土曜日, 12月 18, 2010

年賀状の起源と前島密

「年賀状って、いったい誰が始めたのかしらね。まったく面倒なことをしてくれるは」と、年賀状を書きながら母親がブツブツ言うので、私が「前島密が始めたんじゃないの」と答えると、「ああ、そういう人いたね」と。

というわけで、いったい年賀状は誰が始めたのかを調べてみると、前島密という答えはさほど遠かれ近かかれずの答えのようであった。

日本に郵便制度が出来たのは1871年(明治4年)4月。創始者の1人は前島密である。そして、1873年(明治6年)に郵便はがきが発行されると、翌年から中世よりあった武家社会などの年末年始の挨拶を簡素かするために、年賀状を送るという習慣が自然発生的に広まった。そして、明治中期(20年頃)には年賀状は一般的なものとして定着したようである。つまり、年賀状は年末年始の代用なのである。それでいて、年賀状を出した上に、年末年始の挨拶回りをするというのもおかしなものであるが・・・。

で、ついでに前島密について調べると、彼の人生は面白い。

前島密は1835年(天保6年)に越後(現在の上越市大字下池部)の豪農上野家に生まれる。江戸で洋学を習得したあと、幕臣の前島家の養子となる。そのときに、幕府に漢字廃止論の議を提出する。維新後は明治新政府に出仕して、明治3年から4年にかけてイギリス留学する。帰国後、駅逓頭・駅逓総監などを歴任。郵便、新聞、運輸など近代制度の創設に尽力した。

しかしながら、明治14年の政変で政府を去り、大隈重信らと立憲改進党を結成。その後、東京専門学校(早稲田大学)校長、関西鉄道社長を務めた。そして、明治21年に逓信次官として官界に復帰。電話事業の創始に尽力して官営電話交換制度を設ける。明治24年に退官後は北越鉄道株式会社社長に就任。晩年は男爵、貴族院議員に。1919年(大正8年)に逝去。

大河ドラマになりそうな人生を送っている人に思える。

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