土曜日, 6月 29, 2013

先進国最低レベルの報道機関

福島第一原発事故によって、日本のマスコミが「政官財学マ」の癒着構造の上に成り立っていることが露呈されたが、それ以降、マスコミはまともな原発報道はせず、保身に走るロクでもない媒体に成り下がった。

こうしたことによって、毎年パリに本部を置く「国境なき記者団」が発表する世界各国の「報道の自由度」で日本はなんと53位に。原発事故以前は日本は11位とそこそこ報道の自由がある国と思われていたが、2012年に22位にダブルスコアに下降。そして、2013年には53位へと大転落した。

これについて、国境なき記者団は「(政府・公的機関の)透明性の欠如、福島第一原発事故と放射能災害に関する情報公開を尊重する態度はほとんどゼロに等しい」「原子力産業報道で検閲が行われている」と指摘した。国際的評価は実に正直である。

現在のマスコミは大政翼賛会的かつ保身だらけで、自民党および官僚の広報機関でしかない。まったく情けない限りである。マスコミで働いている人たちよ、Shame on you !

※「国境なき記者団」についてはWikipediaに詳しく書かれています。

水曜日, 6月 19, 2013

もっとも見たくない顔

誰にでも見たくない顔というのはいると思う。

しかしながら、テレビという媒体は時として、その顔を突然映し出してしまう。そうすると、視聴者はあまりの嫌気さから、時としてチャンネルを変えたりする。そんな人、いませんか。

私が今、もっとも見たくない顔は高市早苗である。この知識も教養のカケラも無い人がよく与党の政調会長を務められるのかが不思議でならない。自民党政調会長というのはこうした厚顔無恥な人でないと務まらないのだろうか。

それにしても、テレビはなぜ橋下徹、高市早苗と見たくない顔ばかり映し出すのだろう。不思議な媒体である。

月曜日, 6月 17, 2013

「セ・パ交流戦」は「パ・セ格差戦」だ

プロ野球の日本生命セ・パ交流戦は雨で流れた1試合を残すだけとなり、パ79勝セ60勝4引で、パリーグの圧勝で終えようとしている。昨年こそパ67勝セ66勝11引と互角の勝負をしたセリーグだったが、これではまた元の黙阿弥で、もはや「セ・パ交流戦」ではなく「パ・セ格差戦」である。

今回の交流戦期間中にはコミッショナーおよびNPB事務局長らによるボールの隠蔽工作という「不祥事」が発覚したにもかかわらず、選手はひたむきにプレイをした。しかし、結果は下記のようにすべての面においてパの圧勝である。

   得点  失点  打率  防御率 本塁打数
パ  594  498  .268  3.14  130
セ  498  594  .244  3.86  98

このなかで、やはり注目すべきは“飛ぶボール”になった影響がでる本塁打数である。パ6球団でチーム本塁打数が20本を上回らなかったのは西武だけだったが、セで20本を上回ったのはヤクルトの21本だけだった。ただし、その内容があまりにも偏っている。というのも、21本のうち17本は本拠地神宮で、パの球場で打ったのはたった4本だけだった。これでは神宮球場がいかに狭く本塁打が出やすいかを物語っているのではないだろうか。

また、交流戦前38試合で本塁打を44本打っていた巨人も、交流戦24試合では17本と明らかに減少した。このことは、パリーグの投手が優秀であるからと同時に、パリーグの球場が広くてホームランを打てないということを物語っている。ちなみに、巨人がパの球場で打った本塁打は5本だけだった。このように、本塁打だけをみても「パ・セ格差」は顕著であり、このことをセリーグ6球団は危機意識をもって認識すべきであろう。

とにかくセ・パ交流戦を観ていると、その姿勢がリーグによって違うように思えた。パリーグのチームは常に前を向いて野球をしようと心がけているというか、向上心に満ちている。ところが、セリーグのチームはどことなく現状に満足してプレイをしているようにしか思えない。これはひとえに巨人と阪神という人気チームが抱えているからであろう。そのことは、それを肯定しているファンの存在にも問題があるからではないだろうか。このことについてはいずれまた書きたいと思う。

Yahooスポーツの交流戦データ
http://baseball.yahoo.co.jp/npb/standings/26/

水曜日, 6月 12, 2013

加藤コミッショナー、下田事務局長は即刻辞任すべし

今年のプロ野球は昨年に比べて、本塁打数が約1.5倍になっている。このことについて、以前からボールが変更されたのではという疑惑があちこちで持ち上がっていた。しかし、日本野球機構(NPB)はこれまで「(昨年のものと)球を変えたことはない」と言い続けてきた。ところが、昨日一転して「微調整して、“飛ぶボール”に変えていました」と、反発力を増すようメーカーであるミズノに指示していたことを明らかにした。

まったく人(選手・ファン)を馬鹿にした話である。嘘を言いつづけてきた加藤コミッショナー、下田事務局長は即刻辞任すべきであり、もし辞めないならば、選手会は辞任要求を突きつけてもらいたい。それでも、辞めない場合は人権を無視した行為であり、提訴して裁判を起こしてでも争うべきである。

そして、“飛ぶボール”に関しては今季はそのまま使わざるをえないがが、今季終了後に、大学などの第三者機関に新しいボールの作成依頼を行い、それを新しいコミッショナー、球団、選手会の了解を得るまで吟味して来季使用してもらいたい。もちろん、新しいボールの生産には今回の隠蔽に加担したミズノ社は除外すべきであろう。

それにしても、スポーツ界には陰湿な隠蔽体質が蔓延しているのであろうか。八百長の大相撲、セクハラ・暴行の柔道、そして今回のプロ野球と、スポーツ界は本当に腐っている。これでは「青少年を育成する健全なスポーツ」と誰が言うことができようか。

月曜日, 6月 10, 2013

世論調査に答えるべきか答えざるべきか

6月23日の都議会議員選挙を前に、どこのマスコミの世論調査か解らないが、音声による機械的な電話による世論調査がこれまでに3回もかかってきた。その内容は、いずれもどこの政党を支持しますか、安倍内閣を支持しますか、今度の都議選では誰に投票しますか、そして、性別と年齢を聞き出すというものだった。

では、こうした電話による世論調査がどこまで有効的であり、信憑性があるものかをネットで調べたところ、電話をかける回数は2000〜3000で、有効回答数が1000以上を目標としている調査が多いとのことである。そして、こうした調査によって、統計学的には誤差は約5%程度に収まるそうだ。

ふ〜ん、こうして世論調査という名の世論誘導は行われているのである。ということで、今回は私も思いっきりその世論誘導に加担してみた。

ということで、私の答は毎回支持政党はなし、安倍内閣は支持しない、都議選投票予定者は安倍政権を批判している人とした。そして、最後の性別と年齢だけは、最初は50代男性、2回目は80代女性、3回目は20代男性にした。

まあ、私のような無責任な回答は別にしても、いずれにしろこうした半分イカサマまがいの世論調査がテレビや新聞で報道されている。つまり、電話で答えた人の意見だけがまるで世論調査のかのようであり、固定電話をもたない若者たちの意見などはほとんど反映されることなくマスコミは世論誘導をしているのである。それゆえに、こうした電話がかかってきたならば、素直に答えたほうがいいのかもしれない。いくら電話番号によって自分の思想信条が解ってしまう危険性があるとしても、マスコミによる世論誘導を阻止するためには。

土曜日, 6月 08, 2013

サッカー専用競技場がなかなかできない理由

2002年の日韓ワールドカップが開かれるときに、横浜に大きなサッカー専用競技場ができるという話があった。ところが、出来上がった競技場はトラックを緑のシートで隠した偽りのサッカー競技場=陸上競技場(日産スタジアム)だった。

それでは、なぜいつの間にこのような施設に成り代わったかといえば、横浜が1996年に2008年オリンピック開催に立候補表明したからである。この立候補表明の裏には体育教師たちの強い要望があり、そのときに「競技場を作るならば、サッカー専用競技場ではなく陸上競技もできる施設を」と圧力をかけたからだという噂を聞いたことがある。

体育教師というのはそのほとんどが、東京教育大学=筑波大学、東京学芸大学、横浜国立大学、日本体育大学などの出身者であり、それも陸上競技出身が過半数を占めていると言われている。そして、彼らの多くは自民党の支持母体(=圧力団体)である日本陸上競技連盟や体協の末端会員であり、それは自民党の大きな票田になっている。

というわけで、こうした陸上競技出身の体育教師たちの存在が、日本各地になかなかサッカー競技専用競技場ができない理由のひとつになっている。

金曜日, 6月 07, 2013

日本語化している好きでない英語

日本語化している英語(単語)の使い方に違和感を抱くことがしばしばある。

一番最初にそれを感じたのは「パフォーマンス」という言葉だった。1980年代頃から演劇界やテレビ界で妙に「パフォーマンスする」という言葉が使われるようになった。なんで「表現する」と言わないのか不思議でならなかった。そして、これはその昔流行った「ハプニング」と同系列に使われているんだなと感じるようになった。

次に違和感を覚えた言葉は「イノベーション」だった。この言葉は1990年代になって、産業界を中心に使われるようになり、東芝のCMで「リーディング・イノベーション」と使われたことによって一般的になった気がする。しかし、なんで技術革新(もしくは経営刷新)と日本語を使わないのか不愉快でならなかった。

最近では「コラボレーション」という言葉が嫌いである。この言葉の本来の意味は多くの人が関った共同作業もしくは制作協力といった意味のはずだが、それがなぜか異業種の人たちによる共同作業とか、たった2人だけの共同作業に対しても使われたりする。また「コラボする」と動詞のようにも使われ、本来のコラボレートという動詞もおざなりされていたりする。

このほかにもいくつかの言葉で日本語化に違和感を覚えたことがあると思うが、それにしても、こうもなんで英語を日本語化したがるのだろうか。それはちょっと「インテリ」ぶりたいからだろうか、それとも言葉の「ニュアンス」をぼかしたいからだろうか。いずれにしろ、もう少し「ブレない」しっかりとした日本語を使ってほしい気がする。