火曜日, 3月 05, 2024

錦帯橋を渡る子供たち 一生自慢できる通学路だ

大分の岡城跡、原尻の滝、小倉競馬、岩国の錦帯橋&岩国城などを訪れる旅をしてきたのですが、最も印象に残ったのがこの写真です。

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、朝宿泊しているホテルから錦帯橋を見ると、ランドセルを背負った小学生が何人も橋を渡っているではありませんか。

いや〜、国の史跡名勝天然物に指定された橋を渡って学校に通うのです。なんと羨ましいというか、子供にとっては大変かもしれませんが、大人になったら間違いなく一生自慢できる通学路でもあります

岩国出身の知り合いによると、吉香公園(旧岩国高校跡)などがある横山地区の子供たちはランドセルにパスケース(通行許可証が入っている)を下げて登校するそうです。ただ、雪の日は橋を渡るのがめちゃ怖いとのことです。

確かに橋を渡ったときに、風の強い日や雨の日は大変だろうなあと思いましたが、雪の日はスリップしたりするかもしれないので、怖いに違いありません。おそらくそんな日は大人がある程度見守っているとは思うのですが・・・。

現在、錦帯橋は世界遺産登録を目指しています。もし登録がなされたなら、日本で最初の世界遺産の通学路の橋になるのではないでしょうか。いずれにしろ、一生自慢できる通学路だと思います。

火曜日, 2月 13, 2024

静岡の旅③ 清水の次郎長

清水の次郎長といえば、戦後の映画やドラマの花形であった。その原作は村上元三の連作時代小説「次郎長三国志」。だが、明治時代には初代玉川勝太郎が次郎長ものを演じていて、それを講釈師松廼家京伝(伊東潮魚)が脚色して三代目神田伯山の講談「名も高き富士の山本」が出来上がり、明治末期から大正にかけて「次郎長伯山」と人気を博した。それが昭和に入ると、二代目広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」を作り上げた。つまり、村上元三の小説はこうした講談、浪曲などを脚色して書かれた半ノンフィクション小説と言える。

しかしながら、その清水の次郎長を題材にした映画やドラマは昨今ではほとんど制作されなくなってしまった。連続ものドラマでは2006年6月から8月にかけて山本一力の「背負い富士」を原作としたNHK木曜時代劇「次郎長 背負い富士」(主演:中村雅俊)、単発スペシャルものでは2010年1月のテレビ東京「ジロチョー~清水の次郎長維新伝~」(主演:中村雅俊)を最後に制作されていない。つまり、もう14年以上も中村雅俊に代わる新しい次郎長を目にしていないのである。残念だ。

さて、今回訪れた次郎長の生家(登録有形文化財)。清水のその名も次郎長通り商店街にある。建物は江戸末期の建築といわれ、次郎長が1820年(文政3年)生まれなので、おそらく200年以上は経っている。間口は2間半と狭まいが、鰻の寝床ではないが奥行きが5間半の平屋と、中庭を挟んで奥行四間二尺の二階建てが繋がっている。江戸時代の典型的な町屋建築といわれている。

清水の次郎長こと山本長五郎はこの生家である商家の高木三右衛門の次男として生まれるが、母親の弟で近くに住んでいた米屋・甲田屋を営んでいた山本次郎八の養子に出された。そのことによって次郎八のところの長五郎ということで「次郎長」と呼ばれるようになった。

なお、この生家の近くには次郎長、お蝶、大政、小政の墓がある梅蔭禅寺、次郎長が経営していた船宿「末廣」(改装中で見学できず)、次郎長が手厚く埋葬した咸臨丸乗組員の墓がある。今回の旅で時間的制約でこれらを訪れることはできなかったが、清水は意外にバスの便がいいことが分かったので、近いうちに訪れてみたいと思う。

日曜日, 2月 11, 2024

静岡の旅② 長〜い長〜い蓬莱橋

映画やドラマの時代劇などのロケ地として有名な島田市にある蓬莱橋。大井川にかかるその橋の長さは897.4m(通行幅2.4m)で、1997年には「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定された。

蓬莱橋は明治に入って徳川慶喜の幕臣たちが大井川右岸の牧之原台地を開墾するにあたって、大井川を船による渡航だけでは限界があるということで、1879年(明治12年)1月13日に橋を完成させた。当初はもちろん橋脚部分も木製であったが、1965年(昭和40年)に橋脚部分だけはコンクリート製にしている。

さて、その蓬莱橋を渡るには片道だいたい15〜20分かかる。ただし、私が行った日は上流から下流に向かう風が強く途中何度か立ちどまざるをえなかったことと、初めて渡るということで足元を見ながら注意深く歩いたためにに20分近く時間を要してしまった。しかし、帰りは風が少し弱まったせいか、それとも足元に慣れたためか15分で戻ってきました。ちなみ渡橋料は100円。

土曜日, 2月 10, 2024

静岡の旅① 現存四御殿のある掛川城

リニアモーターカーのことで静岡県知事は大井川の水流が変わるとかいろいろ言って、静岡県を素通りされるのを怒っているが、首都圏の我々にとっては伊豆を除く静岡県は通り過ぎるところ。m(_ _)m それゆえに、これまで静岡県(主に駿河)を旅したことはなかった。ということで、今回は反省の意を込めて静岡を旅してきました。

掛川城は戦国時代山内一豊の居城。この辺のことは司馬遼太郎の「功名が辻」に書かれていると思いますが、私は未読。一豊時代に整備築城された天守閣は1854年の安政の大地震(安政東海地震)で崩落。現在の天守閣は1994年(平成6年)に再建されたもので日本初の木造復元天守。一方、政務所でもあった二ノ丸御殿は1861年(文久元年)に再建され、現在は重要文化財に指定されている。

お城好きの間では掛川城は日本初の木造復元天守として広く知られているが、ここは天守もいいが御殿がそれ以上に素晴らしい。お城好きでもあまり知られていないのが、御殿が残るお城は全国に4つしかない(現存四御殿)ということ。そのなかでも天守と御殿があるのは高知城と掛川城のみ。二条城と川越城には御殿は残るものの天守はない。その意味において掛川城は高知城のように現存12天守ではないが、貴重価値のあるお城。

お城は駅から徒歩10分と近いので、お城好きの人は途中下車して是非とも訪れてみてください。

チャリ亭@赤坂会館

一昨日(8日)は赤坂会館で開かれた能登応援落語会「チャリ亭」へ。チャリ亭は春風亭柳枝が発起人となり、柳亭小燕枝、柳亭小痴楽らが番頭を務め、らくごカフェ、赤坂会館、ばばん場が場所を提供するチャリティ落語会。昨日の出演者と演目は下記の通り。

春風亭一蔵 「鷺とり」
柳亭こみち 「時そば」
オークション
〜仲入り〜
ロケット団 漫才
入船亭扇遊 「干物箱」

開演前に二ツ目の柳家小はだが淹れたコハダコーヒーをいただく。コクがあり、めちゃくちゃに美味かった。会場の壁にはさりげなく(?)オフィスエムズの加藤さんが貼った1966年(昭和41年)正月の大須演芸場のポスターがあり、そこには超懐かしい名が並んでいる。

春風亭一蔵の「鷺とり」は誰も鷺とは思えない仕草に観客一同大苦笑い。柳亭こみちの「時そば」はお姐さんバージョンで威勢と気っ風がいい。ロケット団は昭和から平成の出来事を毒舌で回顧。入船亭扇遊は超ノリノリで「干物箱」を演じる。

最後は扇遊師匠の音頭で三本締め。多くの若手(二ツ目など)が手伝いに来ていたことが印象的。発起人の春風亭柳枝らの願いとチャリティ精神が彼らに確実に継承されていく。いい会だった。



月曜日, 1月 29, 2024

大谷翔平、山本由伸入団のドジャースは嫌われ3球団の1つ

大谷翔平と山本由伸が相次いでロサンゼルス・ドジャースに入団したことで、ドジャースのユニフォームやTシャツが飛ぶように売れている。また、テレビではシーズン前にもかかわらず大谷翔平の一挙手一投足ならぬ一挙一動が報道されている。そのためか、いわゆるにわかドジャース・ファンが急増中である。

しかし、ドジャースは全米で嫌われているチーム3の1つであるということを日本ではほとんど知られていない。写真下は2023年6月末日時点でのTwitter(現・ X)での「嫌いなチーム」と呟かれた数である。

1. Los Angeles Dodgers - 9016
2. New York Yankees - 8712
3. Houston Astros - 7658
4. New York Mets - 6326
5. Atlanta Braves - 582

ドジャースは金満ヤンキースやサイン盗みアストロズより嫌われているのである。また2022年の調査でも下記のような結果でドジャースはヤンキースに次いで嫌われているのである。

1. New York Yankees - 6766
2. Los Angeles Dodgers - 5618
3. Houston Astros - 4865

また2021年の州別嫌いなチーム分布図は写真下のようになっていた。ここでもドジャースは、ワイオミング、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコの西部5州、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマの南部3州、そしてアラスカと、なんと9州で嫌いなチーム1位になっている。これはヒューストン・アストロズの7州を上回る。ニューヨーク・ヤンキースは東部の小さな諸州が加われば8州なので、ドジャースはヤンキースをも上回っている。

そして、データにはないが、カリフォルニアでもドジャースは南カリフォルニアでは人気があるが、私が以前住んでいたサンフランシスコ・ベイエリアや州都サクラメントなどの北カリフォルニアではかなり嫌われている。

火曜日, 1月 23, 2024

能登半島地震 余震回数は減少傾向に

能登半島地震の余震はいつまで続くのだろうか。それを察するにあたり、まずは過去の大地震の余震状況について調べてみました。

東日本大震災の東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)はおそらく最も余震が多い地震であり、発生から13年近く経った現在でも続いているといっても過言ではありません。余震は震度4以上を記録したものが2011年だけで225回を記録。その後も震度4以上の余震を毎年10回以上を記録。その数は185回にもなります。ちなみに本震発生後の1年間でM4.0 以上を記録した余震はなんと5387回もありました。
ただ、東日本大震災はプレート地震で能登半島地震のような断層地震には参考になりません。そこで同じ断層地震である阪神大震災と熊本地震の余震について調べてみました。

阪神淡路大震災の兵庫県南部地震(1995年1月11日)では本震のあと同日内に震度5以上の余震が10回起こり、震度0の無感以上の地震が1995年で2360回は起きたものの、1996年と1997年はともに100回台と少なくなり、余震の規模と回数は少ないほうの大規模地震ではなかったのではないでしょうか。 熊本地震(2016年4月14日)は不特定な多発的地震で、4月14日に最大震度7の地震を2回、16日までの3日間に震度5以上の地震を10数回記録しました。そして、余震は本震発生から3ヶ月後の7月14日までに、震度1以上を観測したものが合計1888回におよんだ。 そして、能登半島地震(2024年1月1日)ですが、これまでに震度5以上の余震が16回起きている。また震度1を記録した地震は1月22日までに1487回あった。ただ19〜21日までの3日間は1日10回以下で余震の数はかなり減少しています。こうしたことを考えると、今後も3ヶ月以内はある程度の余震が起きてもおかしくありませんが、かなり落ちついてきたようです。

余震が少なくなることは今後の復旧復興、ボランティア活動の大きな安心と助けになるに違いありません。



木曜日, 1月 18, 2024

地震大国に原発は必要あるのだろうか


写真はYahooニュースが2021年12月にまとめた震度7を観測した地震の表です。ということで、今回の能登半島地震は6番目の震度7を記録した地震になります。つまり日本はこの29年間に6回も震度7の地震を記録しているのです。それも北海道から九州まで全国各地に散らばっています。そして、今後5年から7年以内にまた震度7の地震が起きる可能性もあるのです。

そんな地震大国なのに、いまだに日本では原発が稼働していますし、建造中のものまであります。原発政策をすすめてきたのはもちろん自民党。自民党は裏金だけでなく、日本を滅ぼさせる可能性のある原発を推し進めています。そんな自民党をどうして支持できようか。

火曜日, 12月 26, 2023

常磐線・東北新幹線周遊の旅

先週木曜から土曜にかけての常磐線・東北新幹線の旅は大変有意義かつ楽しかった。

今回の旅の一番の目的は、北茨城のあんこうのどぶ汁、相馬のフグ(これはありつけませんでした)、閖上の赤貝、宇都宮の餃子といった美味しいものを食べることにありました。しかし、その他にも江戸時代の東回り航路の港訪問、常磐線から福島原発事故の爪痕を観察するとか、2年前の地震で被害を受けた相馬の馬陵城(中村城)観光、名取の東日本大震災での大津波跡の復興状況把握など、新白河のウインズ以外にもちゃっんと歴史と社会勉強もしてきました。

ということで、まず最初は食べ物の話から。あんこうは鍋は食べたことはあったのですが、どぶ汁を食べるのは初めて。どぶ汁はもともとは漁師料理で、海上で水を使わず野菜とあんこうを煮込んで食べたのが始まりと言われています。現在では豆腐やきのこなども入れて味噌を主体に色々な風味で食べられるようになったみたいです。それにしても、これが本当に美味かった。もちろん地元の人たちは作り慣れているからかもしれませんが、味噌味、出汁加減などいうことはありません。最後は雑炊にしたことは言うまでもありません。

フグといえば下関ですが、東日本では福島県の相馬沖などで水揚げが急増しています。そのこともあり、福島では「福とら」というブランド化を目指して躍起になっています。ということで、それを食するために相馬を訪れたのですが、残念なことにランチでフグを提供している店は1軒だけで、そこも予約で満席ということで、残念ながらありつけることができませんでした。相馬を訪れる機会のある方は、是非ともフグを食してみてください。

閖上の赤貝は、震災で大被害を受けた閖上の日和山に寄った後に食べようと思ったのですが、そしたらタクシーの運転手さんが名取より仙台で食べた方がいいよというので、仙台の「塩竈すし哲」(S-PAL仙台店)で閖上の赤貝などを頼んだ。で、この赤貝がなんとも瑞々しく歯応えもあり、東京では滅多にお目にかかれない味でした。なお「塩竈すし哲」は値段は少しははりますが地元の人に愛されているお店のようなので、次に仙台へ行った時も訪れようと思っています。

そして、最後は宇都宮餃子。ここは宇都宮在住のいつか重賞勝馬の馬主(一口ですが)になるであろうKちゃんに案内してもらい、有名な「香蘭」と「宇都宮みんみん」の餃子をいただく。そして、その後はおでん(宇都宮はおでんの店が多い)を食べようとなるが、有名処は満席で駅近くの「しんとみR+」でおでんと日本酒(種類豊富)をいただく。

いや〜、3日間、胃薬が手放せないほどたらふく食べました。😁



金曜日, 11月 10, 2023

柳家さん喬の「さん喬あわせ鏡」冬の噺三題

昨日(9日)は内幸町ホールで行われた「さん喬あわせ鏡」を聞きに行く。出演者と演目は下記の通り。柳家さん喬の噺は全て冬に関わる噺。差し詰め「さん喬あわせ鏡 〜冬の噺〜」という会だった。

三遊亭歌きち 「子ほめ」
柳家さん喬  「福禄寿」
柳家さん喬  「掛取万歳」
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬  「芝浜」

三遊亭歌きちは三遊亭歌奴の弟子で5月に前座になったばかり。声質はとてもいいのでもっと表現力をつけるよう頑張ってもらいたい。

「福禄寿」は自分が産んだ子と譲り受けた義弟の子を分け隔てなく育てた母親と、なかなか商売が上手くならない自分の子の長男(禄太郎)と、譲り受けた子の長男(福次郎)の話。三遊亭圓朝の作で、今日この演目を演じるのは柳家さん喬と柳家三三ぐらいだという。私もYou tubeでこの話を何度か聞いていたが、実演に接するは始めて。いや〜、上手いです。こんな噺を冒頭にもってくるとはさん喬の凄さというか偉大さを感じてしまう。

「掛取万歳」は年末に訪れる借金取りを、相手の好きな話(狂歌、義太夫、喧嘩、漫才)に合わせて、あの手この手で追い返してしまうという滑稽噺。この噺はさん喬の弟弟子である柳亭市馬が得意としているが、さん喬も見事である。ただ、この追い返す手段のなかにさん喬が得意とする踊りがないのが残念。いつかオリジナルで踊りの話を盛り込んで演じてほしい。

仲入り後は「芝浜」。今日では女性落語家たちが女性目線による「芝浜」を演じているが、さん喬の「芝浜」もかなり女性目線で演じられている。というか、さん喬の演じるおかみさんがあまりにも鮮やかだからそう思ってしまうのかもしれない。酔っている旦那の魚勝こと勝五郎を誤魔化していく様、そして3年後に真実を告げる様など、どんな落語家も太刀打ちできない人情と愛情に溢れている。これまでに何人もの「芝浜」を聞いているが、さん喬を凌ぐ人にはまだ出会っていない。