん。

一方、私はまだ出会ったことがないが「無黄卵」という黄身が入っていない卵もあるそうだ。これは卵を作る時にいったん排卵された卵黄が逆戻りしたり、組織片などが勘違いして卵白を包み込んだりするとできるそうだ。こちらもも若鶏が産む卵に見られる特徴の一つとのこと。

どちらの卵も食べることにはまったく問題ないらしい。「二黄卵」はラッキーということで誰もが喜ぶようだが、「無黄卵」はやはり不気味なのでお店などではそういう卵が出てしまった時は交換するようだ。そして、ゆで卵で黄身がなかったらガッカリでもある。

昨今は卵を出荷する際は事前に異常卵検査装置という光を通す検卵を行い、血卵、みだれ卵、腐敗卵、無黄卵などを取り除いている。それゆえに、以前に比べて無黄卵が出回ることは少なくなったとか。それでも光を通しにくい赤玉などは見つけにくいらしい。

1羽の若鶏から「二黄卵」を産む確率は1〜2%。加えて検卵ではじかれることも多くなったので「二黄卵」は希少価値として喜ばれるが、やはり「無黄卵」は縁起が悪いということで喜ばれない。

最近「二黄卵」や「無黄卵」と出会ったことありますか。

木曜日, 5月 02, 2019

安倍晋三はこの言葉を話すことができるだろうか

安倍晋三は新天皇の言葉に則した下記の言葉を語ることができるだろうか。

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日本国憲法及び内閣法・国会法の定めるところにより、ここに内閣総理大臣を拝命いたしました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば、太平洋戦争終戦以来長きにわたり、歴代首相が世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心を自身の姿で示しつつ、一つ一つの務めに真摯に取り組んできました。歴代首相が示した行政府の長としての姿勢に心からの敬意と感謝をすると共に内閣総理大臣の任務をまっとういたします。

ここに、内閣総理大臣を継承するに当たり、歴代首相のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代皇室のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民の幸せを願う責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和のために努力します。

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日本語も英語も不自由な安倍晋三にはこの言葉を発することは無理だろうなあ・・・。