水曜日, 11月 29, 2006

入院、手術、リハビリ開始

11月22日入院。24日に手術無事終了。27日よりリハビリ開始。

病室はリッチに個室をとる。2つの外資系保険にそれぞれ入院1万円の保険をかけていたおかげである。やっぱり保険はケチってはいけない。保険は掛け捨てで実をとる方がいい。

個室といっても部屋の広さはトイレを含めても6畳ぐらいしかなく、快適空間といった感じではない。加えて、洋服タンスなどの収納スペースが少なく、自殺防止のためか壁には衣紋掛けすらない。綺麗な部屋のわりには使い勝手はよくない。

ただ個室ということで、テレビもラジオもある程度の音量ならばイヤホンなしで見聞できるのが嬉しい。携帯電話も整形病棟ということで容認されている。しかし、パソコンは通信代がかかるので、Mixiをはじめネット関係は新しく買った携帯電話(N903i)で見た方が安上がりだ。あらかじめパケホーダイに入っていたのも正解だった。ただ、長い文章をアップするときはテキストで原稿を打っておいて、パソコンでアップする方が楽である。

手術の翌日はさすがに肩が痛く何もできなかったが、その翌日からは違和感もすぐにとれた。ただ、常に24時間左腕を吊っているいる上、左脇に大きな枕をかかえているような状態なので、左手での作業はうまくできない。また、睡眠も寝返りをうつことができないので熟睡することができない。その代わりといってはなんだが完全看護なので、いつでも看護婦さんが手伝ってくれる。看護婦さんはみんな若い。かわいい。こんな天国のような場所ははじめてだ。(笑)

いや〜、入院っていいもんです。結構楽しく過ごしています。

金曜日, 11月 17, 2006

ベトシチ、知っています?


ドラマ『のだめカンタービレ』(フジテレビ月曜9時)のおかげでクラシック音楽がブームになっています。なかでもオープニング曲にもなっている『ベートーベン交響曲第7番』(通称ベトシチ)が大人気で、着うたのクラシック部門で3週連続1位、クラシック楽曲では驚異的な3万ダウンロードを突破したそうだ。

私は現在2枚のベトシチのCDを持っています。一枚はレナード・バーンスタイン指揮のウィンフィル(写真上 交響曲1番とセット)、もう一枚はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリンフィル(交響曲4番とセット)です。どちらが好みかと言えば、バーンスタインの方です。

というのも、私はカラヤンのような重厚な演奏があまり好みでなく、バーンスタインのような軽やかな演奏が好みだからでしょう。ニューヨークで3回ほどバーンスタインの演奏を聞いたことがありますが、88年リンカーンセンターでの『チャイコフスキー交響曲第5番』の演奏は最高でした。あの壮大な名曲を彼は踊りながら指揮していました。会場からは演奏中にもかかわらず拍手する人までいました。彼が亡くなる2年前の最後の絶頂期の演奏だったのかもしれません。

話がずれました。『ベートーベン交響曲第7番』は1813年2月8日、ウィーンでベートべーン自身の指揮によって初演されました。第2楽章はアンコールを求められたほど成功したと伝えられています。そして、彼はこの交響曲で最低限の人数のオーケストラで軽やかでリズミカルな音楽を創造することにも成功した。

第1楽章
何か乗り物に乗っているようなスピード感に満ちたメロディは、芝居でいうところのツカミがあり、次につながる期待感、高揚感など興奮を覚えます。特に最後のホルンが高らかに歌い上げるところは感動ものです。

第2楽章
前楽章とはうってかわり葬送曲のような旋律になります。しかし、これも他のベートーベンの交響曲ほど重厚や荘厳ではありません。片想いの恋に破れたながらも、次への恋を期待させるかのような楽章です。

第3楽章
軽快なメロディがオーケストラの各パートを駆け巡ります。交響曲ではよくあるパターンですが、ベートべーン自身が長い髪をかきわけながら、オーケストラの頭上をスキップしているような感覚を抱かせる楽章です。

第4楽章
「タンタカタン」という小気味いいリズムとともにスタート。その後はジェットコースターに乗ったか、暴走したメリーゴーランドに乗ったかのように、「タンタカタン」のメロディと共にメロディとリズムの氾濫状態になり、船酔いをするかそれとも陶酔感にひたるような感覚に陥いる楽章です。ワインを片手にもって聞いている人は、間違いなくもう一方の手で指揮をするようになります。(笑)

ベトシチ、みなさんも一度聞いてみてはいかがでしょうか。

月曜日, 11月 13, 2006

紙一重のアジアチャンピオン


北海道日本ハムファイターズがアジアシリーズで優勝した。元東映フライヤーズファンとしても嬉しい限りだ。しかし、昨年の千葉ロッテマリーンズのような際立った強さの優勝ではなかった。今回のアジアシリーズを終えて、多くのプロ野球ファンは「日本のプロ野球と台湾、韓国との差はほとんどない」ということを感じたに違いない。

昨年のマリーンズは日本シリーズ圧勝の勢いからか、アジアシリーズでも台湾(興農)、韓国(サムソン)に対して、投手力、攻撃力、守備力などすべての面で上回っていて完勝に近かった。しかし、今回のシリーズでは台湾(La New)と韓国(サムソン)の投手力と攻撃力はファイターズと遜色はなかった。ただ、守備力には大きな違いがあった。

私が見た金曜日の試合でも台湾の内外野の守備陣形はドシロウト状態だった。相手打者を知らないからか、常に守備陣形が変わらない。さすがにランターが一塁にいるときはサードは前進守備をしたが、レフトはバッターが左もかかわらず定位置だった。これではお話にならない。緻密な守備陣形を知らないのだ。そして、決勝では緊張からか3つのエラーをおかして、墓穴をほってしまった。もし、あのエラーがなけらば、ファイターズの優勝はなかったかもしれない。

台湾や韓国にはドーム球場はない。彼らは人工芝にも慣れていない。彼らはアウエイのなかで戦った。こうした悪条件があったにもかかわらず、台湾La New ベアーズは1点差で優勝を逃した。その1点差が大きいのか小さいのかは、今はまだ解らない。

台湾や韓国のリトルリーグはすでに世界トップレベルだ。そして、高校野球でも日本と同じレベルに近づいている。これでしっかりとした守備力を身につければ、台湾や韓国のチームが日本チームを倒して、アジアチャンピオンになってもおかしくはない。

アジア野球との差はもはや紙一重なのだ。うかうかしていられないぞ、日本プロ野球!

※写真はファイターズガール。左側の子はスタイルもよく、踊りのキレもよかった。(笑)

木曜日, 11月 09, 2006

GoogleとYahoo!の違い

私が検索エンジンをYahoo!からGoogleに変えて1年半以上経つ。その最大の理由はYahoo!があまりにも広告が多くなり、全然目的のサイトに行くことなく、広告関係のわけのわかんないサイトにいくようになったからだ。

例として、私の名前「小松克彦」または私が好きな「アスレチックス」とGoogleで検索すると、1番目に「小松克彦のホームページ」または私が運営する「アスレチックス ファンページ」が登場する。しかし、Yahoo!だと「2000年度ドラマ総合ベストテン・個別賞【小松克彦】」と「ぐるなび - ビアパラダイス アスレティックス」になってしまう。Yahoo!は余りにも広告主体の検索エンジンなのである。

http://www.imsfd.jp/new/gyoumu/web/kensaku_syurui.html

GoogleとYahoo!のシステムの違いは上記のサイトを見ていただくとして、結果的に検索能力が低下してしまったYahoo!よりも、Googleに切り替える人が増えたに違いない。もはやYahoo!の検索は使えないといっても過言ではない。

日本グーグルはYahoo! Japanにまだ遅れをとっていて、アメリカのように大きな売上高・利益を上げていないかもしれないが、いくら売上高・利益をあげても、Yahooのように広告だらけの使えないないような検索エンジンにならないようにしてもらいたい。このブログもGoogleサイトを利用しているのだから。

水曜日, 11月 08, 2006

11月22日入院、24日手術

10月18日のブログにも書きましたが、腱板損傷=棘上筋断裂による入院は今月22日、手術は24日と決まりました。このために、24日以降のブログはしばらく難しいかと思われます。病院にパソコンを持ち込めますが、ブラウザを見ることはできても、キーボードを打つまではしばらく時間がかかりそうです。

入院は最低でも1ヶ月間になる予定。なんとか年末年始は自宅で過ごせるよう頑張ります。病院食で1ヶ月5キロ以上のダイエットに挑戦します。(笑)

月曜日, 11月 06, 2006

バリ島ウブド


これまで数多くの地域に旅に出かけたが、そのなかでいくつかの場所が気にいりました。なかでもバリ島だけは何回も行きました。バリ島は他のお気に入りの場所(中国雲南省の麗江、タイ北部のメンホーソーンなど)より行きやいということもあり、80年代後半から90年代前半にかけて毎年行っていました。そのバリ島でもウブドが大のお気に入りで、ここに1週間〜10日ぐらい滞在するのが、当時の私にとっての唯一のバカンスでした。

ウブドはガムラン、バリ舞踊、影絵、バリ絵画など芸術が盛んな村です。場所はデンパサール空港から車で約1時間ほど北へ行った、標高は約300メートルほどにあり、1年を通して温暖で湿度もなく、とても過ごしやすいところです。今日ではウブドにも日本からも多くの観光客が訪れるようなりましたが、私が訪ねていた頃はまだマニアックな旅行者だけしか訪れない静かな村でした。

ウブドに初めて訪れたとき、宿泊先の簡易ホテルでやたら私に日本語で話しかける男がいた。人懐なつこっく物腰が低く、たどたどしいながらも丁寧な日本語を話した。名をマニックといった。彼はそのときホテルで働きながら、自分でロスメン(民宿)PONDOK KECIL BUNGALOWSを造っていた。翌年ウブドを訪れたときにはロスメンは完成して、私はそこに半強制的に泊まらさせられた。そして、翌年には私は英語と日本語のパンフレット(コピーだけど)まで作らされ、そこが私の定宿になった。

マニックは後に可愛い日本人の奥さんをもらい、ウブドでも日本人観光客に人気のロスメンになった。野茂英雄がメジャーリーグに行った1995年からは、毎年メジャーリーグ観戦に行ってしまっているので、もう10年以上バリ島に行く機会を逸してしまっている。もう一度ゆっくりとバリ島に行ってノンビリと過ごしてみたい。そして、なによりも子豚を丸焼きしたおいしい“バビグリン”が食べたい。

※写真は15年前ぐらいのPONDOK KECILのハガキ。現在のマニックはもっと太っている(笑)

水曜日, 11月 01, 2006

責任は自民党と公明党にある

 高校の必修逃れ問題で国が救済措置という名の超法規的政策をとろうとしている。必修科目を履修しないまま卒業した生徒について、卒業資格は取り消さない方針を決め、在校生に関しては70時間を限度に補習授業を行うよう指導することを決めた。

 今回の必修逃れ問題の責任はいったいどこにあるのかというと、それは生徒でもなく、学校でもなく、教育委員会でもない。責任はまちがいなく文部科学省、つまり国にある。

 そして、こうした結果になったのは、受験制度の弊害ではなく、本質は国(もしくは自民党・公明党)に対してイエスマンを育成している教育の弊害以外なにものでもない。

 私が高校に入学したとき、私は必修単位が最低85単位(当時)と教えれた。そして、必修科目が何単位で、選択科目が何単位かということも聞かされていた。その時点で履修科目に関しては生徒にも責任が課せられた。1年、2年はほとんどが必修科目だったが、3年になると半分以上が選択科目となり、同じクラスのヤツでも理系のヤツとは顔を合せない日もでるようになった。誰もが自分が卒業まであと何単位必要かを知っていて、最低単位を取れなかったヤツは留年した。

 しかし、今の高校生たちはこれを知らない。彼らは「悪いのは僕たちじゃないのだから」とか「受験があるから、補習はもうないでしょ」と全く自覚がない。おそらく、文部科学省に務めている高級官僚たちも進学校出身者だから、学校のお膳立てのカリキュラムで卒業しているから必修単位のことを知らない。それは、学校や教育委員会が教えないからだ。なぜならば、文部科学省がこうしたことについて厳しく指導しなかったからだ。

 最初にも述べたように、国は超法規的政策を取ろうとしている。それは生徒のためでなく生徒の親のためでなく、学校のためでも、教育委員会のためでもない。自民党と公明党の票が減ることを恐れるために行うのだ。こんな政策をとるヤツらに教育を語る資格は全くない。