水曜日, 1月 18, 2023

あまり好きな言葉ではないが、北の富士勝昭には文化勲章ものの功績がある

昨日の大相撲中継、関脇琴ノ若の祖父である琴桜と解説の北の富士を紹介しているときに映し出された番付表(写真下)に驚いた。昭和48年(1973年)初場所の番付表である。私はこの時高校3年生。

大関の琴桜はこの場所に優勝して32歳2ヶ月という最高齢で横綱に昇進した。輪島は後に横綱になり黄金の左といわれ、通算14回幕内優勝を記録した。清国は知っている人なら知っている名大関、長谷川も勝率が高く最強の関脇といわれた名関脇。北の湖はご存知の後の大横綱になる。大麒麟、貴ノ花、高見山、増位山もみんな個性豊かな素晴らしい大関だった。

そして、この話を昨晩某所でしていたら「前頭には大受や黒姫山がいるのではないですか」という話になり、調べてみたら写真下のように、前頭筆頭は共に後に大関になった大受と魁傑、前頭3枚目には後の横綱・三重ノ海、5枚目には後に大関となり大島部屋を起こした旭国と黒姫山(後に関脇)、8枚目に栃東(後に関脇)、9枚目にこれまた後に大関になった前の山がいる。

北の富士(優勝10回)はライバル玉の海(優勝6回)が1971年10月に急逝したことで、1年以上も独り横綱を張って苦労はしたが、素晴らしい後継者たちに恵まれていた。というより、そういう才能ある力士たちに胸をかしていたのである。

現在の北の富士勝昭が人気があるのはその甘いマスクや語り口だけではない。70年代前半の土俵を支え、そして、しっかり後進にバトンを渡したことことを知っている人が今なお多くいるからではないだろうか。あまり好きな言葉ではないが文化勲章ものの功績がある。

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