水曜日, 8月 31, 2016

八木沢ダムだけで貯水量・貯水率が少ないと判断するべきではない

今年の夏は雨がよく降る。東京の8月の平均降水量は168.2mmだが、今年は昨日(29日)時点で373.5mmと平年の倍以上の雨が降っている。それなのに、8月半ばぐらいまでテレビでは八木沢ダムの映像を流しては貯水池には雨が少ないので、節水をするようにというニュースが何度も流された。

そこで、私は下記の東京の水源である「貯水量情報」をずっと注視してきた。
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/suigen/suigen.html

8月19日(金曜日)時点での貯水量。
利根川水系55%、荒川水系と多摩川水系は共に68%。

8月23日(火曜日)貯水率。
利根川水系58%、荒川水系94%、多摩川水系71%。

8月29日(月曜日)貯水率。
利根川水系66%、荒川水系99%、多摩川水系72%。

確かに8月19日までは各地の水源は少ない状況であった。このためにテレビでは「東京の最大の水源池・八木沢ダムは貯水率は35%と低く、今後も節水を心がけてください」というニュースが流れていた。ところが、8月20日以降は台風や寒気による雷雨が多発したおかげで、水源池でも多くの雨が降り、荒川水系などは劇的な回復をした。

それでも、29日時点での八木沢ダムの貯水率は50%と低い。そこで、なんで八木沢ダムの貯水率が低いのかを調べてみると、自分なりの納得できる結論を得た。

八木沢ダムは利根川の最北端にあるダムで、貯水量は大きいダムなのに水が流れ込む流域面積は他のダムに比べると狭い。そして、ここは雨によって水を貯めるダムというより、雪解け水を貯めるダムなのである。つまり、八木沢ダムの貯水率が低い理由は今冬の降雪量が少なかったことによるところが大きいのである。それゆえに、八木沢ダムだけが他のダムに比べて貯水率が低いのである。

こう考えると、ニュースで流される「八木沢ダムの貯水量が少ないので」という言葉には説得力がない。また、八ッ場ダムなどの建設を進めるための理由付けとも考える。いずれにしろ、こうした事情を知っているマスコミ関係者はあまりいないだろう。それゆえに、今後は八木沢ダムだけで貯水量が少ないとか貯水率が低い、という言葉に騙されないようにしたい。

ただし、常に節水は心がけましょう。

火曜日, 8月 30, 2016

エスカレーター式学校出身者は友達が少ない!?

ジム仲間のおじさんが興味深いことを言った。「こまっちゃんは友達や飲み仲間がいっぱいいて羨ましい」と。思わず「えっ」と首をひねったが、そのあとの説明で納得した。

「俺なんか小学校から高校までエスカレーターで、ずっと同じ顔ばかり見てきたよ。こまっちゃんは小中高大と違う学校に行っているからいいね」

確かに私は幼稚園から高校まで地元の学校に行ったが、幼稚園から同じ小学校(1学年約200人)に行ったのはおそらく10数人、小学校から同じ中学校(1学年約250人)へ行ったのは私を含めて4人、そして中学校から同じ高校(1学年約260人)へ行ったのはこれまた4人、そして大学はアメリカなので誰もいない。

このようにいつも見知らぬ者だらけの学校へ進んだ。でも、別にイジメられることもなく数多くの友達を作ることができた。そのおかげで、分け隔てなく女性と話をすることができるし(笑)、飲み屋に1人で行っても誰とでも会話を楽しむことができる。もちろん、店主や料理人らとも気軽に会話できる。

こうなると、ジム仲間のおじさんが私を羨ましがるのもなんとなく分かるような気がする。

エスカレーター式の学校へ行った人は受験勉強をしないメリットはあるものの、友達がずっと同じで交際範囲が限られてしまうというデメリットがある。小学校から大学まで同じ学校へ行った安倍晋三なんかは友達が少ないんだろうなあ。

日曜日, 8月 28, 2016

テレビや映画は2世タレントを安易に使うべからず

日本には世襲という土壌がある。私は世襲そのものを否定はしないが、それは一部の職人世界での話だけであってほしいと思い、政治家や役者などにはあってほしくないと思っている。

今回の高畑裕太の事件においても、こうした世襲を容認する世間の風潮が背景にあるからだと思っている。役者の世界でも歌舞伎や大衆演劇などは世襲を重視して受け継がれている。しかしながら、映画や舞台(新劇や小劇場演劇)ではまったくと言っていいほど重視はされていない。

これまでに加山雄三、中井喜一、佐藤浩市、香川照之と多くの有名2世俳優が生まれた。それは親の七光りだけでなく、彼らの才能および地道な努力があったからであろう。しかしながら、最近はまったくセンスも何も努力もしない親の七光りだけで役者やタレントになる2世が多い。今回の高畑裕太などはその典型ではないだろうか。

では、どうしてこうした連中が簡単にテレビや映画で活躍することができるかといえば、1に2世という話題性というか売り込みやすさ、2に親の仕事を見てきて育った感性というか即効的な適応力、3に親の七光りもしくは後押し、そして4に世襲を良しとする土壌があるからだろう。

俳優やタレントの子供が親と同じ職業になってはならないという法律はもちろんどこにもない。しかし、親の名前やその周囲を利用したりして俳優やタレントになることは止めるべきだ。同様にテレビ局、映画会社もこうした2世を短絡的に出演することは絶対に止めるべきである。ましてや、2世タレントをスポットを当てた番組を作るなど持ってのほかである。

とにかく、下積みも演技経験もない2世をテレビや映画に使うことだけは絶対にやめてもらいたい。このことはタレントだけでなく政治家も同様である。

金曜日, 8月 26, 2016

美食日記「アニュ」(広尾)のキノココース

フレンチにとって夏場はお客さんが少なくなる季節である。というのも、フレンチはソースを主体にした濃厚な料理というイメージがあるからだろう。そのために各店は夏場に色々な努力をしたり、レストラン・ウィークに参加して料金を普段より抑えてコース料理を提供したりしている。

  

そんななかで、広尾のアニュは一昨年夏は短い期間だったが「キャビアとシャンパーニュ祭」を行い、私と相方を大いに喜ばせてくれた。あれから2年。今夏はブータン産松茸(実に大きい)とオーストラリア産冬の黒トリュフ(南半球はただいま冬)などによる下記の「キノココース」を設けてくれた。

・アミューズ
・新子のタルト
・本しめじ、花びら茸とつぶ貝のセビーチェ
・仔牛のタルタル
・鮎のフリット
・鰻と黒トリュフ 新生姜のアイスを添えて
・鰆とブータンより届く松茸
・バサス牛 ソースペリグー
・みかんの球体
・桃とバジルのデクリネゾン

アミューズはアニュお馴染みの穴の空いた大きな皿に小鉢をおいて楽しむという形式。

1品目は「新子のタルト」。和のテイストのアニュだがまさか新子が出てくるとは驚き。新子はコハダの稚魚であり、7月から8月にだけ食べられる寿司ネタだ。それがタルトの上にマッシュルームに挟まれて出てくる。それを大きく口を開けて一気にいただく。う〜ん、なんだろう、お寿司とお菓子を合わせたようような不思議感。いきなりアニュならではの浮遊感のある味わいだ。

 

2品目は「本しめじ、花びら茸とつぶ貝のセビーチェ」。セビーチェとはラテン・アメリカでよく食べられる小魚を砕いた料理のことらしいのだが、つぶ貝のコリコリ感、花びら茸のサクサク感が砕いた小魚(?)とちょっと奇妙なアンバランス感を醸し出してくれていて舌を惑わしてくれる。器はシックなオールドバカラ。
 
3品目は「仔牛のタルタル」。タルタルとは細かく刻んだことを言うのだが、ここでは贅沢にも仔牛、ムール貝、枝豆などを切り刻んでその上に山盛りのトリュフを乗せる。そして、ソースは熟成牛と生ハムと黒文字によるコンソメ。いや〜、手が込んでいるというか。一体何人で作っているのだろうか、それとも一人で何時間かけて作っているのだろうか、と思う一品である。それを私らはじっくりと眺めるものの、食べ始めたらあっという間である。思わず「お代わりが欲しい」と言ってしまった。w

 

4品目は「鮎のフリット」。以前にも似たような料理を何処かで食べたことがあるが、ソースが夏らしくきゅうり、すいか、アヒアマリージョ(黄色唐辛子)の3種。そして、なんといっても軽く添えられている肝のソースが素晴らしい。魚料理に魚の肝と思う人がいるかもしれないが、魚の肝ほど魚料理に合うものはない。

5品目は「鰻と黒トリュフ」。新子に続いて今度は鰻である。もう日本料理かと思うかもしれないが、最後にテーブルでスライスした香りのある黒トリュフをトッピングしてしっかりフレンチしている。一瞬、鰻に黒トリュフと思わざるをえなかったが、これが新生姜のアイスに絡むと、爽やかにしてメリハリのある香ばしさを味あわせてくれる。

 

6品目は「鰆とブータンより届く松茸」。鰆(さわら)は字の如く春の魚というイメージがあるが、これは関西での話で、関東では秋の魚である。その脂の乗りかけた鰆と特大のブータン産松茸をサンドウィッチしたような一皿。クリーミーなブールブランソースに西洋ネギの甘さや本わさびの刺激なども混じり合い、いい意味でなんとも不可思議な味。

7品目は「バサス牛 ソースペリグー」。バサス牛はもはや黒毛和牛では滅多にお目にかかれないサシが入っていない赤身の牛肉。外国人は日本に来るとサシがたっぷりのとろける黒毛和牛を喜んで食べるが、一方で我々にとってはこうした赤身が意外に新鮮。マディラ酒とみじん切りしたトリュフで作られるソースペリグーは濃厚さを抑えていて清々しく、赤身の旨味を引き立てくれる。

 

デザートは「みかんの球体」と「桃とバジルのデクリネゾン」。

 

ア・ニュは訪れるたびに新鮮な驚きを与えてくれる。シェフ(下野昌平さん)は季節感だけでなく時代感覚を読み取る力が優れている人だなと思う。その感性を活かして変幻自在というかフットワークの良さで創る料理はまさに時代の半歩先を進んでいるのかもしれない。また、スタッフも優しく気楽に対応してくれて、いつもながら丁寧な会話を楽しむことができた。なお、飲み物はキノココースに合わせたワインテイスティングコースを頼み、最後に私は日本酒を、相方はイケメンくんが作ったペルノをベースとしたスペシャルな桃のカクテルをいただいた。私もこれを少しだけご相伴にあずかったがめちゃくちゃに美味しかった。

アニュは料理、サービス、ドリンクとあらゆる面で“ありのままに”(アニュという意味)進化している。次に訪れるのが楽しみである。

ア・ニュルトゥルヴェ・ヴー
http://www.restaurant-anu.com/jp/index.html


月曜日, 8月 22, 2016

メダルラッシュという言葉に騙されないように

オリンピック狂騒曲がやっと終わった。台風のおかげで安倍晋三の恥ずかしい姿を見なくてよかったのが嬉しい限りである。

さて、この2週間マスコミは繰り返し「メダルラッシュ」という言葉を使っていた。ただ、それが本当なのかを検証してみたい。まずは、下記の競技種目数及び日本のメダル獲得数を見てもらいたい。

1964年 東京 20競技163種目
      金16 銀5 銅8 計29
1968年 メキシコ 18競技172種目
      金11 銀7 銅7 計25

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2012年 ロンドン 26競技302種目
      金7 銀14 銅17 計38
2016年 リオデジャネイロ 28競技306種目
      金12 銀8 銅21 計41

確かに昔に比べたらメダル数は増えた。しかしである。この50年余りで競技数は8増え、種目数は1.87倍も増えた。こう考えると日本のメダル数も最低で25×1.87=46〜47個にならなければならない。もちろん参加国が増えたし、各国の競技レベルが上がったのだから、リオでの41個という数字は立派なものであるが、やはりメダルラッシュという言葉には違和感がある。競技数も種目数も増えたのだからメダルが増えるのは当たり前なのである。

そして、問題は4年後の東京オリンピックである。競技数は今回の28から一挙に5つ増えて33競技になる。おそらく種目数は325前後になるとみられる。

つまり、2020年の東京オリンピックは1964年に比べて競技数で1.5倍に、種目数で約2倍になるのである。日本はすべての競技に無条件で参加をすることができるうえ地元開催なので、メダルを獲得するチャンスが増える。こうなると、メダルラッシュでなくメダルインフレになる可能性が大である。

昔のメダルにはもう少し価値があったよなあ・・・。

水曜日, 8月 17, 2016

オリンピック狂騒曲

テレビは朝から晩まで、というよりほぼ24時間オリンピック放送ばかりである。

試合そのもの中継は面白いし、私も楽しみに観ている。しかしである。ニュースや情報番組といわれるワイドショーがオリンピック関連ばかりというのは正直いただけない。他にも伝えるニュースや出来事がいっぱいあるはずなのだから。

それでは、どうしてニュースやワイドショーがオリンピック関連の放送ばかりしているかといえば、それは日本がIOC(国際オリンピック委員会)に莫大な放送権を払っているからである。その金額は2014年のソチオリンピックと今回のリオオリンピックの合計で約360億円である。これをNHKと民放連が分担している。

そして、その詳細はわからないが、その放送権には試合及びそれを伝えるニュースだけでなく、ワイドショーなどでの二次的な利用もOKになっているので、各テレビ局は莫大な放送権を取り返すべく、オリンピック関連の放送を氾濫させることになっている。

そして、こうしたオリンピック放送の洪水は国民の意識を政治や経済から逸らすことにもなっている。

月曜日, 8月 15, 2016

「日の丸を背負う」でなく「日の丸を胸に」で

オリンピック放送のなかで日本人選手に対して「日の丸を背負ってプレイをする」という言葉がよく使われる。私はこの言葉が好きではない。

私は国語学者でないから「日の丸を背負う」という言葉の語源・起源・由来は知らないが、その意味(日本の代表として戦う)を考えると、間違いなく昭和以降の言葉であろう。そして、それは第2次大戦以降に使われたのだろうか、それとも戦前から使われていたのだろうか、によって意味合いも変わるような気がする。

もし戦前より使われているとしたら、これは国粋主義的な意味合いが強い。また戦後より使われているとしたら、何処の誰が言ったかによって意味合いが変わるような気がする。競技関係者が使い始めたなら、それは戦前同様に戦場に行く兵士を送り出すような気持ちが含まれていて、とても感心することはできない。一方で、マスコミ関係者が使い始めた言葉だとしたら、それは「戦後の復興」を後押しするかのような意味合いを含めているのかもしれない。ただ、今日ではそうした意味合いは全くなくなっているが。

いずれにしても、今日の日本において日本人選手に「日の丸を背負う」という言葉は精神的負担をかけすぎているような気がする。せめて「日の丸を胸に」という具体性のある言葉でいいのではないだろうか。

木曜日, 8月 04, 2016

「戦争を知らない子供たち」と「戦争に実感のない子供たち」

人は自分の近親者たちの生死をどのあたりまで実感しているであろうか。親兄弟姉妹までは絶対にあるだろう。ましてや夫や妻、そして子供ならなおさらであろう。ところが、これが従兄弟伯父伯母となると薄れてくる。ましてや、祖父母の兄弟(姉妹)である大伯父大伯母になると、もう近親者という感じでなくなる。

これが一般的な人間の感性であり、飛躍的な論理ではあるが、歴史を怖くしている、と思う。

私はいわゆる「戦争を知らない子供たち」世代である。確かに戦争を直接知らない。それでも父親は中国戦線に2年以上も従軍しているし、母親は横浜大空襲の恐ろしさを何度も話してくれる。また、父方の伯父は東大病院の医者だったのに沖縄で軍医として戦死した。また母方の伯父はノモンハン事件で捕虜になった皇族関係者を救う決死隊に選ばれて自宅に遺書を送っている。ただ、その直後にノモンハン事件は停戦となり、伯父は無事に帰還した。このように「戦争を知らない子供たち」は近親者から戦争の恐ろしさを知る機会を得ている。また、1955年から1975年までのベトナム戦争の報道で、嫌というほどの戦争の恐ろしさを知らされてきた。

ところが、今の45歳以下は戦争で亡くなった近親者がほとんどいない上、ベトナム戦争の惨状を知らない。戦争といえば湾岸戦争以降のまるでゲーム感覚のような戦争しか知らない。彼らは「戦争を知らない子供たち」ではなく「戦争に実感のない子供たち」なのである。

こうした結果、むやみやたら愛国心という言葉を使ったり、戦争がまるで経済活性化のための必要悪なんだと肯定する者まで出てくる。こうした風潮というか、時代背景をうまく利用して安倍晋三および自民党はヒトラーと同じように「戦争に実感のない子供たち」を煽動して、憲法を改正(改悪)して、いつか来た道を繰り返させようとしている。

歴史は繰り返す、時代は繰り返す、とはよく言ったものである。日本はまさに今その真っ最中である。

水曜日, 8月 03, 2016

広島カープがなぜ好調なのか

昨日、神宮球場でヤクルトvs広島の試合を観た。結果は4対16で広島の圧勝。昨年も広島の試合を神宮球場で2試合ほど観たが、あまりのチームの変貌に驚かざるをえなかった。そこで、まずは広島カープの強さを解決するべく、昨年と今年の打撃成績を比較してみたいと思う。

     昨年    今年(昨日まで)
試合   143   99
勝利   69    59
敗北   71    38
引分   3     2
打率   .246    .273
得点   506    493
安打   1170    934
本塁打  105    102
盗塁   80     85
犠打   135    67
四球   441    361
死球   29     33
三振   1082    740
併殺打  87     59
出塁率  .312    .347
長打率  .368    .419
得点平均 3.54    4.98
安打平均 8.19    9.43

ご覧のようにほとんどの面で昨年の成績を上回っている。こんななかで私が注目しているのが盗塁数の増加と犠打の減少である。昨年までの広島カープは塁上に走者が出るとやたらバント(犠打)をした。実際、昨年観た試合でもバントをしては失敗したりして、消極的な緒方監督采配に私はブーイングを浴びせたことがある。しかし、今年はバントが激減して、昨日の試合も結果的には大勝とはいえ、中盤の接戦までまったくバントをする気配がなかった。そして、盗塁の増加及び積極的なヒット・エンド・ランで得点チャンスが非常に増えた。これらが結果的に打率アップ、得点アップにつながったように思える。

あと、現在好調な理由はパリーグとの交流戦を勝ち越したことが大きいだろう。カープはこれまで5月まで絶好調でも、交流戦でパリーグにコテンパンにやられて成績が下降線をたどるというのが恒例であった。ところが、今年はその交流戦でパリーグに勝ち越したのだから、それ以降も好調なわけである。

ただし、これにカープファンは喜んではいけない。今年のカープの交流戦の日程はラッキーであった。というのも、交流戦最後の2カード6試合を地元で6連勝をしたが、その対戦相手が埼玉西武、オリックスと恵まれたのだ。それゆえに、今年は結果オーライだが、来年の交流戦では地元で交流戦に強い千葉ロッテ、北海道日本ハムと戦わなければならない。そのことは覚えておいた方がいいだろう。

と少し話は脱線したが、昨日の試合を見る限り今年の広島カープは間違いなくセリーグ優勝をするだろう。ただ、日本シリーズに出るためのクライマックシリーズは気をつけた方がいい。特に横浜DeNAは波に乗っているので、足をすくわれる可能性があるので。

無知の涙というより無知にする報道

日曜8時過ぎは友人らと飲み屋にいたが、都知事選の選挙速報が「小池百合子当選確実」と判ると、我々の近くで飲んでいるおばさんたちが大喜び。私らが「どうしてこんな右翼を支持するの?」「これでまた政治とカネで1年後には選挙だよ」などというと「本当ですか」と。無知の涙とは言わないが、知らないということは恐ろしい。

小池百合子は原発に賛成で東京を非核宣言都市するには反対。待機児童問題は既存の保育園設備を拡大する、つまり園児数を増やして詰め込むだけというロクでもない考え。またアベノミクスの大支持者であり、カジノ法案にも賛成で東京にカジノを誘致すると言いかねない。そして、憲法改正(改悪)はもちろん大賛成で、元防衛大臣ということもあり自衛隊の海外派兵もOK。超右翼団体日本会議のメンバーでもある。

このように、小池百合子は現在の安倍自民党の体質と全く変わらない。ところがテレビなどのマスコミは「都議会冒頭解散」を強調したり、彼女が自民党と対立しているかのような報道をした。

有権者を欺すと言うか「無知の涙」に追い込むようなテレビをはじめとしたマスコミの「無知にする報道」は許せない。マスコミで働いている人々よ、恥ずかしくないのか!