水曜日, 10月 03, 2007

私にとって駅名はまだ「二子玉川園」駅のまま


昔のアルバムをひも解くと、小学校2年生のときの遠足は二子玉川園だった。学校からどのようにして行ったか覚えていない。しかし、学校の近くを走る東急バスの路線に「目黒駅=二子玉川駅」というのがあるので、学校からは簡単に行くことができる。

二子玉川園は現在の二子玉川駅の南東側の多摩川沿いにあった遊園地である。1922年(大正11年)に玉川第二遊園地として開設されたのがその起源とされている。そして、1925年に隣接して玉川プールが開設された。その後、二子玉川園は玉川電気鉄道の直営となったり、読売新聞と提携して読売遊園と改称したりしたが、第2次世界大戦中の1944年に一端閉園となる。

戦後は1954年に東急不動産によって二子玉川園が再開。翌年東京急行電鉄に経営権が移り、フライングコースターを設置したり、隣接した土地に映画館・二子東急を開館したり、五島ローズガーデンを開園して多角的な遊園地経営をすすめた。私がここを訪れていたのは1960年代であったが、当時はミニ自動車、ジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップなどが充実していたように思う。

ここは東宝、国際放映、円谷プロといった映画関係の会社が近くにあったために、数多くの映画やドラマの撮影地として使われた。なかでも、ウルトラ・シリーズ(最近こればっか)や『ブースカ』の撮影が数多く行われた。そして、映画館もあったためか、春休みや夏休みには特設ステージで「ウルトラマンショー」や「仮面ライダーショー」が行われて数多くのチビッコが押し寄せた。おそらくこの頃が遊園地の最盛期ではなかっただろうか。

しかし、その後は各地に絶叫マシーンを揃えたテーマパークが出来たり、沿線の少子化が進んだことになどによって、入場者数は減っていき1985年に閉園されて、ナムコ・ワンダーエッグになった。しかし、これも2000年末を閉園となり、跡地は現在二子玉川東地区再開発地域となっているが、反対運動もありまだまだ建設は進んでいない。

そして、二子玉川園の変貌によって、多摩川駅同様に二子玉川駅の駅名も何度も変更された。

1907年に玉川電気鉄道(後の東急玉川線)が開設した当時の駅名は「玉川」駅。それが20年後の1927年に目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の大井町線)が開通して駅名は「二子玉川」駅と別名をつけた。そして、1939年に玉川線「玉川」駅が「よみうり遊園」駅に改称。翌年の1940年には大井町線・玉川線の両駅を統合して「二子読売園」駅となった。ところが読売遊園が休園になったために、1944年には「二子玉川」駅に改称。そして、1954年に二子玉川園が開業すると、「園」がついて「二子玉川園」駅となった。しかし、2000年に新玉川線を田園都市線に統一する機に駅名は「二子玉川」駅に改称され現在に至っている。

ただ、私にとってここの駅名は「二子玉川園」駅のままである。

0 件のコメント: