これから下記に書く日記には、映画のネタバレがかなり含まれていますので、映画をこれからご覧になろうとしている人はなるべく読まないようにしてください。お願いします。(笑)
ネットにある数多くの映画評やマスコミの論調は「前作を上回る出来」と書いているが、私には残念ながらそうは思えない。どう贔屓目にみても「前作と同等ぐらいの出来」もしくは「前作に同等ぐらいの上出来」である。
お話は前作同様夕日町三丁目に済んでいる人々を描いていて、主要キャストは前作と全く変らない。前作で話題になった昭和30年代を再現したCGは今回も全編にうまく散りばらめられている。その完成度は非常に高いのだが、あまりにもCGで再現されているシーンが多いせいか、その時代を実際に知っている私としては、何故か時折白々しく見えたりしてしまった。このために、前作では全編に漂っていた昭和30年代の郷愁感というか哀愁感が、私には薄らいでしまった。
映画の冒頭、私と同い年のゴジラが夢の世界で登場する。このシーンはすべてCGで撮影されていて迫力満点で効果的なのだが、どうも納得がいかない。というのも、やはりゴジラは人間が入ってうごく着ぐるみの動きの方がしっくりくるからだろう。いずれゴジラ映画は復活するだろうが、もし全編にわたってゴジラがCGだったら、興ざめするに違いない。せめて着ぐるみとCGをうまくミックスして製作してほしいものである。
少し話が脱線するがゴジラは第1作が昭和29年に公開され、第2作が昭和30年で、その後は昭和37年まで製作されていない。となると、この映画は昭和34年が舞台なので、冒頭でゴジラを登場させることは時代考証的には少し無理がある。だが、その意気込みだけは買いたい。
ゴジラ以外にも、昭和30年代の東京駅前、羽田空港、日本橋、特急こだまなどがCGで再現されている。その映像は実に素晴らしい出来ばえである。人によっては昔の東京を見ているのではないかと錯覚するかもしれない。ただ、天の邪鬼なのかもしれないが、自分の記憶とオーバーラップはできるても、どうもうまく感情移入できなかった。なぜなのだろうか。それは私のなかにある残像がカラーでなく、映画ニュースや写真などにあるものがモノクロかセピアでしかないからであろうか。
さて、お話の方だが、前作は鈴木オートをメインに描かれていて、堤真一と薬師丸ひろ子の演技に驚嘆させられたが、今回は茶川竜之介(吉岡秀隆)と淳之介(須賀健太)の話がメインになっている。それでも、鈴木夫妻のそれぞれの戦争秘話なども描かれている。また、鈴木家に世話になる親戚の娘の美加(小池彩夢)や、六子(堀北真希)の幼馴染の武雄(浅利洋介)らが登場して、話が少々もりだくさん気味になる。
しかし、映画の後半は茶川が芥川賞に臨む話に集約されていく。しかし、話の展開が誰にでも簡単に読めてしまう。それでも、観客を飽きさせないものは何故なのであろうか。昭和30年代の人間関係の良さなのだろうか。それともしっかりとした人物描写ができているからだろうか。答えは最後に登場する夕日のシーンに凝縮されているようであった。
結論、この映画は前作と2本で1作品である。前作をご覧になっている方は、間違いなく観るべき作品だ。前作を観ていないで、この映画に興味ある方、先にDVDかビデオで前作を観ておいた方がいいかもしれない。ただ、こう書くと東宝の思うツボでイヤなのだが・・・。ブツブツブツブツ。(笑)
2 件のコメント:
ひとつ気になったのは、あのシュークリーム。あの時代のシュークリームってあんなのだっけ? なんか違和感があるんだよね。
シュークリームは庶民にとっては高級品。私も、母に連れられて隣町に行ったとき、帰りにシュークリームを買ってもらうのが楽しみでした。母は舅や姑に気兼ねして、私にだけ二階の部屋でこっそり食べさせてくれたものです。
想さんへ
すみません、シュークリームのシーン、あんまり覚えていません。
シュークリームやエクレアなどのお菓子は確かに高級品でしたが、私の家では家族全員で食べていました。まあ、月に1回か2回ですが。ショートケーキは誕生日とか特別な日にしか食べられませんでした。
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