
どうやらこうしたことによって安藤という本名と広重という雅号が一緒になって安藤広重という名が伝わったようである。ただ広重自身は絵の世界で生涯「安藤広重」と自ら名乗ったことはなかったようである。いずれにしろ、広重が武士であったことから、その名が明治・大正・昭和と受けつかがれていき、安藤広重と歌川広重が混在するようになってしまったようである。そして、それを避けるために2017年02月15日の文部科学省の「次期学習指導要領等の改訂案」で雅号である「歌川広重」に統一され、「安藤広重」という名は教科書等から消えていった。
しかしである。なんで安藤広重という名を無くしたのであろうか。安藤広重という名があったからこそ、彼が武士であり浮世絵師であったこともわかるのに・・・。まあこれからは『東海道五十三次』の作者は歌川広重と覚えられるようだが、私からすれば別名も覚えておいてほしい。ただ、葛飾北斎のいくつあるか分からない別名を覚えろとは言わないが・・・。(笑)
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