月曜日, 1月 22, 2007

日本的責任逃れの構造

昨日の夜9時「発掘!あるある大事典2」の捏造問題で番組制作をした関西テレビは視聴者へのお詫びを約5分間全国放送した。その番組内で同局の毛利八郎アナが捏造した経過説明とお詫びを言って深々と頭を下げた。

この毛利アナ、私の高校の同期生で昨年に開かれた同期会にも大阪から駆けつけてくれた。そのとき私が「忙しくないのか?」と聞いたら、「中間管理職(アナウンス部部長)だからヒマなんだよ」と笑っていた。それ以外にも競馬中継の話などを立ち話をした。

さて、本題はここからである。なぜ毛利アナが番組の冒頭で謝罪をしなければならないのだろうか。本来ならば関西テレビの社長である千草宗一が頭を下げるべきである。NHKは受信料を国民から取っているからかどうかわからないが、これまで不祥事があるたびに会長自らが説明責任および謝罪をしてきた。川口幹夫、海老沢勝二、橋本元一と歴代の会長が頭を下げてきた

「発掘!あるある大事典」は番組開始以来、関西テレビが日本テレワーク(東京・品川)に制作を発注して放送している。そして、日本テレワークは番組テーマごとに別の孫請け会社に制作を委託している。つまり、実際の責任は孫請け会社もしくは日本テレワークにある。しかしである。制作された番組を放送しているのはテレビ局だ。そして、その最高責任者は毛利アナではなく千草社長である。

民放のお客様は視聴者でなくスポンサーかもしらない。しかし、今回の捏造で視聴者を欺いて納豆業者や流通業者に多大な迷惑、不信感、そして損害を与えたのは、まぎれもなく関西テレビである。それゆえに、なぜ最高責任者が出てきて謝罪をしないのかはおかしい。毛利アナのお詫びは社長および会社の責任逃れで、こうした日本的責任逃れが問題の本質的解決を遠ざけている。

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