ダイエー碑文谷店(碑文谷ダイエー)は全国のダイエーのなかでも最大規模店のひとつで、売り上げも常時トップに入る関東における旗艦店である。しかし、この碑文谷ダイエーの昔を知っている人は地元の人でも少なくなっている。
昭和30年代、現在の碑文谷ダイエーの敷地には、流し台やシステムキッチンで有名なサンウェーブの工場があった。かなり大きな工場で若い労働者がいっぱい働いていて、昼休みになると外で男女の若者が作業着姿でバレーボールをしていたことをよく憶えている。昼休みのああした光景は今でも地方の工場などにあるのだろうか。
しかし、サンウェーブも高度経済成長が一服した1964年(昭和39年)に倒産して、この工場を手放さざるを得なかった。その後しばらくここは更地だったが、60年代後半のボウリング・ブームで大儲けしたトーヨーボールの横井英樹がここを買った。そして、横井はここに都立大学にあったトーヨーボールの3倍以上の200レーンある日本一のボウリング場を作ろうとした。ところが、建設途中にボウリング・ブームは下火になり、彼は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった中内功率いるダイエーに建物を貸すことにした。中内も東京に旗艦店を作りたかったので、二人の思惑は一致した。碑文谷ダイエーを知っている人ならば、エスカレーターやエレベーターの位置、天井の形状や高さを考えれば、ここがボウリング場を作るはずだったことがよく分かるはずである。
そして、碑文谷ダイエーは1970年代の半ば(1975年?)にオープンした。今年でオープン20年余りになり、町のシンボルのような存在になっている。
あと、余談になるが碑文谷ダイエーのとなりに高く聳えて立つのはマンションのキャッスル共進。おそらく築35年ぐらいになるマンションだが、間取りは広く構造もしっかりしているので今でも人気がある。ちなみに、ここは共進自動車というタクシー会社だった。そして、目黒通りを挟んだ反対側の現在LPガス給油所になったところには旭自動車というタクシー会社があった。目黒区には今でも数多くのタクシー会社があるが、昔はもっといっぱいあった。
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