以前、目黒通りの歩道には夜な夜なラーメンやおでんなどの移動式屋台が出没した。ところが、この何年かはまったく見かけない。これは目黒通りに限ったことでなく、渋谷駅や恵比寿駅周辺にあった屋台も見かけなくなり、ひょっとすると東京の町からほとんどの屋台が消えてしまったのではないだろうか。
もともと屋台とは店先に出窓のようにして作った部分を表す言葉だったようだが、それがいつしかその出窓というか軒先が独り歩きして、江戸時代の半ばごろより、担ぎ蕎麦や立ち売り寿司などが登場するようなった。これらは今のファーストフードにあたり、江戸庶民の人気を得ることになった。
そして、時代はかなり飛ぶが戦後の闇市のなかから焼き鳥などの新しい屋台も登場して、その流れからラーメンの屋台も登場した。しかしながら、食品衛生法、道路交通法などの法律で屋台の取締が厳しくなり、1964年の東京オリンピックのときに所管官庁は徹底的に排除に乗り出したようである。それでも、屋台は平成の時代まで残っていた・・・。
でも、もうその姿を見かけることはなくなってしまった。おそらく営業許可というか認可が下りないのだろう。衛生上の問題もあるだろうが、道路占拠や夜間騒音などの苦情によるも多いらしい。東南アジアでごく一般的な屋台が日本からなくなるのは寂しい限りである。もはや屋台は「明星チャルメラ」のパッケージだけの世界になってしまったのだろうか。
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