木曜日, 1月 11, 2007

「3丁目の夕日」の世界 ー 東急碑文谷工場

先日、小学校時代の友人たち6人と新年会を行った。そのなかで話題に上がったのが東急碑文谷工場(現在のスイング碑文谷、アトリオ・ドゥーエ碑文谷)だった。ここは昭和30年代を子供で過ごした我々にとっては忘れ難い場所のようであった。

東急東横線学芸大学駅と都立大学駅のほぼ中間、渋谷から横浜方面へいく下り電車の左手(東側)に大きなゴルフ練習場がある。スイング碑文谷だ。私はゴルフしないのでよく知らないが、話によるとここは日本一高いゴルフ練習場らしく、数多く芸能人が練習に訪れるそうだ。その隣にはスポーツジムのアトリオ・ドゥーエ碑文谷があり、私もここで汗を流している。こちらはゴルフ場のように高くない。


東急碑文谷工場は戦後まもない1946年に作られた。その目的は車輌の定期点検、改造、修理などであった。その車輌は当初は東横線や目蒲線(現目黒線)などの東急の車輌だけだったが、いつの頃からか相模鉄道、京王、小田急、伊豆急行、都電といろいろな会社の車輌がここで修繕されていた。

しかし、1964年の東京オリンピック頃からは修繕する車輌の数も少なくなり、敷地は保線の資材置き場と化していった。そして、1966年に着工した中目黒ー都立大学間の高架工事に伴い工場は閉鎖され、高架工事の現場事務所となり、1968年にレールなども撤去されその歴史に幕を閉じた。

我々がこの敷地で遊んだ小学生時代はすでに引き込み線に車輌はあまりなかった。写真を見ればわかるように子供にとってここは遊び場としてはかっこうの場所だった。線路の上を歩いたり、隠れんぼをしたり、キャッチボールをしたり、と遊ぶことはいっぱいあった。中でも私が一番好きだったのは南側段丘したの湧き水でザリガニや小さな魚を取ったりするのが好きだった。

今こうして写真を見ると、「3丁目の夕日」の世界を体験した我々は幸せなのかもしれない。


写真左は「東急碑文谷工場ものがたり」(著・関田克孝、宮田道一)の表紙写真に使われているもの。写真の右手の小高くなっているところが東横線の本線。奥が南側段丘になり、現在のゴルフ練習場の打ち方になっている。

写真右は「東急碑文谷工場ものがたり」の文中写真。南側段丘より撮ったもので、すでに工場は資材置き場化している。左側が東横線の本線で初期のステンレスカーが走っている。右側の草むらはすすき。なぜか洗濯物が干されていて、ひとり子供が遊んでいる。

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