金曜日, 12月 30, 2011

2011年私的10大ニュース


今年も残すところわずか。今年は本当にいろいろありました。これほど劇的というか変化に富んだ年は人生初かもしれません。ということで、私的な1年をランキングで振り返りました。

1位. 数多くの再会と新しい出会い(4月〜)
2位. 三陸沿岸を訪れる(9月と11月)
3位. 大腸検査でポリープを切除(10月)
4位. サッカーに夢中(1〜2月と6〜7月)
5位. ツイッターとFacebookを始める(3月〜)
6位. オペラ・バレエの観劇回数が増える(1月〜)
7位. 電力意識改革に目覚める(3月〜)
8位. ひと月に1回は映画を観る(1月〜)
9位. ブログおよびMixiが6年目に突入(9月)
10位. 読書量が激減 (3月〜)

1位は「数多くの再会と新しい出会い」。今年は本当に多くの人と再会した。昔の芝居仲間、高校時代の同窓生など古い友人知人と再会した。先日も道端で中学時代のクラスメートとばったり再会した。そして、新しい出会いもいっぱいあった。微力ながら東北を支援するなかで、数多くの素晴らしい人たちとの出会いがあった。とにかく人との繋がりがいかに大切なのかを再確認した年である。これからもこの気持ちを大切に多くの人と触れ合うようにしたい。

2位は三陸沿岸への訪問。これまで数多くの土地を旅をしてきたが、自分が訪れたことがある場所が廃墟や野原と化してしまったところは初めてである。釜石の市街地や根浜海岸などに行ったときは声も出なかった。そして、初めて訪れた陸前高田や気仙沼はただ唖然とするだけだった。

3位は自分の健康問題。今年は身体にかなり変調をきたした。そのために、大腸検査、胃カメラ、CTスキャンといろいろな検査をした。まあ、検査をせざるをえない歳になったということだ。そのなかで、大腸検査ではポリープが発見され、その場で即刻切除。

4位はサッカー。男子のアジアカップも良かったが、なんといっても女子ワールドカップでのなでしこジャパンの活躍は素晴らしかった。予選リーグから決勝まで全試合をテレビ観戦。次はロンドン五輪での優勝と世界ランキング1位を獲得してもらいたい。

5位はSNS。これまではMixiしかやっていなかったが、震災の情報を得るためにTwitterとFacebookを始めた。そのおかげでいろいろな再会もあり、今では3つ掛け持ちの状態だが、うまく使い分けることはできない。難しい。

6位以降は省略。

来年は今年以上に人との繋がりを大切にしていきたいと思います。

日曜日, 12月 25, 2011

かなり楽しい「殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次」展


昨日(24日)、東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館で開かれている『殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次 ― 保永堂版・隷書版を中心に ―」』展を観てきた。

世間的にはあまり知られていないが、歌川広重の「東海道五拾三次」は生涯で20種類以上のシリーズが刊行されている。そのなかでもっと有名なのが1833年(天保4年)の保永堂版「東海道五拾三次之内」。この展覧会は基本的にこの保永堂版と隷書版「東海道五拾三次」を見比べる形で展示されている。また、一部の絵は初刷から絵柄や刷り方が変わった「変わり図」も展示されていて、これらが大変興味深い。

展示はオーソドックスに「日本橋」から「三条大橋」への順にされている。私はその多くをこれまでに目にしているが、前述したようにそれぞれの宿場の絵が2〜3点飾られているので、いろいろ対比しながら観れるのがとても楽しい。なかには「戸塚」のようにまったく同じ構図にも関わらず、間違い探しのような変わり図もあったりして、広重や彫師・刷師の遊び心が楽しい。またマンガチックな絵もいくつかある。

作品のなかで印象に残ったのはやはり「日本橋 朝の景」「蒲原 夜之雪」「庄野 白雨」の3点。この3点は誰もが認める広重の傑作であろう。多くの絵がいわゆる俯瞰の風景画なのだが、この3点には何か人を寄せつける力というか魅力がある。

実は自宅にこの3点のうち「日本橋」と「蒲原」がある。といっても江戸時代に刷られたものではなく、戦後の復刻版である。会場ではこうした復刻版も売られていたが、それでも1枚が1〜2万円する。それゆえに、これを機会にいっそう大事にしたいと思わざるをえなかった。

なお、タイトルにある「殿様も犬も旅した」とは、殿様は参勤交代行列のことをいい、犬もとは主人に代わってお伊勢参りした犬のこと指している。というのも「四日市」の絵のなかに荷物を背負って旅をする犬が描かれているのである。

浮世絵好きおよび江戸好きにはかなり楽しい展覧会だ。

「殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次― 保永堂版・隷書版を中心に ―」展
会期:2011年12月17日(土)〜2012年1月15日(日)

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol06/index.html

http://www.suntory.co.jp/news/2011/11197.html



火曜日, 12月 20, 2011

5,000円札をもっと刷ってもらいたい


あなたの財布のなかに5,000円札は何枚入っていますか?、と問われれば、大概の人は1枚あるかないかと答えるのではないだろうか。

日本銀行が昨年(2011年)発行した1,000円札は12億2000万枚、10,000円札は18億0000万枚。これに対して5,000円札は2億8000万枚と極端に少ない。なぜなのだろうか。理由は簡単である。銀行のATMが1,000円札と10,000円札にしか対応しないからである。しかし、これは明らかに銀行の怠慢である。なぜならば自動販売機などは5,000円札を使えるのだから。

ということではないが、日本銀行はもっと5,000円札を刷ってもいいのではないだろうか。というのも、今の日本経済はずっとデフレスパイラルに入ったままである。こんな状況が何年続いているのだろうか。このままいくと、税収入はどんどん減っていき、そのたびに赤字国債を発行してはいかなくなっていく。もう悪循環の繰り返しである。

こうした状況では思い切った打開策を打ち出さなければならないのではないだろうか。そこで、今日の日本経済でもっとも循環していると思われる5,000円札を多く刷ることによって、少々のインフレ策を取るというのはどうだろうか。インフレになれば円高も少しは一服するであろうし、仮に円が1ドル=90円台あたりに戻れば、輸出産業にはプラスになるであろうし、農業にとってもプラスになる。

まあ、こうした短絡的なインフレ策は問題が多いことは解っているが、財布のなかからすぐに消えてしまう5,000円札をもう少し発行する必要性はあるし、銀行は5,000円札対応のATMを導入するべきである。

日曜日, 12月 18, 2011

中目黒駅と学芸大学駅


東京メトロ(営団地下鉄)の地下鉄が作られた順番は、銀座線、丸の内線、日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線、副都心線。(ここまで先日のツイート流用 w)

銀座線は戦前に出来ていて、丸の内線は戦後に最初に開通した。そして、日比谷線は私が小学生だった1964年に東京オリンピックに間にあわせるために全線開通、東急東横線とも相互乗り入れを行い日吉駅まで直通運行がされるようになった。また、最初にセミステンレス製の営団3000系電車という銀色の車両を使い、それはそれはモダンな電車という感じだった。

この日比谷線が開通したことによって、中目黒駅に東横線の急行が止まるようになった。それまでは、渋谷発の急行の最初の停車駅は我が(笑)学芸大学駅だった。つまり、渋谷へ行くのも学芸大学駅からひと駅で渋谷駅だった。今でもよく覚えているけど、5分ぐらいで着いたような感じで、めちゃくちゃに早かった。

そして、2001年になると東横線に特急が走るようになった。ところが、なぜか中目黒駅は停車駅に選ばれず、日比谷線利用者から大ブーイングが起き、2年後にようやく特急が止まるようになった。一方、学芸大学駅には特急は止まることはない。

時代の変化によって学芸大学駅は中目黒駅より格下になってしまったが、周辺住民にとってはそんなことを気にしている人は誰もいないだろう。

火曜日, 12月 13, 2011

男は動的、女は静的が・・・


先日の『ブラタモリ』でタモリがいかんなく鉄オタぶりを発揮していたが、男という動物は多かれ少なかれ鉄オタだと思う。

というのも、男なら幼い頃に誰もが電車を見るのが好きだったり、電車に乗ればすぐに窓のそばにいって外の景色を眺めたりしたもんだ。ところが、女という動物は電車にはまったく興味を示さず、お人形さんやぬいぐるみなどに興味を抱く。

つまり、男は動的なものが好きであり、女は静的なものが好きなのである。

しかし、これが大人へ成長していくうちに変化していく。男でフィギュアを好きなヤツはいっぱいいるし、“鉄子”と称される女も生まれてくる。つまり生物としての先天性と社会という後天性によって変化していくのだろう。そして、その動と静がうまく掛けあわってこそ、男と女という「人間」が生まれるのではないだろうか。


火曜日, 12月 06, 2011

我が家のスズメ事情

先日、立教大学と岩手医科大のグループが、過去20年間でスズメの数が約6割減ったと発表した。特に都市部での減少が著しいようで、その理由としてスズメは屋根瓦の下など人工物を利用して巣作りをすることが多いので、住宅の構造変化によって巣を作れる場所が減ってきたということと、餌の減少で少子化が進んだことが大きな原因とみているようだ。

ところで、自宅のベランダには毎日スズメがやってくる。というのも、自宅前の大きな木にスズメが穴蔵を作っているというか、お宿があるからである。つまり、スズメは屋根瓦の下ばかりでなく、普通の木々にも巣を作ることがきるので、上記の説は少々疑問に思う。

一方で餌が減っているのは確かだろう。以前の東京の住宅街はどこにもが一軒家があり、そして、そこの庭は芝生が敷き詰められていて、スズメが地中にいる虫を摘んだりしていた。ところが、住宅事情が様変わりして、住宅街にもビルが立ち並ぶようになり、芝生の庭がある家などはほんの一握りになってしまった。

これでは、スズメが減少するのも当たり前である。ということで、私は毎朝花咲じいさんならぬスズメおじさんと化して、スズメに玄米、パンや煎餅のカスなどを上げている。もう2〜3年も続けているので、エサがないと時おりガラス越しに羽ばたいて催促されたりすることもある。ただ、スズメに餌を上げなくてはならなくなったことは、決して喜ばしいことではないだろう。

月曜日, 12月 05, 2011

被災地に巣食う魑魅魍魎たち

このことは全く報道されていないから、知らない人も多いと思うが、被災地にはいろいろな宗教団体がボランティアとして入っている。ちゃんと自分たちの団体名を名乗って活動しているところはいいが、NPO法人にしても実態は宗教団体というところもあるらしい。

つまり、こうした宗教団体はボランティアを隠れ蓑にして宣教活動などもしている。そもそもこうした宗教団体は人の不幸につけこむことによって、信者を増やしているところがあり、被災地に入り込むなどとんでもないことである。

一方でボランティア団体の代表たちのなかには、これを機に政治家に転んじようとしている輩もいるらしい。被災地にはこうした魑魅魍魎が巣食っている。

金曜日, 12月 02, 2011

被災地“観光”にあたっての注意

12月1日から東日本大震災の復旧・復興を支援のために、東北地方の高速道路(岩手県、宮城県、福島県のすべての高速道路と、茨城県の常磐自動車道の水戸インターチェンジより北側の全線、それに青森県の八戸自動車道)が無料となった(来年3月31日までの予定)。また、土日祝日に限って青森県、秋田県、山形県のすべての高速道路、それに新潟県の磐越自動車道と日本海東北自動車道も無料となる。

この高速道路無料化にともなって、被災地を訪れる観光“客”も増えるのと思われる。ただし、被災地を訪れるにあたっては最大限の注意を払ってもらいたいと思う。まず津波被害を受けた沿岸部の地域は基本的に観光地ではない。その認識をもってもらいたい。それゆえに、こうした場所に行くときは物見遊山な言動は絶対に慎んでもらいたい。もちろん、むやみやたら写真を撮るのは止めてもらいたい。ましてや、被災された場所を背景に記念写真を撮るなどということは論外である。

また、被災された地域で、人の家(土台)に入って間取りなどを確認したりする行為は、住居不侵入罪に値する行為でありもってのほかである。同様に、用もないの仮設住宅を訪れるなどということもしないでほしい。あと、あちらこちら脇見しながらのノロノロ運転はしないように。交通の妨げになるばかりか、事故につながる可能性もあるので、被災地を訪れるときは必ず車を道路脇か駐車スペースに止めるようにしてもらいたい。

ほかにも多々注意すべき点あると思うが、被災地のありのままの姿を見ることは、被災地のあり方を少しでも多くの人と共有することになり、復旧・復興に繋がっていくだろう。そして、被災地を訪れたならば、各地に出来つつある復興屋台村、復興食堂、カキ小屋といったお店などで食事をしてもらいたいし、また、気仙沼だったら魚市場、釜石だったら駅前橋上市場などというように各地の市場に足を運んで、特産品を数多く買ってもらいたい。

被災地“観光”は復旧・復興に欠かせないと私は信じている。ただし、物見遊山で行くのは絶対に止めてもらいたい。