木曜日, 6月 30, 2011

見かけはボロボロだけどまだまだ現役

19歳のときに、アメリカの大学の購買部で買った馬革製の財布を今でも使っている。二つ折にできるタイプのもので、中には紙幣だけでなくクレジットカードも入れることができる。もうかれこれ38年も使っているので、表面はテカテカで、折の部分はボロボロになっていてテープなどで補強している。

実はこれまでにこのお財布に別れを告げるべく、2回ほど同じような財布を買ったのだが、使い心地がよくなく、1週間も経たないうちに元の木阿弥になっている。(笑)

私は洋服などに関しては物持ちが良い方だと思うが、それ以外はパソコン関係、メガネ、靴(サンダル)など日常に使うものの物持ちはあまり良い方ではない。そんななかで、38年も同じ財布を使っているのだから、これはちょっと異常かもしれない。

こうなると、この財布に愛着があるというより執念で使っているとしかいいようがない。見かけはボロボロだが、まだまだ現役の馬革製のお財布。あと、最低でも2〜3年は現役で頑張ってもらいたい。

水曜日, 6月 29, 2011

あまり節電できなかった電気使用量

先週、東京電力から「電気使用量のお知らせ」6月分が届いた。先月は前年比約25%も電力使用量を削減したことで、我ながら悦に浸ったが、今回はたったの6%しか削減できなかった。理由は深夜電力の使用(つまりお湯の使用)が前年より多かったためである。ただ、この深夜電力はなかなか節電できない。というのも、お湯を大量に使おうが使うまいが、深夜になればある程度勝手に動いてしまうのである。これからの夏場はあまりお湯は使わないと思うが、来月もこの点だけは注視していきたい。

いずれにしろ、5月分はトータルで589kwhだったので、今月分は100kwh近く減らしている。言い訳がましいが、それだけでも良しとしていたきたい。

昨年6月分(28日間)  今年6月分(5/19〜6/15の28日間)
自宅(60A)     268kwh      230kwh
深夜電力(4kw)   207kwh      229kwh
仕事場(20A)     47kwh       33kwh
合計          522kwh      492kwh

今回は前年比たったの6%の削減しかできなかったが、今後も電力使用量を控えるために、照明をコマメに消したり、使ってない電気機器のコンセントは抜くようにしていきたいと思います。また、エアコンもできる限り使用しないように努めていきたい。

我が家の節電成果
http://k21komatsu.blogspot.com/2011/05/blog-post_20.html

火曜日, 6月 28, 2011

実はカミナリが好きです

先日Mixi(Twitterに連動)のつぶやきで「梅雨も佳境に入ってきて、あちこちで雷が発生しているようです。ちょっと不謹慎ですが、実は私は子供の頃から家のなかから雷を見るのが好きです。w」と書いたら、信じられないことに数多くの人、特に女性から「実は私も」的に賛同者がいっぱい現れた。

少し前に「恐いことを例える諺というか代名詞といえば「地震・カミナリ・火事・オヤジ」が一般的だが、今回の東日本大震災で、新たに『地震・津波・原発・風評被害』という言葉が生まれるかもしれない」と書いたが、まさかカミナリがそれ以前に恐いものでなく、好かれているものになっているとは知らなかった。こうなるとオヤジも同じなのかもしれない。(笑)

子供の頃、外でゴロゴロと鳴り始めると、縁側に座布団を敷いて、ガラス戸越しに雨空を眺めるのが好きだった。なぜだかよく解らない。そして、雨空が一瞬光り輝いて、次に音がするまでの時間を数えて、どれぐらい雷が近づいてくるかを楽しんでいた。今はもう縁側もなければ座布団もないが、雷の季節となると、ベランダ越しにしばらく外の様子を楽しんでいる。

子供心にカミナリが好きだった理由はひょっとするとカミナリが鳴ると、梅雨が明けて夏がやってくるということを察していたからかもしれない。雷三日、梅雨明け十日などということを自然に察していたのかもしれない。

ただ、このカミナリ。東京などの都会では避雷針が多いので、ほぼ安心安全なのだが、地方だとそうはいかない。ゴルフ場で落雷にあって亡くなる人も毎年何人かいる。また、そして集中豪雨による川の氾濫なども起きて被害をもたらす。それゆえに、カミナリが好きだというのは不謹慎なのだが、好きなものは好きで仕方がない。

最後に、私がもっとも感動したカミナリはグランド・キャニオンで目撃したものだ。カミナリの閃光が2〜3百メートル下の渓谷に落ちていくさまは凄かった。雷鳴降臨といった感じで、渓谷が一瞬閃光で輝き、それと同時に地響きのような雷鳴が谷底から轟いてきたのである。あんな光景は後にも先にも見たことがない。また、コロラド平原では視界の左半分が雷雨、右半分が快晴という光景も見て、このときは大陸の広さをつくづくと感じさせれた。

月曜日, 6月 27, 2011

いまだに政治家のなかには藩閥学閥閨閥意識がある

1年前に菅直人が内閣総理大臣に就任した。市民運動出身者が首相になるとは、日本もついにここまで来たかと、多少なりと喜んだ。ところが、すぐに組閣した内閣を「奇兵隊内閣」と自らが表した。これは自分の生まれ故郷である山口県と、大河ドラマ『龍馬伝』を意識して、そう呼んだのだろうが、私はこの言葉にかなり失望した。

というのも、日本の政治家たちが依然として薩長藩閥意識のなかで生きているのだなと思ったからである。薩長閥の流れをくむ自民党の政治家が言うならまだしも、市民運動家にして社会市民連合(社民連)という小さな組織から這い上がってきた政治家の発する言葉とは思えなかった。

日本の政治家はいまだに明治維新を意識している人が多いような気がする。大阪府の橋下知事にしても「維新の会」という名をつけて、まるで幕末の志士気取りでいる。歴史を意識をすることは大切ではあるが、それを模倣するようでは今日の政治家としは情けない。

今の時代はもはや一国のことだけでなく、全世界を見据えた政治をしなくてはならない。その意味においては、今の日本の首相は藩閥学閥意識や党利党略といった狭い了見を棄て、しっかりと国民と国家のことを考え、それでいて国内および国外の両視点から物事を判断できるような人になってもらいたい。ただ、残念なことにそのような資質をもった政治家がいるように思えない。

金曜日, 6月 24, 2011

原発やめますか? それとも人間やめますか?

いまだに収束化のメドすらつかない東京電力福島第一原子力発電所。人間を豊かにすると共に、人間を破壊する原発。いったん大事故が起きると、人間が制御することができない原発。今、私たちが問われていることは「原発やめますか? それとも人間やめますか」なのではないだろうか。もし、今後も原子力発電を推進していっても構わないという人は、原発という悪魔に魂を売り「人間をやめる」と宣言した人たちと言っても過言ではないだろう。

原発を安心安全と推進した自民党をはじめとした政治家たちは政界から引退すべし。隠蔽工作を率先した原子力保安院および原発事故対策を怠った東京電力は解体すべし。健康被害を過小評価する御用学者は学問の場を去るべし。原発推進の片棒を担いだマスコミは自己批判すべし。そして、いまだに原発の存在を容認する国民は福島県もしくは原発近くに移住するべし。

ちょっとラジカルでヒステリックな発言と思われるかもしれないが、「原発やめますか? それとも人間やめますか」ということを、誰もが問われているときなのである。

水曜日, 6月 22, 2011

福沢諭吉の格言に学ぶ

一番立派なことは、一生貫く仕事があること。
(一番立派なことは、地道に人生を歩むこと)

一番寂しいことは、することがないこと。
(一番寂しいことは、時に空回りしてしまうこと)

一番惨めなことは、人間として教養がないこと。
(一番惨めなことは、教養がなかなか身につかないこと)

一番貴いことは、奉仕して恩をきせぬこと。
(一番貴いことは、多くの友人知人飲み仲間がいること)

一番醜いことは、他人を羨むこと。
(一番醜いことは、ちょっとメタボ体型なこと)

一番悲しいことは、嘘をつくこと。
(一番悲しいことは、万馬券を取り逃すこと)

一番美しいことは、全てのものに愛情を持つこと。
(一番美しいことは、お酒と女性と芸術に愛情をもつこと)

月曜日, 6月 20, 2011

「想定外」という言い逃れは許されない

想定外の地震と想定外の津波で原発事故は起きた、ということになっている。しかし、自然というものはいつも人間の想定するものなど超越してしまう。

日本は地震大国である。何処でマグニチュード8以上の地震が起きてもおかしくない国である。それゆえに、今後はどんな地震が起きようが、どんな津波が起きようが、どんな天変地異が起きようが、そのとことに対して、政府も電力会社もそしてマスコミも「想定外」という言い逃れは許されない。それゆえに、これからは「想定外」の事故が起きても責任問題が生じる。それは単なる賠償とかそういった問題だけにとどまらない。

海江田万里経済産業相は、運転停止中の原発についても再稼働を認めるよう各自治体に要請したが、もし万が一の事故があった場合、海江田大臣は政治責任をとって政治家を辞める覚悟があるのだろうか。また、原子力保安院に務める官僚および御用学者は懲戒免職される覚悟はあるのだろうか。そして、各自治体の首長は、地元において一生その罪を償う覚悟はあるのだろうか。

もはや「想定外」という言い逃れは絶対に許されない。

金曜日, 6月 17, 2011

東北人と京都人の血が流れている

子供の頃はまったく気にしなかったが、歳を重ねていくと自分のルーツが何処にあるのかを気にするようになる。

私の父は東京生まれの東京育ちだが、祖父は山形県八幡町(現・酒田市)出身で、電柱と電線を辿りながら上京したという逸話の持ち主である。そして、祖母は京都市出身の看護婦だったそうで、共に農家出身だ。一方、私の母は台湾生まれの東京育ちで、祖父は京都府亀岡市出身で祖母は秋田県秋田市生まれ。こちらは共に士族だったそうである。

ということで、私の身体のなかには東北と京都の武士と農民の血がブレンドされて流れている。それゆえだろうか、今回の大震災は人ごとではないように肌で感じるというか妙に血が騒いでしまう。

父方の祖父(林蔵)は中国でちょっとした財を成したようで、地元に神社を建てたり、学校に寄付したり、庄内出身者たちのための学生寮を建てたりと気前のいい人だったようである。私は残念ながら祖父のように財を成すことはなかったが、できる限りの経済的支援は続けたいと考えている。

郷土の先人93 小松林蔵
http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp93.html

写真上:旧八幡町にある八幡神社
下:庄内平野から見る鳥海山

火曜日, 6月 14, 2011

マスコミが少しおとなしくなってきたが・・・

先週金曜のNHK「ニュース9」で大越キャスターが「明日で震災からもう3ヶ月。でもまだ3ヶ月なのかもしれない」と少し自戒的なことを言った。私は震災が起きたときから、半年間は政治も経済も協力しあって復旧復興に望むべきだと思ってきて、そうした言動をしてきた。

しかしながら、政局は菅直人首相の指導力無さもあったが、結局自民党および与党内野党である小沢派による菅下ろしに明け暮れ、マスコミもそれに踊らされた。ところが、菅首相が一定のメドがついたら辞任すると表明してからは、マスコミは急に政局への報道をトーンダウンさせた。これは、おそらくマスコミ自体が相当批判されているからであろう。世間一般の人から見れば、あの菅下ろしにマスコミは踊らされたのではなく、加担していたとしか見えなかったからだ。

何度も書くが、震災は天災だから誰の責任でもない。しかし、原発事故は明らかに天災と人災の複合的要因があり、その責任の源は「政官財学マ」の癒着構造にある。そして、この「政官財学マ」はいまだに自己責任を認めない。政界のなかにはある程度それを表明する人がいるにもかかわらず、マスコミで自己責任を認める新聞社やテレビ局はひとつもない。

そんな連中たちの報道というか分析・解説・コメントを誰が信じることができるだろうか。永田町の常識は世間の非常識同様に、マスコミの常識も世間の非常識なのである。私はまだまだマスコミ批判をやめるつもりはない。

土曜日, 6月 11, 2011

エレベーターの「開」「閉」ボタン表示

人間、誰しも不得手なものがいくつかある。私がその不得手にしているひとつが、エレベーターの開閉表示を咄嗟に見分けることだ。

現在の日本のエレベーター開閉表示には下記のように3つのタイプがある。

「開」「閉」   「◁|▷」「▷|◁」    「|←→|」「→||←」

しかしながら、この3つはすべて私には解りにくい。ドアが閉まりかけているとき、誰かが乗ろうとして開けてあげようと思ったのに、右側のボタン(つまり「閉」)を押してしまうことがしばしばある。こういう経験は誰もがあるだろう。

そもそも「開」「閉」という表示は同じ門構えの漢字のために見分けにくい。また「◁|▷」「▷|◁」にしても「|←→|」「→||←」にしても、一瞬の判断で見分けるのが難しい。というよりも、視覚的感覚からいうと、「◁|▷」「▷|◁」などは右側の方が開くという風に見えてしまう。

それゆえに、今後のエレベーターの開閉表示は、「◁|▷」「▷|◁」もしくは「|←→|」「→||←」マークのしたに、必ず「Open」「Close」もしく「ひらく」「とじる」という言葉を入れて、マークと言葉の二重表示にしてもらいたい。すでにこのような表示のエレベーターはあるようなのだが、これからの高齢者社会を考えると、安全重視のためにもぜひともお願いしたい。

押し間違いしない!! エレベーターの開閉ボタン
http://www.geocities.jp/shuuchan56/kaiheibutton.html

木曜日, 6月 09, 2011

京都には妖怪がいっぱい住んでいる

先日、京都に住んでいる人と話をする機会があった。そのときに「京都には妖怪がいっぱいいるんです」という話になった。確かにいる。舞妓さん、芸妓さん、お姐さん、女子学生、おばさん・・・いっぱいいる。京都という街へ人を呼び寄せようとしている妖怪は確かに多い。

そして、こうした妖怪たちに誘われて、東京などから日帰りで行く「来ようかい」だの、京都でちょっと仕事をしたいという「雇用かい」もいるそうだ。ただこうした妖怪はまだまだ妖精であり可愛いものだそうだ。

京都の本物の妖怪は宗教で生業をたてている。こうした妖怪は本来ならば俗界から離れて、慎ましやかな生活しなければならないはずなのに、お寺というお金がなる木に住んでいるために、高級外車を乗り回したり、別荘を持っていたりするらしい。困ったものである。

そんな妖怪だらけの町には、もうひとつ京料理という魔物もある。そろそろその魔物を食べに行きたくなってきた。(笑)

月曜日, 6月 06, 2011

星野仙一は菅直人の前に辞任すべし

昨日(5日)は神宮球場でのプロ野球セ・パ交流戦、東京ヤクルト・スワローズ対東北楽天・イーグルスフの試合を観てきた。

試合は両チーム共に18安打計36安打の乱打戦。と言いたいところだが、結果は13対5でヤクルトの楽勝。ついでに書くならば、楽天は負けたにもかかわらず毎回安打。私はこれまでに数多くのプロ野球およびメジャーリーグの試合を観てきたが、負けたチームが毎回安打というのは初めてである。毎回安打して勝てなかった理由がどこにあるかといえば、それはすべて監督の采配にある。つまり星野監督の無能さを露呈した試合だった。

星野の無能さにはいくつあった。まず攻撃のチグハグさだ。2回にノーアムト・ランナー2塁で草野にバントを指示したことである。しかし、草野はバントを失敗してランナーは2塁でアウト。4回の攻撃でワンアウト2塁3塁のときに、ピッチャーの片山に代打(用意していたにもかかわらず)を出さなかったこと。結局、片山は打てず、この回の楽天は1点も取れなかった。それどころかその裏にヤクルトの猛攻攻撃を受けて10点も取られる始末。その間、星野は片山をまでバッティング投手のように晒し者にした。もう馬鹿です、星野という男。

片山はこの回に何十球投げたか知らないが、選手たちは星野野球の馬鹿さかげんを知ったであろう。まともな監督ならば若い投手をこんな晒し者にすることは絶対にありえない。ところが、星野は根性論だけで蛮行に及んだのである。監督失格である。このことは、片山という投手を殺すだけでなく、試合を観にきた楽天ファンに対して失礼千万である。わずか4回という時点で試合に勝つという行為を放棄したのであるからだ。

加えて、5回の攻撃で松井稼、山崎が出塁したのだが、そのときに代走を出したのも信じられなかった。確かに12対0で東北楽天は負けていた。しかし、松井稼にしても山崎にしても主力打者であり、もう1打席回ってくれば大量得点になる可能性はあるのに、5回で負けているのにも関わらずお役御免である。試合のことも選手のこともファンのことも、この馬鹿監督は何も考えていない。直感だけで采配している。

また、6回にホームでクロスプレイになって楽天の選手がアウトになったのだが、これは明らかに審判の誤審でセーフなのに、その判定に星野は抗議にすら出てこない。これでは選手はやっていられない。星野仙一は菅直人より先に即刻辞任すべきである。選手が可哀想である。ファンが可哀想である。

星野仙一がお馬鹿さんであることは解っていたが、こんなに酷いとは思っていなかった。パリーグ・ファンとして言わせてもらうが、彼はパリーグに害をもたらすだけで、全く必要ない男である。

Yahoo スポーツによる試合結果

http://baseball.yahoo.co.jp/npb/game/2011060502/top

金曜日, 6月 03, 2011

国難を生きる国民と、国難に背を向けた国会議員

国難といわれる時代を生きている、という実感がある。我々は100年に一度とも1000年に一度とも言われる大震災に直面した。その結果2万4千人近い尊い命が失われてしまった。加えて、いつ収束するか解らない原発事故という現実も存在している。

そんな国難と言われる時代のなかで、国会議員はドタバタ茶番劇を演じた。最後に君子豹変した鳩山由起夫、相変わらず優柔不断で曖昧模糊な菅直人、そして、そろそろ孤城落日になるか小沢一郎。自民党政権下でも見れなかった3人のヒステリックな憎悪劇は本当に見苦しかった。

一方で、被災地を省みずこうした時期に内閣不信任決議案を提出した自民党と公明党の醜態も酷かった。国民のほとんどが政局の混乱を望んでいないのにもかかわらず、「国民は、国民は」といって、国民という言葉をダシにつかった言動は許しがたく、犯罪者といっても過言ではない。

結局、から騒ぎのすえに不信任決議案は否決されたが、政局はますます混迷を続けていくばかりとなった。こうしたことがなぜ起こったかといえば、その背景には必要のない国会議員が多すぎるということがある。もし、衆議院議員が350人、参議院議員が200人だったら、国難に対して誰もが真摯に向き合っていただろう。こうしたことをなぜ国会議員もそしてマスコミも言わないのだろうか。

国難のなかでほどんどの日本人が冷静に行動している。これは凄いことだと思う。誇りに思っていいことだ。これがもし他国だったら、どうだっただろうかとよく思う。大震災後、最初に騒いだのは一部のマスコミとネガティブな報道しかしない外国のマスコミぐらいだった。しかし、2ヶ月半経って、自己顕示欲と責任転嫁の集団である国会議員が大茶番劇を演じた。彼らのなかには国難という時代を生きるという意識はさらさらなかったようである。

木曜日, 6月 02, 2011

飲食業界にとっての風評被害の源は

先日、今年になって飲み屋を開いたばかりの店主とネットについての話をした。

店主曰く「食べログ」とか「ぐるなび」の書き込みは、励みにもなるが脅威でもあると。その通りだと思う。私はグルメに関することは自分のブログには書くが、「食べログ」と「ぐるなび」などのようなグルメサイトに投稿をしたことは一度もない。

こうしたサイトは基本的に匿名であり、お店の常連さんが書いているというより一見さんが書いている方が圧倒的多い。こうした人たちは、自分がまるで料理記者か評論家のように書いているのだろうが、これが時にお店にとって営業妨害にもなりかねない。

「ネットとかは飲食業界にとって、風評被害の源ですよ。褒めてくれるのはたしかに嬉しいですが、1回だけの来店で、まるでお店の味をすべて解ったように書かれるのは勘弁ですよね」

同意せざるえない。1回だけの訪問ならば自分のブログに書くぐらいに止めておいて、影響力の大きい「食べログ」とか「ぐるなび」へ投稿するのは控えるべきであろう。

原発の風評被害も1回の検査結果だけで、それが結局ひとり歩きして、大きな風評となってしまっているところがある。今日、ネットの投稿に左右される人は少なくない。そのことを考えると、グルメサイトは風評被害の源であると言ってもおかしくない。

水曜日, 6月 01, 2011

映画『ブラック・スワン』を観る

映画は騙し絵である、ということを見事に具現化している映画だ。芝居にしても、映画にしても、絵画にしても、音楽にしても、芸術の新作というものは、期待と失望、信用と裏切りといった相対したなかで作り上げられていく。つまり、芸術はある意味、虚構であり虚偽で騙しでもあるのだから。

映画のあらすじは『白鳥の湖』の主役に抜擢されたニナ(ナタリー・ポートマン)が、演出家の強い要望により官能的な「ブラック・スワン」を演じるために、苦悩と葛藤を繰り返していくという至極単純なストーリー。ただ、それを現実と虚構(妄想?)をうまくミックスさせながら、スリラー映画ばりの緊張感と不安感を煽りながら観せていく。また、ちょっと大胆な性描写も織り込まれていて、大人の映画にもしている。

主演のナタリー・ポートマンはこの映画の振付師だったべンジャミン・ミルピエと出来ちゃった結婚をしてしまい、映画のストーリーと同じような道を歩んでいる。ただ、こうしたことは映画や演劇の世界では別にありふれたことである。というのも、芸術の世界で生きる人たちは現実と虚構の狭間を行き交いしながら生きているのだから。

決してバレエ映画でもく、ホラー映画でもないが、冒頭にも書いたように、映画が実に楽しい騙し絵であることを立証してくれた秀作である。ただ、ちょっとスリラー度が刺激的なので、ちょっと心臓の弱い人向きではない。また、女性客はできれば1人で観に行くのではなく、誰かと一緒に行くのがいいだろう。そうすれば、観賞後の会話が楽しくなるのではないだろうか。

ブラックスワン公式サイト
http://movies2.foxjapan.com/blackswan/