子供の頃(小学校高学年)夏休みになると私は毎日のように学校のプールに泳ぎに行っていた。そのおかげで夏の時期の記憶はしっかり甦る。
小学校4年生だった1964年、この年の梅雨明けは7月22日でほぼ平年並みだったが、翌23日に最高気温が33.7度を記録してからは連日32〜33度が続いた。そして、8月の中旬には34〜35度の日が続き大変な猛暑だった。また、この年は梅雨の降雨量が極端に少なく「東京砂漠」といわれる水不足の年でもあった。それゆえに、プールの取水制限が行われ、8月の終わりころは全く泳げなかった。そして、この年は10月に東京オリンピックを控えたこともあり、時の建設大臣河野一郎が利根川から緊急に水を引いたり、東京のあちこちで井戸を掘ることになってしまったことをよく憶えている。ちなみにこの年の8月の平均気温は27.8度あり、月平均の最高気温も32.2度もあった。
小学校5年生の1965年は平年並みの夏だった。梅雨明けは7月27日と遅く、翌々日の29日にようやく30度超えして13日までは暑い日々が続いたが、それ以降は30度を超える日は少なかった。この年は前年のような水不足もなく、私はこの年に2種の泳法で100m以上泳げるようになり1級の認定をもらった。ちなみにこの年の8月の平均気温が26.7度で、月平均の最高気温も30.8度と過ごしやすい夏だった。
1966年は最終学年。この年の梅雨明けは7月19日だったが、この年はちょっと冷夏だった。プールがとても冷たかったことを覚えている。中学受験をする連中はプールに来なくなり、また1級のクラスで泳ぐようになったため、かなりスピードを出して泳ぐようになった。それでも、クラスで一番の森敬子にはとても敵わなかった。その彼女も今では鬼籍の人になってしまった。もう一度、彼女と泳いでみたかった。この年の8月の平均気温は26.9度で、月平均の最高気温30.4度だった。
このように子供の頃(小学校高学年)は1964年を除いては、最高気温は33度ぐらいが普通であり、現在のような暑さを感じることはほどんどなかった。もちろん、家にはエアコンなどなく扇風機だけで十二分に過ごすことができた。
最後にちょっときになるデータを1つ。この10年間で月平均の最高気温値を出したのは、記憶に新しい猛暑だった2010年8月で、その数値は33.5度(過去最高は1995年8月の33.7度)である。しかしながら、今年の7月はまだ16日までのデータにもかかわらず32.1度もある。もしこのまま最高気温が35度前後の日々が続くと8年前の記録を破ってしまう・・・。加えて言うならば、東京の観測地点は2014年11月に大手町の気象庁から北の丸公園に代わり、最低気温は1度以上、最高気温は0.5度以上低くなったと言われている。つまり、もしこの7月の最高気温値が33度を超えたならば、実質2010年8月のあの猛暑を超えた暑さということにもなってしまう・・・。
水曜日, 7月 18, 2018
月曜日, 7月 16, 2018
長崎大水害を知っていますか
この7月5日(木曜)夕方、西日本で豪雨災害が起き始めている時、私は広尾のレストランで相方と食事をしていた。そのとき私が勝手に話題にしたのが長崎大水害。というのも、その日の午後2時に気象庁は臨時の記者会見を行い、梅雨前線がしばらく停滞するため、西日本と東日本では大雨が降る状態が8日ごろまで続き、記録的な大雨になるおそれがあると警告していたからである。
長崎大水害は1982年(昭和57年)7月23日から24日にかけて長崎県長崎市を中心とした集中豪雨で、死者・行方不明者は300名近くになった大災害である。私は当時某出版社に勤めていて、その酷い状況をテレビおよびラジオで注視していたので鮮明な記憶がある。ただ、相方は私より一回り近く歳が離れていることもあり、当時高校生で夏休みだったらしく長崎大水害のことをよく覚えていない、と言った。
最近の水害というと4年前の広島市を中心とした土砂災害が記憶に新しいが、私はなぜか今回の水害が長崎大水害のようになるのではという嫌な予感がしていた。しかし、同じ時間帯に安倍晋三をはじめとした50人近い自民党議員たちは「赤坂自民亭」と称して議員会館で長崎大水害のことを思い出すこともなく宴会にあけくれていた。
私は言いたい。「赤坂自民亭」でハシャいでいた自民党議員よ、長崎大水害のことを思い起こすことはなかったのか。広島土砂災害のことを思い出すことをなかったのか。一般市民である私ですら危惧しているのに、それを思い返すことができない政治家など無用の産物である。
自民党・公明党政治に早く終止符を打たなければ日本は滅びてしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=Vl2azVToRnc
長崎大水害は1982年(昭和57年)7月23日から24日にかけて長崎県長崎市を中心とした集中豪雨で、死者・行方不明者は300名近くになった大災害である。私は当時某出版社に勤めていて、その酷い状況をテレビおよびラジオで注視していたので鮮明な記憶がある。ただ、相方は私より一回り近く歳が離れていることもあり、当時高校生で夏休みだったらしく長崎大水害のことをよく覚えていない、と言った。
最近の水害というと4年前の広島市を中心とした土砂災害が記憶に新しいが、私はなぜか今回の水害が長崎大水害のようになるのではという嫌な予感がしていた。しかし、同じ時間帯に安倍晋三をはじめとした50人近い自民党議員たちは「赤坂自民亭」と称して議員会館で長崎大水害のことを思い出すこともなく宴会にあけくれていた。
私は言いたい。「赤坂自民亭」でハシャいでいた自民党議員よ、長崎大水害のことを思い起こすことはなかったのか。広島土砂災害のことを思い出すことをなかったのか。一般市民である私ですら危惧しているのに、それを思い返すことができない政治家など無用の産物である。
自民党・公明党政治に早く終止符を打たなければ日本は滅びてしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=Vl2azVToRnc
木曜日, 7月 12, 2018
柳亭市弥 & 春風亭朝之助@第28回チェロキー寄席
昨日(11日)は学芸大学「Cherokee LIVE TAVERN」で柳亭市弥と春風亭朝之助出演の「チェロキー寄席」を聞いてきた。
先々月聞いた春風亭正太郎と柳家ほたるは絵を得意とする落語家ということで「画伯の会」もしくは「絵師の会」と勝手に名をつけたが、今回は共に1984年生まれということで「84年生まれの会」もしくは「子年の会」または「ネズミの会」である。w
さて、演目は下記の通り。
柳亭市弥 『唐茄子屋』
春風亭朝之助 『蛙茶番』
〜 仲入り 〜
春風亭朝之助 『幇間腹』
柳亭市弥 『禁酒番屋』
『唐茄子屋』は与太郎が掛け値なし、つまり原価でカボチャ(=唐茄子)を歩いてしまうという小話風な落語。柳亭市弥は7月上旬は柳亭左龍師匠らと共に東北を巡業してきたという。そこで毎日地元の人たちとの打ち上げで飲み食いして体重が3キロも増えてしまったとか。そのせいかどうかわからないが、話し方に以前より余裕がある。与太郎が生き生きして気持ちよかった。
『蛙茶番』は素人芝居の巨大なガマガエル役を急な代役で頼まれた定吉と舞台番の半次が繰り広げるドタバタ劇。春風亭朝之助は師匠の春風亭一朝譲りの江戸弁で話を進めていくが、若干空回りの感がある。江戸弁は威勢がいいだけではないと思う。
『幇間腹』は道楽な若旦那が幇間の一八に針を打つという話。今度は春風亭朝之助の威勢のいい江戸弁は快活に聞こえてくる。不思議である。また一八の喜怒哀楽や裏表の顔の使い分け方など素晴らしい。
『禁酒番屋』は酒の番人がいるところをどう通り抜けるかという話で、そのために、酒屋がカステラ屋なったり、油屋、そして最後に小便屋までになるという滑稽噺。イケメンで女性にも人気がある柳亭市弥だが、この噺のような下世話な噺が意外というかかなり合う。この噺、師匠の柳亭市馬でも聞いたことがあるし、柳家喬太郎でも聞いたことがある。柳家の得意どころなのだろうが、市弥も是非とも十八番にしてもらいたい。
先々月聞いた春風亭正太郎と柳家ほたるは絵を得意とする落語家ということで「画伯の会」もしくは「絵師の会」と勝手に名をつけたが、今回は共に1984年生まれということで「84年生まれの会」もしくは「子年の会」または「ネズミの会」である。w
さて、演目は下記の通り。
柳亭市弥 『唐茄子屋』
春風亭朝之助 『蛙茶番』
〜 仲入り 〜
春風亭朝之助 『幇間腹』
柳亭市弥 『禁酒番屋』
『唐茄子屋』は与太郎が掛け値なし、つまり原価でカボチャ(=唐茄子)を歩いてしまうという小話風な落語。柳亭市弥は7月上旬は柳亭左龍師匠らと共に東北を巡業してきたという。そこで毎日地元の人たちとの打ち上げで飲み食いして体重が3キロも増えてしまったとか。そのせいかどうかわからないが、話し方に以前より余裕がある。与太郎が生き生きして気持ちよかった。
『蛙茶番』は素人芝居の巨大なガマガエル役を急な代役で頼まれた定吉と舞台番の半次が繰り広げるドタバタ劇。春風亭朝之助は師匠の春風亭一朝譲りの江戸弁で話を進めていくが、若干空回りの感がある。江戸弁は威勢がいいだけではないと思う。
『幇間腹』は道楽な若旦那が幇間の一八に針を打つという話。今度は春風亭朝之助の威勢のいい江戸弁は快活に聞こえてくる。不思議である。また一八の喜怒哀楽や裏表の顔の使い分け方など素晴らしい。
『禁酒番屋』は酒の番人がいるところをどう通り抜けるかという話で、そのために、酒屋がカステラ屋なったり、油屋、そして最後に小便屋までになるという滑稽噺。イケメンで女性にも人気がある柳亭市弥だが、この噺のような下世話な噺が意外というかかなり合う。この噺、師匠の柳亭市馬でも聞いたことがあるし、柳家喬太郎でも聞いたことがある。柳家の得意どころなのだろうが、市弥も是非とも十八番にしてもらいたい。
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