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「小松帯刀寓居参考地」と書かれた石碑は堀川通から一条戻橋を東に渡って30メートルほど先の右手(南側)にある。正確には石碑の正面に「此向かい 近衛堀川屋敷跡 小松帯刀寓居参考地」と書かれ、右側面には「此付近応仁の乱洛中最初合戦地」、左側面には「藤原道綱母子 源頼光 一条邸跡」と書かれている。そして、石碑の横にある副碑には下記のような文が書かれている。
「なお当地の向かいは、五摂家筆頭の近衛家の堀川邸で、内部に「御花畑」があった。薩摩島津家の家老小松帯刀は「御花畑」のある近衛邸を寓居としたとされるため、当邸は有力候補地といえる。慶応2年(1866)1月、小松寓居には長州毛利家の桂小五郎(木戸孝允)が入り、その地で薩長同盟が締結された可能性がある。」
この後は、薩摩藩邸跡(同志社大学)、大久保利通旧邸跡、相国寺にある薩摩藩士の墓、長州藩士の墓、御所のすべての門などを歩いて廻り、最後に滞在したホテルである京都ホテル=長州藩邸跡と戻るコースを歩いた。
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