昨年は高校のクラス会の幹事をやらされたが、今年は小学校のクラス会の幹事を押し付けられた。私は目黒区の鷹番小学校というところを41年前に卒業している。その後、目黒八中へ進んだが、鷹番小学校から目黒八中へ行ったのは私を含めて4人しかいなかった。私立へ進学した者を除いては、そのほとんどが目黒六中へと進んでいる。であるから、目黒六中へ行った者の方が幹事をするのが常道だと思うのだが、なぜか私のところにお鉢が回ってきてしまった。
さて、41年前の人間の消息を探すということは大変である。
まず最初に今でも付合いのある小学校時代の友人を片っ端からあたって、連絡先を確認する。ここまでで、クラスの半分の20人はなんとか探しだすことができた。しかし、この先が苦難の道のりである。卒業アルバムに載っていた40年前の家に電話をしたり、手紙を送ったりする。これで女性陣5人が判明した。ところが、男性陣はほとんど反応をしめさない。そこで、ネットを駆使して、いくつかの手がかりを元に、なんとか2人を探しあてた。その後何人か連絡がつき残りは9人である。正直手がかりがなくどん詰まり状態である。
クラス会というのはいつなんどき開かれるかわからないものである。クラス会など絶対に参加しないとう人は別にして、クラスメイト2〜3人には連絡先を必ず伝えておくようにするべきである。特に小学校のクラスメイトは忘れずにしてほしいものである。
ということで、1967年(昭和42年)目黒区立鷹番小学校卒業6年2組(担任:本藤先生)の下記のクラスメイトを御存じの方は私まで御一報ください。
秋元久叔、白井康之、原田隆明、茂木直登、戸田信子、渡辺扶蓉
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