水曜日, 11月 07, 2012

憶えていますか、大正テレビ寄席


憶えている方も多いと思うが、『大正テレビ寄席』は1963年(昭和38年)から1978年(昭和53年)までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されていた公開演芸番組である。提供は大正製薬、司会はウクレレ漫談の牧伸二で、公開録画は渋谷の東急文化会館(現・渋谷ヒカリエ)地下にあった映画館・東急ジャーナル(のちに東急レックス → 渋谷東急3と改名)で収録されていた。

小学生の頃、私はその収録に親父に連れられて何度も行ったことがある。親父は当時人気絶頂だった林家三平や三遊亭歌奴(現・三遊亭圓歌)が好きで、この2人が出る収録にはよく足を運んだ。東急ジャーナルは400人ぐらいしか入らない小さな劇場だったので、収録のときはいつも満員で立ち見もいるほど熱気に満ちていた。ここで私は三平、歌奴をはじめ桂米丸、月の家円鏡(現・橘家円蔵)らの落語を聞いた。また、漫才ではWけんじ、てんやわんや、内海好江・桂子らを、コントではてんぷくトリオ、チャンバラトリオ、東京コミックショー、ドンキーカルテットらを、漫談では東京ぼん太、牧野周一(牧伸二の師匠)を聞いた憶えがある。

大正テレビ寄席は基本的に「新しい笑いを作る」というポリシーだったために、落語は新作落語を得意とした人だけの出演で、私はここで古典落語を聞いたことがない。というより、小学生が古典落語など解るはずもないが。(苦笑)番組はとにかく観客に思いっきり笑ってもらうために、漫才・コントが多かったような気がする。そして、こうした番組の作りが後の演芸およびお笑い番組に大きな影響を与えたことは間違いない。

私は中学に入ると部活が忙しくなってしまったために、大正テレビ寄席へ行くことはなくなった。私が古典落語に接するようになったのはそれから20年も先のことであった。

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