月曜日, 1月 12, 2009

大江戸八百八町、本当はいくつあったの?

江戸(東京)は八代将軍徳川吉宗が統治していた享保年間(1716年〜1735年)には、人口100万を擁する世界最大の都市であった。よく大江戸八百八町と言われるが、この時代にはすでに八百八町以上の町があり、八百八町という言葉は単に多いという意味だけで、実数を示すものではなかったことは言うまでもない。

それでは、いったい江戸にはいくつぐらいの町があったのだろうか。徳川家康が江戸に入府したとき、江戸の町数はおおよそ300ぐらいだったと言わている。その後、1662年(寛文2年)に674町、1713年(成徳3年)に933町、1745年(延享2年)に1678町となったというデータがあり、幕末には2000町以上の町が存在していたようである。

ただし、こうした八百八町の街並みがある町家地は江戸全体に占める割合は20%しかなく、残りの60%が武家地、20%が社寺地だった。つまり、華やかりし庶民文化が花咲いた大江戸は実際には非常に狭い地域にうごめいていたのである。

江戸の町人の数がはっきりするのは1721年(享保6年)のことで、その数は501,394人であった。その後は、町の数は増えるものの幕末までは人口は50万人から55万人で推移している。一方、武士の数ははっきりした数字はないものの、約60万人と言われ、江戸は当時(18世紀)世界一の都市であったことは間違いない。ちなみに、江戸時代(18世紀)の京都の人口は30万人〜35万人、大阪は35万人〜45万人で推移している。

当時の江戸とは東は亀戸、西は新宿、南は品川、北は千住あたりまでで、残念ながら私が生まれ育った目黒区碑文谷は江戸には含まれていなかった・・・。

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