木曜日, 8月 29, 2019

アイスクリームやアイスキャンディーをほとんど食べない夏

先日も書いたが、昨年(2018年)の夏は梅雨明けが6月29日と史上もっと早く、7月23日に熊谷で観測史上最高の41.1度を記録した。猛暑だった。そのために、アイスクリームやアスイキャンディーを食べる機会が多く、私も遅まきながら「ガリガリ君」デビューをしてしまった。
 
ところが、今年は梅雨明けが7月29日と昨年より1ヶ月も遅く、加えて東京での猛暑日(最高気温が35度以上)も8月に入ってからで、それも1日から18日までの間に10回を記録した。これは昨年の12回とさほど変わらないが、真夏日の数が今年は今日を含めて40日と少ない。昨年は68日もあったのだが、これから仮に真夏日が15日あったとしても55日にしかならず、昨年に比べて10日以上も少ないことになりそうである。
 
こうなると、心配になってくると夏場商品の売り上げである。「ガリガリ君」やビールの売り上げはどうなのだろうか。かき氷屋の売れ行きはどうなのだろうか。保冷剤や気化熱を利用した冷んやりグッズの売れ行きはどうなのだろうか。またプールや海の家はどうだったのだろうか・・・、と心配になってくる。
 
まだ夏は終わったという段階ではないが、今年の夏は昨年に比べてとにかく過ごしやすい。しかし、雨が多いこともあり、人々の外出の機会も減っている。観光地、行楽地の景気はどうだったのだろうか、また飲み屋街の景気もどうなのだろうか、とこれまた心配してしまう。
 
今夏、私はガリガリ君を買うことはなかった。アイスクリームもほとんど食べていない。海の家やプールが繁盛している様には思えない。観光地も行楽地も飲み屋街も景気がいい様には思えない。こんな景気後退を予感させるときなのに、消費税を上げるという。安倍政権は愚かというか、時節を見る目がまったくない。

水曜日, 8月 28, 2019

公立の小・中学校は土曜を隔週休みにすべきだ

昨日の午後、目黒区役所に介護保険に関する申請に行ったのだが、その時、区役所前の中目黒小学校からランドセルを背負った小学生が出てくるのを目撃。そういえが、朝方も近くの中学生が学校へ制服を着て登校していった。まだ8月である。で疑問に思ったので、ちょっと検索してみたところ、なんと目黒区の小中学校の夏休みは8月25日(日)までで、26日(月)から第2学期が始まっているのである。

そこで、またググってみると、目黒区以外にも新宿区、江東区、江戸川区が今週から学校が始まっているのである。「暑いのに大変だなあ」と思っていたら、これらの区の学校は教室のエアコン設置率が100%だからというのが理由で、8月から学校が始まっているのだそうだ。

ただ、他市町村でもエアコン設置率が100%というところもあるはずなので、今後は学校の夏休みはこれまでの7月21日から8月末日までという固定観念がなくなるのではないだろうか。

そもそも昔は小・中学校は週休2日制でなかったのだから、もっと勉強していたはずである。ところが週休2日制になってからは、学習塾だけが繁盛するようになり、貧富の差によって学力の差にも広がってしまった。

エアコンなどのインフラ設備も充実してきたのだから、そろそろ学校週休2日制も見直すべきでないだろうか。学校の教師は大変かもしれないが、せめて土曜は隔週休みにして小・中学生は学校へ登校した方がいいと思う。そうでないと、裕福な子が多い私学校との格差は広がってしまう。
  
金持ちの頭デッカチの連中ばかりがのさばってしまう社会はゴメンだ。

火曜日, 8月 27, 2019

1971年9月28日、秩父宮ラグビー場で「伝説の試合」が行われた

筋金入りではないが針金入りのラグビーファンです。高校に入学したらラグビー部に入るつもりでいましたが、私の行った高校にはラグビー部がありませんでした・・・。
 
そんなラグビー好きの高校生だった私は、名著「栄光へのトライ」(馬場信浩・著)にも書かれている「伝説の試合」、1971年9月28日(私は高校2年生)秩父宮ラグビー場で行われたイングランド代表 vs 日本代表戦を観ています。
 
当時の日本代表には坂田好弘(近鉄)伊藤忠幸(リコー)という快速の両ウイングが揃い、キッカーは後に「泣き虫先生」として有名になった山口良治(京都府教育委員会)が務めていて、世界の強豪国には足元にも及ばないまでも、それなりの対戦成績を残していた。
 
そんな日本代表が4日前に花園ラグビー場で行われた試合で大善戦(日本は19 - 27で敗れた)だったこともあり、この日の秩父宮には観客が殺到して、なんとグラウンドにまでお客を入れて試合をすることになった。そして、私はそのグラウンド最前列に座っていた。
 
試合は前半から両チームのディフェンスが素晴らしく、なかなかトライを上げることができなく、結局双方ノートライで、ペナルティゴール1本差で、日本は3 - 6で敗れた。試合後は観客がグラウンド内外で双方の選手を称え、後にラグビー日本代表の「伝説の試合」と語り継がれるようになった。
  
こんな私である。来月から開催されるラグビーワールドカップの試合はもちろん観に行きます。そして、テレビでもできる限り多くの試合を観戦するつもりでいます。針金入りのラグビーファンですから。

火曜日, 8月 20, 2019

三橋美智也が歌う『快傑ハリマオ』の主題歌は最高だ

平日の午後1時から5時ぐらいまでは基本的にテレビを観ない。この時間帯にやっている番組がロクでもないワイドショーばかりということもあるが、ラヂオをつけっぱなしにしたりCDをかけたりして、本を読んだり、昼寝したり、細々なことをしたりしているからでもある。
 
そんな昨日の昼下がり、ラヂオから『快傑ハリマオ』のテーマソングが流れてきて、思わず口づさんでしまった。
 
♪まっかな太陽 燃えている
 果てない南の 大空に
 とどろきわたる 雄叫びは
 正しい者に 味方する
 ハリマオ ハリマオ ぼくらのハリマオ
 
1950年代後半から1960年代前半のテレビは夕方5時から午後7時台にかけては子供向け番組がいっぱい並んでいた。その走りを作ったのは『月光仮面』だと思う。ただ、その『月光仮面』は1958年から1960年までの放送で、その当時家にテレビのなかった私には観た記憶がほとんどない。しかし、1960年に家にテレビが来てからは子供向け番組を夢中になって観た。時代劇の『隠密剣士』『矢車剣之助』『紅孔雀』『琴姫七変化』『白馬童子』などは後に歴史少年となる私にとってはたまらないないものがあった。
 
そして、後に海外少年ならぬ海外青年になる私に影響を与えたのが『快傑ハリマオ』や『少年ケニヤ』『ナショナルキッド』などで、こちらも夕飯そっちのけで観ていた。
 
『快傑ハリマオ』は『月光仮面』などを制作した宣弘社が手がけ、1960年4月から翌1961年6月まで日本テレビで放送された。原作は石森章太郎が「少年マガジン」で連載していた。そのストーリーは東南アジアの独立運動を手助けするハリマオ(= モデルはマレーの虎と呼ばれた谷豊)が、東南アジアを支配するある国の機関やそれに関係する死の商人やスパイ団と戦うという冒険活劇だ。
 
私はなぜかこの『快傑ハリマオ』を夢中になって観た。馬やゾウに乗ったりするハリマオがカッコよく、火山地帯でのドンパチが面白くてならなかった。後にその火山地帯というのが伊豆大島と知ってしまった時は、少し愕然としたものの、シリーズ最後の方ではタイ、香港、アンコールワット(カンボジア)でも撮影を行い、私を海外に目を向けるキッカケにもなっていたのかもしれない。ちなみに、この海外ロケが日本のテレビ史上初だったとか。
 
それにしても、三橋美智也が歌う主題歌は軽やかにして美しい。この時代の少年向けテレビドラマの主題歌は『月光仮面』『少年ジェット』『ナショナルキッド』などいいものがいくつもあるが、私は『快傑ハリマオ』(作詞: 加藤省吾 作曲: 小川寛興)が最高傑作だと思っている。