金曜日, 12月 07, 2007
日本人があまり行かない観光地 ポーツマス
日本史のなかでは必ず登場するポーツマス。しかし、その場所がどこにあるかはほとんどの人は知らない。ポーツマスはアメリカ東海岸、ニューハンプシャー州の南端にあり、その人口は約25,000人という小さな町である。町の歴史は古く1623年にまで遡るが、大した産業はなく、最大の企業はピスカタカ川を挟んだ対岸のメイン州にあるアメリカ海軍造船所(海軍工廠)、ポーツマス海軍工廠である。
そして、そのポーツマス海軍工廠で1905年9月に日露戦争終結のための日露講和条約が結ばれた。この条約で日本は満州南部の鉄道及び領地の租借権、朝鮮半島の排他的指導権などを獲得して帝国主義への道へまっしぐらになった。しかしながら、ロシアから1文の戦勝賠償金を得ることができず、帰国した全権大使の小村寿太郎は国民から売国奴呼ばわりされた。
さて、ポーツマスは正直訪ねるところがない。海軍工廠は海軍の施設なので観光客は入ることができないし、使節団が滞在したホテルも隣町にあり、ポーツマス市内にはポーツマス条約に関する史跡がまったくない。このために、町の人たちも私が説明しても、全然その条約の存在を知らない。私がこの条約締結によって、仲介者であるルーズベルト大統領が後にノーベル平和賞を受賞したんだよ、と言っても、みんな「へぇ〜」なのである。
典型的な東海岸の田舎町である。2005年には日露講和条約調印100周年の記念式典が行われたそうだが、おそらく今行ってもポーツマスには何もないだろう。
写真:ポーツマス海軍工廠
(観光船右上の黒く見える物体は原子力潜水艦)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿