火曜日, 8月 27, 2019

1971年9月28日、秩父宮ラグビー場で「伝説の試合」が行われた

筋金入りではないが針金入りのラグビーファンです。高校に入学したらラグビー部に入るつもりでいましたが、私の行った高校にはラグビー部がありませんでした・・・。
 
そんなラグビー好きの高校生だった私は、名著「栄光へのトライ」(馬場信浩・著)にも書かれている「伝説の試合」、1971年9月28日(私は高校2年生)秩父宮ラグビー場で行われたイングランド代表 vs 日本代表戦を観ています。
 
当時の日本代表には坂田好弘(近鉄)伊藤忠幸(リコー)という快速の両ウイングが揃い、キッカーは後に「泣き虫先生」として有名になった山口良治(京都府教育委員会)が務めていて、世界の強豪国には足元にも及ばないまでも、それなりの対戦成績を残していた。
 
そんな日本代表が4日前に花園ラグビー場で行われた試合で大善戦(日本は19 - 27で敗れた)だったこともあり、この日の秩父宮には観客が殺到して、なんとグラウンドにまでお客を入れて試合をすることになった。そして、私はそのグラウンド最前列に座っていた。
 
試合は前半から両チームのディフェンスが素晴らしく、なかなかトライを上げることができなく、結局双方ノートライで、ペナルティゴール1本差で、日本は3 - 6で敗れた。試合後は観客がグラウンド内外で双方の選手を称え、後にラグビー日本代表の「伝説の試合」と語り継がれるようになった。
  
こんな私である。来月から開催されるラグビーワールドカップの試合はもちろん観に行きます。そして、テレビでもできる限り多くの試合を観戦するつもりでいます。針金入りのラグビーファンですから。

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