私が小学校に通い始めたころ(昭和30年代半ば)までは、私の家の前を肥桶を積んだ大きな荷車を牽く馬が行き交いしていた。当時は目黒や世田谷にはまだまだ畑がいっぱいあり、畑のそばには外見は井戸に似ているものの、すっごい異臭を放つ肥溜があり、子供たちの間での悪口のひとつに「おまえ、肥溜に落すぞ」なんて言っていた。
都心はどうだったか知らないが、昭和30年代半ばまでは下水道がまだ完備されていなかったために、トイレは汲取り式で月に1回ぐらいバキュームカーがやってきて、浄化槽に貯まった糞尿を回収していった。バキュームカーについている長い汲取り用のホースの先にはなぜか軟式ボールがついていた。
しかし、私の家の前は肥桶を積んだ荷車は通るのに、私の家にお百姓さんが汚泥を取りにくることはなかった。なぜだったなのだろう。昔ながらの家や大きな家など契約した家からしか汚泥を取っていかなかったのだろうか。
そんな肥桶を積んだ荷車も東京オリンピック(昭和39年)と共に見ることはなくなった。そして、バキュームカーも1970年代後半には見かけることがほとんどなくなった。ただ、地方ではまだまだ走っているところはあるようである。
0 件のコメント:
コメントを投稿