月曜日, 9月 19, 2011

被災地を訪れて(その5) 〜木を見て森を見ず〜

震災から半年が経った。マスコミはいまだに続く被災地の厳しい状況を伝えている。それは大事なことである。なぜならば、この震災を風化させない為にも必要なことである。そして、この教訓を活かしていくためにも必要である。

しかし、マスコミはそれだけに終始していないだろうか。現地の状況を伝えるのは当たり前として、各地のボランティアセンターの実情などを的確に伝えているだろうか。また具体的な復興への道のりを伝えているだろうか。というよりも、マスコミとしての提言を行っているだろうか。

3月11日以降、世間にはマスコミ不信が蔓延している。何度も書くが原発事故の原因、その収束の遅れの責任は「政官財学マ」の癒着構造にあり、マスコミも加担している。その後の菅前首相下ろし政局の一因もマスコミだった。マスコミは震災復興、原発収束への足がかりを完全に引き止めていた。加えて、先日の「死の町」報道にしても偏見に満ちていて犯罪的ですらある。

マスコミの論調はいつも同じである。国が悪い、政治家が悪い、官僚が悪い、自治体が悪いというだけで、自分たちの責任をまったく問わない。そして、自分たちは口先で行動もしない。震災に関しても義援金を集めるだけで、ボランティア活動を自分たちで行うこともなければ、支援機構を組織することもしない。なぜならば、ボランティア活動を行って怪我でもしたら、責任を問われなかねないからである。リスクを伴うことはしないのである。ここにもマスコミには責任回避の論理が働いているのだ。

今日のマスコミは本当に建設的でない。創造的でない。それは官僚以上に保身であり、自分たちの権力を失わないように失わないようにという守りの姿勢しかみせていない。報道することは大切だ。しかし、報道することは仕事であって支援ではない。実際に被災地に行ってみて、マスコミは取材するだけで何もしないと、苦言を呈する人が何人もいた。いまだに配慮を欠いた土足であがるような取材をするマスコミがいるそうである。

自戒の念を含めて、マスコミよ、人に話をするなら、人の話をまず聞けよ。(続く)

写真上:大船渡線陸前高田駅近く。
写真下:気仙沼。電線は復旧しているのに、船はいまだに放置状態。

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