月曜日, 1月 29, 2007

東京バレエ団『中国の不思議な役人』(1/27公演)

先日の『ザ・カブキ』に続き、モーリス・ペジャール振付による「ベジャールのアジア」を観てきました。この「ベジャールのアジア」とは黛敏郎の越天楽のような音楽を振り付けた『舞楽』、インド舞踊を題材にした『バクチ3』、そしてベル・バラトークの『中国の不思議な役人』の3作の総称です。で、私にとって最も関心が高く、期待していたのは『中国の不思議な役人』でした。

『中国の不思議な役人』(原題はミラクル・マンダリン)は、ハンガリーの詩人メルヒオル・レンジェルが書いたパントマイム劇のために作曲された音楽で、そのストーリーは次のようなものだ。

「無頼漢が少女を使って道端の窓から美人局をさせる。ある日、金持ちの中国人が引っかかるが、彼は少女の踊りを見ているうちに愛に目覚めてしまう。おののく少女を取り戻そうと無頼漢は男を剣で殺そうとするが、男は刺されても不思議なことに息を吹き返してしまう。しかし、少女と関係を結んだとたんに、愛を満たされた男は息を引き取る」

私が『中国の不思議な役人』と初めて出会ったのは、寺山修司の書いた戯曲である。寺山は1977年に渋谷西武劇場でこの作品をアレンジして上演している。残念ながら、私はその舞台を見てはいないが、90年代に再演の話が持ち上がり台本を読んだ。そのときの感想は『青ひげ公の城』(私はこの舞台制作を2回ほど手がけた)同様に難解でちょっとグロテスクな作品だなあと思った。

さて、東京バレエ団の公演であるが、今回が2004年に続き2回目の公演ということからか、まだ数多くの“迷い”があり未完成というのが結論である。ペジャールは少女を男(古川和則)に演じさせ、若い男(井脇幸江)を演じさせ、倒錯感を出させようとしている。それならば、いっそ中国人(木村和夫)も女性ダンサーが演じた方が、よりエロスを増幅させるのではないだろうか。それとも歌舞伎のように男による倒錯的世界を描きたかったのだろうか。それならば、もう少し男が演じる緻密な妖艶さを描いてほしかった。

そんな迷いが数多くある舞台だったが、一番の収穫はほぼ全編を通して登場したコロスを演じた20数名のダンサーたちだ。コロスは時に舞台の背景を踊り、時に主人公たちの心情を踊り、舞台を盛り上げていく脇役たちである。しかし、今回の公演では男たちは男の性を、女たちは女の性をコロスならではの集団で時に力強く時にエロチックにいかんなく表現していた。こうしたコロスを演じたダンサーのなかから、次代の主役を演じる者が現われたり指導者が生まれる。私にとって、今回の舞台の主役は間違いなくコロスを演じた若いダンサーたちであり、彼らに最大の賛辞を送りたい。

金曜日, 1月 26, 2007

東京バレエ団『ザ・カブキ』(1/24公演)

私が東京バレエ団を見るようになって6〜7年経つが、残念ながら2002年と2004年の『ザ・カブキ』公演を見る機会を逸した。この作品はモーリス・ペジャールが歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をもとに創作したバレエで、初演はもう20年前にもなる。これまでに海外14カ国で98回も公演していて東京バレエ団の代表作である。

主役の由良之助を演じる後藤晴雄は私のご贔屓ダンサー。彼はバレエ団に入団した翌年の19歳のときに由良之助に抜擢され、この作品は彼の代表作のひとつになっている。彼の踊りはよく優美とかしなやかと言われる。ただ、私には彼の舞いが時には蝶のように華麗であり、時には獲物を追い求める鷲か鷹のようにシャープさがあり、彼はその両局面をうまく使い分けながら踊っているように思える。というよりは、彼は常に舞台より十数センチ高い、我々には見えない “宙の舞台”で舞っているように思える。

東京バレエ団は男性陣が充実していることで知られている。そうでなくては忠臣蔵を題材とした創作バレエなど出来ようもない。『ザ・カブキ』はその特性をいかんなく発揮していて、討ち入りの場面での四十七士の群舞は圧巻である。これだけ踊れる男性がいるバレエ団など日本では他にないのではないだろうか。こうした男性群舞ならでの、舞台が客席に押し寄せてくる迫力を見ると、日本のバレエ界も人材は豊富になったんだなあと思う。東京バレエ団の未来、そして日本のバレエ界の未来は明るいようだ。

しかし、今回の公演で敢えて苦言を呈させてもらいたいことがある。音である。黛敏郎の音楽が悪いというわけではない。録音された音が古すぎるのだ。私たちの耳はすでにデジタル録音の音に慣れてしまった。特に劇場のようなところではアナログ録音の音は正直興ざめしてしまう。加えて録音技術が悪かったせいか管楽器(特にホルンやチューバ)の音が耳を覆いたくなるほどひどい。もし、今後もこの公演を行うようならば、お金はかかるだろうが再録を願いたい。

また、国内で公演をする際にはタイトルを『ザ・忠臣蔵』と改題した方が、地方の人たちには馴染みやすいのではないだろうか。全国の人たちにバレエの楽しさ、優雅さを味わっていただきたいので、親しみ易さ・分かり易さが大事なのではなかろうか。みなさん、いかがでしょうか。

月曜日, 1月 22, 2007

日本的責任逃れの構造

昨日の夜9時「発掘!あるある大事典2」の捏造問題で番組制作をした関西テレビは視聴者へのお詫びを約5分間全国放送した。その番組内で同局の毛利八郎アナが捏造した経過説明とお詫びを言って深々と頭を下げた。

この毛利アナ、私の高校の同期生で昨年に開かれた同期会にも大阪から駆けつけてくれた。そのとき私が「忙しくないのか?」と聞いたら、「中間管理職(アナウンス部部長)だからヒマなんだよ」と笑っていた。それ以外にも競馬中継の話などを立ち話をした。

さて、本題はここからである。なぜ毛利アナが番組の冒頭で謝罪をしなければならないのだろうか。本来ならば関西テレビの社長である千草宗一が頭を下げるべきである。NHKは受信料を国民から取っているからかどうかわからないが、これまで不祥事があるたびに会長自らが説明責任および謝罪をしてきた。川口幹夫、海老沢勝二、橋本元一と歴代の会長が頭を下げてきた

「発掘!あるある大事典」は番組開始以来、関西テレビが日本テレワーク(東京・品川)に制作を発注して放送している。そして、日本テレワークは番組テーマごとに別の孫請け会社に制作を委託している。つまり、実際の責任は孫請け会社もしくは日本テレワークにある。しかしである。制作された番組を放送しているのはテレビ局だ。そして、その最高責任者は毛利アナではなく千草社長である。

民放のお客様は視聴者でなくスポンサーかもしらない。しかし、今回の捏造で視聴者を欺いて納豆業者や流通業者に多大な迷惑、不信感、そして損害を与えたのは、まぎれもなく関西テレビである。それゆえに、なぜ最高責任者が出てきて謝罪をしないのかはおかしい。毛利アナのお詫びは社長および会社の責任逃れで、こうした日本的責任逃れが問題の本質的解決を遠ざけている。

金曜日, 1月 19, 2007

2006年テレビドラマベスト10

第1位 のだめカンタービレ(フジ)
第2位 純情きらり(NHK)
第3位 14才の母(日テレ)
第4位 セーラー服と機関銃(TBS)
第5位 マチベン(NHK)
第6位 ダンドリ(フジ)
第7位 結婚できない男(関テレ)
第8位 Dr.コトー診療所2006(フジ)
第9位 僕の歩く道(関テレ)
第10位 次郎長背負い富士(NHK)

2006年は久しぶりにドラマにハマッた年でした。この何年かはベスト10を選ぶほど秀れた作品はなくベスト5を選ぶことすら難しい年すらあった。そのことを考えれば、昨年はテレビドラマ豊作年ではなかっただろうか。そして、なにより良かったことは、モデル上がりの綺麗なお姉さんカッコいい大兄さんや、大手芸能プロ所属タレントのゴリオシ的な主役ばかりのキャスティング優先主義の風潮が一新され、企画主体の製作が大事にされたことだった。ただ、ヒットした作品の多くがマンガや小説の原作ものもしくはリメイクものが多く、オリジナル脚本の作品が少なかったことは少々残念でした。

主演男優賞 玉木宏(のだめカンタービレ)
主演女優賞 長澤まさみ(セーラー服と機関銃)
助演男優賞 小出恵介(のだめカンタービレ)
助演女優賞 戸田恵子(純情きらり)
新人男優賞 福士誠治(純情きらり)
新人女優賞 志田未来(14才の母)
脚本賞   井上由美子(マチベン、14才の母)
演出賞   武内英樹(のだめカンタービレ)
音楽賞   服部隆之(のだめカンタービレ)

主演男優賞は文句なしに千秋先輩を好演した玉木宏。彼は昨年『氷壁』『功名が辻』『トップキャスター』と硬軟とりまぜた作品に出演、そして『のだめカンタービレ』で役者開眼した。今後のさらなる飛躍を期待したい。主演女優賞はかなり迷いました。宮崎あおい(純情きらり)、上野樹里(のだめカンタービレ)志田未来(14才の母)と候補はいっぱいいて甲乙つけがたかった。彼女たちはいずれもモデル上がりの女優でなく、しっかりとした演技力を身につけている。そんななかで、セーラー服と胸の大きさで長澤まさみにしました。(笑)

助演男優賞とか助演女優賞というのは候補がいくらでもいるので、これは選者の好みというしかない。戸田恵子は『純情きらり』で室井滋との丁々発止の演技が堂に入っていた。小出恵介は『のだめカンタービレ』でオカマの奥山真澄役を原作の存在以上に大きく膨らませていて驚かされた。新人賞はふたりとも新人というのには失礼かもしれないが、男優賞は『純情きらり』で“達彦さんブーム”を作った福士誠治、女優賞は『14才の母』で熱演した志田未来とした。

スタッフ関係では、脚本賞は『マチベン』『14才の母』と2本の傑出したオリジナル脚本を書いた井上由美子以外誰も考えられない。井上由美子は今もっとも筆がしっかりしている脚本家のひとりで、向田邦子賞の最有力候補だと思います。演出賞はマンガ原作を見事にドラマ化させた武内英樹、音楽はクラシック音楽の素晴らしさを伝えた服部隆之と共に『のだめカンタービレ』組に進呈したい。
(以上敬称略)

水曜日, 1月 17, 2007

はじめて買ったレコードは


昨日書いた「映画館で観た“記憶に残る”最初の映画は?」に続いて、昭和30年代の回顧録(笑)第二弾。あなたが最初に買ったもしくは買ってもらったレコードを覚えていますか?

この問いに答えるのは私にとって意外に簡単だ。なにぶん自問自答なのだから(笑)。それは冗談として、書籍やレコードというものは引っ越しをするたびに減っていくものである。私もアメリカで貧乏学生をしていた頃、引っ越しをするたびに本やレコードは友人に上げたりして、減っていったものだ。しかし、私は日本での住所が一度も変わっていない。おかげで、整理整頓は別にして幼き頃に買ったものはかなり残っている。

さて、この自問自答を解決するべく、何年かぶりにレコードケースをひっくり返してみた。すると出てくるわ出てくるわ、昔よく聞いたEP盤が。加山雄三、ビートルズ、フランク・シナトラ、ダニエル・ヴィダルなどなど。そして、ジャケット裏に書かれた定価を比較していくと、ビートルズの『プリーズプリーズミー』とシルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ!』が330円と他のEP盤に比べて安いことが判った。

ネットでこの2枚を調べてみると、『プリーズプリーズミー』は日本では64年3月5日に発売(イギリスではなんと1年も前の1963年01月11日に発売)。シルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ!』64年11月に発売されているので、どうやら私が一番最初に買ってもらったレコードは『プリーズプリーズミー』のようである。記憶の中では『アイドルを探せ!』だと思っていたのだが・・・。

それにしても、このレコード。ジャケット写真はカラーでなく2色刷りとチープ。何人もの人が手にしたのかジャケットがボロボロになっている。ちなみに一番最初に買ってもらったLP盤もやはりビートルズで『ヘルプ!』で、このことは鮮明に覚えている。なぜならば、親父がフランスで買ってきたもので、ビートルズの表記が『THE BEATLES』でなく『LES BEATLES 』だったのである。

火曜日, 1月 16, 2007

“記憶に残る”はじめての映画は


Mixiのトピックに「はじめて映画館で観た洋画は?」というのがあった。洋画にしろ邦画にしろ「はじめて映画館で観た映画は?」と聞かれても、正直覚えていない。『これがシネラマだ』だったかそれとも『101匹わんちゃん大行進』か・・・。しかし「映画館で観た“記憶に残る”はじめての映画は?」と聞かれれば、即座に『キングコング対ゴジラ』と答えられる。

私が生まれた1954年は世界に誇る日本映画の傑作が2本誕生した。ひとつは黒沢明監督の『七人の侍』、もうひとつが田中友幸製作、本多猪四郎監督、円谷英二特殊技術、伊福部昭音楽による『ゴジラ』である。この年は数多くの名作が生まれていて、キネマ旬報ベストテン1位は木下恵介監督の『二十四の瞳』で、『七人の侍』は3位にしかなれず、『ゴジラ』は圏外だった。

『キングコング対ゴジラ』はゴジラシリーズ第3弾として作られ1962年夏に公開された。私は当時小学校2年生で、この映画を夏休みで遊びに行っていた静岡で見た。そして、東京への帰り道に東海道線上から、映画のなかでキングコングとゴジラによって壊されたはずの熱海城を見て、子供心に不思議な感覚になったことを覚えてる。また、この映画に出演していて後にボンドガールとなった浜美枝と若林映子が妖艶だったことも覚えている。そしてなにより、キングコングがいる南の島で踊る女性たちの姿に胸がときめいた。小学校2年にして、その道を歩み始めると同時に怪獣映画の虜になってしまった。

『キングコング対ゴジラ』のヒット以降、東宝は怪獣映画を次々と公開していった。『モスラ対ゴジラ』 『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 地球最大の決戦』『怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ』『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』と怪獣映画が私にとっては夏休みや冬休みのお楽しみとなった。

しかし、ゴジラシリーズの第6作『怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ』のときに併映されていた加山雄三主演の『エレキの若大将』を見てからは、『若大将』シリーズや石坂洋次郎シリーズを見るようになり、思春期の少年への道を歩みはじめていった。怪獣映画は私にとって子供映画としての楽しみと同時に、後の映画少年になるためのキッカケでもあった。

木曜日, 1月 11, 2007

「3丁目の夕日」の世界 ー 東急碑文谷工場

先日、小学校時代の友人たち6人と新年会を行った。そのなかで話題に上がったのが東急碑文谷工場(現在のスイング碑文谷、アトリオ・ドゥーエ碑文谷)だった。ここは昭和30年代を子供で過ごした我々にとっては忘れ難い場所のようであった。

東急東横線学芸大学駅と都立大学駅のほぼ中間、渋谷から横浜方面へいく下り電車の左手(東側)に大きなゴルフ練習場がある。スイング碑文谷だ。私はゴルフしないのでよく知らないが、話によるとここは日本一高いゴルフ練習場らしく、数多く芸能人が練習に訪れるそうだ。その隣にはスポーツジムのアトリオ・ドゥーエ碑文谷があり、私もここで汗を流している。こちらはゴルフ場のように高くない。


東急碑文谷工場は戦後まもない1946年に作られた。その目的は車輌の定期点検、改造、修理などであった。その車輌は当初は東横線や目蒲線(現目黒線)などの東急の車輌だけだったが、いつの頃からか相模鉄道、京王、小田急、伊豆急行、都電といろいろな会社の車輌がここで修繕されていた。

しかし、1964年の東京オリンピック頃からは修繕する車輌の数も少なくなり、敷地は保線の資材置き場と化していった。そして、1966年に着工した中目黒ー都立大学間の高架工事に伴い工場は閉鎖され、高架工事の現場事務所となり、1968年にレールなども撤去されその歴史に幕を閉じた。

我々がこの敷地で遊んだ小学生時代はすでに引き込み線に車輌はあまりなかった。写真を見ればわかるように子供にとってここは遊び場としてはかっこうの場所だった。線路の上を歩いたり、隠れんぼをしたり、キャッチボールをしたり、と遊ぶことはいっぱいあった。中でも私が一番好きだったのは南側段丘したの湧き水でザリガニや小さな魚を取ったりするのが好きだった。

今こうして写真を見ると、「3丁目の夕日」の世界を体験した我々は幸せなのかもしれない。


写真左は「東急碑文谷工場ものがたり」(著・関田克孝、宮田道一)の表紙写真に使われているもの。写真の右手の小高くなっているところが東横線の本線。奥が南側段丘になり、現在のゴルフ練習場の打ち方になっている。

写真右は「東急碑文谷工場ものがたり」の文中写真。南側段丘より撮ったもので、すでに工場は資材置き場化している。左側が東横線の本線で初期のステンレスカーが走っている。右側の草むらはすすき。なぜか洗濯物が干されていて、ひとり子供が遊んでいる。

水曜日, 1月 10, 2007

2006年私的10大ニュース

先日2006年スポーツ10大ニュースを書きましたが、今回は非常にプライベートな10大ニュースです。

1.左肩鍵盤損傷による手術と1ヶ月余りの入院生活(11〜12月)
2.久しぶりにドラマにハマる(4月〜)
3.高校卒業以来30余年ぶりの同期会に出席(10月)
4.ブログおよびMixiを始める(9月)
5.王ジャパンW杯アジア予選を観戦(3月)
6.寄合の常連客10数人と温泉旅行で幹事を務める(5月)
7.12年連続のメジャーリーグ観戦(5月)
8.青森県に3度も行く(8〜9月)
9.退院後メインのMacが起動せず(12月)
10.スポーツジム4年目に突入(8月)

1位はやはり生まれて初めての大きな手術(ガキのときに盲腸があるが)と1ヶ月余りの入院生活。このことをご存知ない方は11月と12月の日記に書いてありますのでご一読を。ただ、病院というところは本当にネタに困らないところだと、つくづく思いました。

第2位はドラマです。久しぶりにハマりました。特に『純情きらり』『のだめカンタービレ』は真面目に見ました。他にも『14才の母』『セーラー服と機関銃』『マチベン』など秀作が多かった1年でした。

3位は再会です。30余年ぶりにあった旧友たちのほとんどの髪が黒かった。白髪だったのは私ともうひとりだけ。オジサン、オバサンになったくせに、みんな染めてやがって、見えっ張り〜〜。

4位はブログとMixiを開始したことです。2年前からブログはやるつもりだったのですが、なぜか昨年の9月になってしまいました。そしたら、某ページ作者さんからMixiにお招きをいただき、参加することになりました。ブログより応答の多いMixiは職業柄かなり参考になります。

5位は感動です。アジア予選を東京ドームのバルコニー席という特等席から観戦。王ジャパンほど足の速いチームは見たことがない、と思いました。イチロー、西岡、川崎は一塁ベースを疾風のごとく駆け抜け、小笠原、松中もトップギアで走っていました。ああ、サンディエゴまで見に行かなかったことが今でも悔やまれます。(泣)

6位は地元の飲み屋の常連客10数人を引き連れて別所温泉まで行きました。すべて私がコーディネートしました。一応この方面ではセミプロなので。おかげで今年も私が幹事をやる羽目になりました。なにぶんこの飲み屋では私はまだまだ若輩者なのです・・・。

7位はメジャーリーグ観戦。野茂英雄がメジャーに行った1995年から毎年見に行っていますので、ついに12年になります。まあ、西海岸やニューヨークは昔住んでていたり、仕事で何度も行ったところなので、すみませんが気軽な気持ちで行っています。

8位は青森県です。短期間に同一県に3回も行くことは初めてだと思います。近くの温泉に行きたかったもんで、ついつい足を運んでしましました。すみません。

9位はまだ解決していません。10位は2003年7月から始めたジムでの運動がまる3年経過。4年目に突入。飽きっぽい性格の人間としてはよく頑張っています。(笑)

ということで、2006年は大きな仕事をしたわけでもなく、大きな買い物をしたわけでもなく、競馬でも万馬券は取れませんでした。今年はもっと浮いた話、楽しい出来事がある年になればと思っています。みなさん、よろしくお願いします。

木曜日, 1月 04, 2007

2006年スポーツ10大ニュース

少し遅れましたが、昨年のスポーツベスト10です。

1.王ジャパン WBC初代チャンピオン(3月)
2.トリノ冬季五輪 カーリング娘大健闘(2月)
3.フランス凱旋門賞 ディープに嵌め込み疑惑(10月)
4.田口壮 ワールドシリーズ制覇に貢献(10月)
5.サッカーW杯 ジーコジャパン無惨(7月)
6.夏の甲子園決勝 早実vs駒苫で阿鼻叫喚(8月)
7.日本シリーズ パリーグが4連覇(10月)
8.トリノ冬季五輪 荒川静香金メダル(2月)
9.松坂大輔 驚愕の60億円落札(12月)
10.ボクシング 亀田興毅・疑惑の判定(8月)

1位は文句なしに王ジャパンです。第2位は世間では荒川静香だろうが、私はもうカーリング以外ありません。トリノ五輪でこれほど楽しめたスポーツはなかった。いや〜、ハマりましたハマりました(笑)。

3位は疑惑です。どっちの疑惑といえば、もちろんフランスが仕組んだ疑惑です。凱旋門賞なんて世界一のレースでもなんでもありません。所詮フランスのご都合主義のレースです。日本馬は二度とこんな馬鹿げたレースに行くことはないでしょう。世界にはブリターズカップや香港カップのような本当のオープンなレースがいくつもあります。

4位は田口壮です。マイナーも経験して這い上がってきて、最後の瞬間にグランドにいたのですから。数多くの日本人プレイヤーが海を渡りますが、彼のような人を忘れないでもらいたい。5位は無惨です。私は就任時からジーコ批判を続けてきましたが、これほどヒドイ結果になるとは・・・。そして、もっとヒドイのは負けたあと、ジーコも川淵も総括も反省もしていないということです。サッカー界は野球界よりもヒドイ体質なのかもしれません。

6位、7位は野球です。先日も書きましたが、高校野球を久しぶりにマジで見てしまいました。また、4年連続パリーグの異なるチームが日本一になったことはパリーグファンとしては嬉しかったです。

8位にやっと荒川静香です。実は私は彼女の演技に感動しなかったのです。まあ、メダルをとれるとは思ったけど、まさか金メダルとは。金メダルの最大の理由は「トゥーランドット」だったと今でも思っています。

9位は驚愕です。60億円とは西武は宝くじを20回当てたような気分でしたでしょう。松坂がこれに見合う活躍をするかどうか。この金額だと最低15勝はノルマですね。10位は正直入れたくなかったけど、日本のボクシング界がいまだに恥だということで。

こうして見ると、5つが野球絡みです。本当はワールドカップがありサッカーがもっとクローズアップされる年だったはずなのに、こんなに野球がクローズアップされるとは皮肉なもんです。2007年は野球やサッカー以外にいろんなスポーツが10大ニュースに入ることを望んでいます。

月曜日, 1月 01, 2007

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

さて、新春からお詫び。
昨年末入院をしていたり、その期間中にメインのパソコンが壊れたりしてしまったために、年賀状をまだ書いていません。これから書きます。すでに年賀状を送っていただいた方、届きしだい返信させていただきます。