先日Mixi(Twitterに連動)のつぶやきで「梅雨も佳境に入ってきて、あちこちで雷が発生しているようです。ちょっと不謹慎ですが、実は私は子供の頃から家のなかから雷を見るのが好きです。w」と書いたら、信じられないことに数多くの人、特に女性から「実は私も」的に賛同者がいっぱい現れた。
少し前に「恐いことを例える諺というか代名詞といえば「地震・カミナリ・火事・オヤジ」が一般的だが、今回の東日本大震災で、新たに『地震・津波・原発・風評被害』という言葉が生まれるかもしれない」と書いたが、まさかカミナリがそれ以前に恐いものでなく、好かれているものになっているとは知らなかった。こうなるとオヤジも同じなのかもしれない。(笑)
子供の頃、外でゴロゴロと鳴り始めると、縁側に座布団を敷いて、ガラス戸越しに雨空を眺めるのが好きだった。なぜだかよく解らない。そして、雨空が一瞬光り輝いて、次に音がするまでの時間を数えて、どれぐらい雷が近づいてくるかを楽しんでいた。今はもう縁側もなければ座布団もないが、雷の季節となると、ベランダ越しにしばらく外の様子を楽しんでいる。
子供心にカミナリが好きだった理由はひょっとするとカミナリが鳴ると、梅雨が明けて夏がやってくるということを察していたからかもしれない。雷三日、梅雨明け十日などということを自然に察していたのかもしれない。
ただ、このカミナリ。東京などの都会では避雷針が多いので、ほぼ安心安全なのだが、地方だとそうはいかない。ゴルフ場で落雷にあって亡くなる人も毎年何人かいる。また、そして集中豪雨による川の氾濫なども起きて被害をもたらす。それゆえに、カミナリが好きだというのは不謹慎なのだが、好きなものは好きで仕方がない。
最後に、私がもっとも感動したカミナリはグランド・キャニオンで目撃したものだ。カミナリの閃光が2〜3百メートル下の渓谷に落ちていくさまは凄かった。雷鳴降臨といった感じで、渓谷が一瞬閃光で輝き、それと同時に地響きのような雷鳴が谷底から轟いてきたのである。あんな光景は後にも先にも見たことがない。また、コロラド平原では視界の左半分が雷雨、右半分が快晴という光景も見て、このときは大陸の広さをつくづくと感じさせれた。
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