火曜日, 5月 31, 2022

黒人選手が少なくなったメジャーリーグ

メジャーリーグ(MLB)を観ていて、黒人選手が少なくなったなあ、と思う。

データなどによると1970年代は3割は黒人選手だったのに、現在は8%までになっているという。確かに大谷翔平が所属しているロサンゼルス・エンゼルスにしてもロースター(登録選手)ではレンヒーフォ内野手、イグレシアス投手だけだと思う。ただ、この2人はベネズエラとキューバ出身でアメリカ生まれではない。アメリカ生まれの黒人選手となると、現在はマイナーに落ちているがプロスペクトのジョー・アデル外野手だけであろう。おそらく他のチームでも同じような傾向ではないかと思う。

では、なぜこれほど黒人選手が減ったかといえば、野球はバッドにグラブにとお金がかかるからだと一般的に言う。しかしそれは間違いだ。フットボールもヘルメットや防具などにそれなりのお金がかかる。黒人選手が減った最大の理由はフットボールのNFLの台頭であろう。

MLBは1軍ロースターが1チーム26人なので30チームで780人である。それに対してNFLは1チーム45人なので32チームで1440人になる。人数が倍近く多い分、それだけプロになれるチャンスは多い。またフットボールはアメリカ以外の国でほとんど行われていない。

そして、現在のMLBはどんなポジションでもこなせるユーティリティ・プレイヤーが求められているのに対して、NFLはオフェンスはオフェンス、ディフェンスはディフェンスと専門職にはっきり分かれている。

黒人の身体的能力および感情などを考えると、やはり野球よりフットボールの方が黒人向きであり、彼らもそちらを選択するのだろう。このために、もはやアメリカの高校や大学野球では黒人選手が全くいないチームがごく一般的になっているという。

こうなると、ジャッキー・ロビンソン、ハンク・アーロン、バリー・ボンズ、アレックス・ロドリゲスといったアメリカ生まれの黒人選手はもう生まれないのだろうか。野球好きとしてはかなり寂しい・・・。



木曜日, 5月 26, 2022

N響第1958回定期公演Bプログラム(1日目)

昨日はサントリーホールで開かれたN響第1958回定期公演Bプログラム(1日目)を聴きに行った。指揮は先週に続いてファビオ・ルイージ。ピアノは小菅優。演目は下記の通り。

メンデルスゾーン/序曲「静かな海と楽しい航海」作品27
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
※メシアン/前奏曲集から第1曲「鳩」
 〜 休 憩 〜 
リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35
※はアンコール曲

1曲目のメンデルスゾーンの序曲は初めて聴く。これが清麗にして美しい曲。これまで数多くのオペラやバレエの序曲を聴いてきたが、この曲が取り上げられなかったのが不思議なくらい。メデルスゾーンらしいアップダウンのある弦と煌びやかな金管が鳴り響く。隠れた名曲だと思う。オペラに精通しているファビオ・ルイージには今後もこうした曲を紹介してもらいたい。

2曲目。小菅優は円熟期にあるような気がする。語弊があるかもしれないが第2楽章は自分のサガを出すところは思いっきり出し、第1・第3楽章の引っ込めると引っ込めるといった変幻自在の感情的抑揚には感心させられた。そのことによってフランス的なラヴェルというよりエスニック的というか時空を超えたラベルを堪能することができた。

3曲目。「シェエラザード」はアラビアン・ナイトの世界をモチーフに作られた曲だが、ファビオ・ルイージはこれに全く捉われることなく、コンマス篠崎史紀を先頭になんというか日本的というか江戸時代の風情を想像させるような古風な音色を次々と聴かせてくれる。そして、最後は1曲目の序曲と同じように静かに大海に船出するかのような姿をみせてくれる。これまで何度もこの曲を聴いてきたが、こんな印象を与えてくれた指揮者はルイージが初めてである。ルイージ恐るべし、であり、首席指揮者に就任する9月以降がとても楽しみになった。



日曜日, 5月 22, 2022

N響第1957回定期公演池袋Cプログラム(1日目)

NHKホール改装工事のためにNHK交響楽団(N響)は1年半にわたって池袋の東京芸術劇場で公演を行っている。東京芸術劇場というと東京の粗大ゴミ建築物の一つと言われた建物であり、ホールの音響も酷いものだった。しかし、10年前に改装されてからは音響も改善されて、以前よりずっとよくなった。ただし、この6月にはNHKホールの改装工事も終了なので、秋以降は行く機会は減るだろう。

さて、そんな東京芸術劇場にN響第1957回定期公演池袋Cプログラム(1日目)を聴きに行ってきた。指揮は9月に首席指揮者に就任するファビオ・ルイージ。ピアノはアレクサンドル・メルニコフ。演目は下記の通り。

モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K. 466
※モーツァルト/幻想曲ニ短調(k.397)
ベートーヴェン/交響曲 第8番 ヘ長調 作品93
※はアンコール曲

モーツァルトは不得手である。とにかく眠くなる。目を閉じるようになる。今回も目を閉じてはいけない、いけないと思いつつ聴いた。ピアノのアレクサンドル・メルニコフはどことなく学校の先生という佇まいというか、その弾き方も冷静沈着。音色も清風明月というか端正かつ流麗。それゆえに、やはり私の瞼は次第に閉じていく。やはり、モーツァルトは松任谷由実ではないが「瞳を閉じて」聴く方が穏やかな気持ちになる。

2008年にファビオ・ルイージのベト7を聴いた時にその躍動感というか炎のようなエネルギッシュな音色に驚いたが、今回も驚かされた。ベト8というとコンサートではほとんどメインになることのない交響曲なのだが、それをルイージはビールのコマーシャルではないが徹頭徹尾キレとコクのある演奏にした。こんなベト8は後にも先に聴いたことがない。ひょっとするとファビオ・ルイージは現存する指揮者のなかでも一二を競うベートーヴェン指揮者なのかもしれない。2年後ぐらいにはベートーヴェン・チクルスをやってほしい。


火曜日, 5月 17, 2022

大相撲五月場所9日目

昨日(16日)は両国国技館に大相撲五月場所9日目を観に行ってきた。今場所は混戦だ。8日目にして全勝力士はおろか1敗の力士もいない。つまり9日目に勝っても勝ち越し力士は誰もいないのである。ちょっと異常事態だろう。

それにしても、最近の大関は弱い。昨日も3大関のうち貴景勝、御嶽海は敗けて、3人の成績は貴景勝5勝4敗、御嶽海4勝5敗、正代3勝6敗で誰も優勝できそうにない。

こうなると、次の横綱は誰になるのか、さっぱり見えてこない。あと1年以上は照ノ富士の独り横綱が続きそうである。






日曜日, 5月 15, 2022

皐月恒例 さん喬十八番集成(さん喬選三夜の三夜)

昨日(14日)は日本橋劇場で開かれた「さん喬十八番集成・さん喬選三夜」の楽日(三夜目)を聞きに行ってきた。出演者と演目は下記の通り。

柳家小きち  「金明竹」
柳家さん喬  「片棒」
柳家さん喬  「明烏」
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬  「唐辛子屋政談」

前座の柳家小きちは柳家さん喬の一番下の弟子。自衛隊幹部候補生あがりということもあり、メガネに角刈りというどことなく生真面目な雰囲気。語り口も「金明竹」で4回喋る「中橋の加賀屋佐吉の使い〜」という長台詞も謹直的。それでも、滑舌はしっかりしていているし、スピードや抑揚の変化は見事。3月に聞いたときより俄然進歩していて今後が楽しみだ。

柳家さん喬の1席目のマクラは自衛隊と前座の給金の違い。自分が前座の時の給金は1日100円で、自宅(吾妻橋)から目白の師匠宅までは都電が15円、上野から目白までの山手線が30円で片道45円かかったので、帰りは寄席のある上野や浅草からは歩いて帰ったと。こういう昔話は私は好きだし、若い落語家たちにさりげなく聞かせてあげているのは巧い。「片棒」は大店の主人が息子3人に自分の葬式はどのようにするかを問う噺。ただ、この噺はなぜか分からないが私はあまり得意ではない。

2席目のマクラは以前吉原にあった料亭松葉屋で行われた寄席の話。桂文楽、橘家圓蔵、三遊亭円生、柳家小さんなどが出演していた(さん喬師匠も出ている)と語る。そこから交番、柳、大門と続き「明烏」へ。「明烏」は田所町日向屋のウブな若旦那・時次郎が、遊び人の源兵衛と太助と吉原に行く廓噺。さん喬はここでは得意の心理描写、情景描写を発揮すると共に、数多く登場する人物を巧みに演じ分ける。なかでも源兵衛と太助、廓の女将の演じ方がニクい。さん喬は「幾代餅」「雪の瀬川」「三枚起請」など多くの廓噺を持っているがどれもこれも本当に素晴らしい。いまの落語界で彼の右に出る廓噺の話し手はいないと思う。

3席目のマクラは落語に出てくる若旦那の話。自分も洋食屋の息子だったので前座の頃は「洋食屋の若旦那」と言われたそうだ。そこから若旦那なの話なので「船徳」でもかけるのかなと思ったら「唐辛子屋政談」へ。これは一夜目にやっているのでちょっと驚かされる。師匠の意図はなんかあるのかなと思いながら聞いたが、前回と変わらなく終える。それとも私が見抜くことができなかっただけなのだろうか。




金曜日, 5月 13, 2022

皐月恒例 さん喬十八番集成(さん喬選三夜の二夜)

昨日(12日)は日本橋劇場で開かれた「さん喬十八番集成・さん喬選三夜」の二夜目に行ってきた。出演者と演目は下記の通り。

入船亭扇ぽう 「子ほめ」
柳家さん喬  「野ざらし」
柳家さん喬  「鴻池の犬」
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬  「柳田格之進」

前座の入船亭扇ぽうは入船亭扇遊の弟子。この5月下席(21日)から名前を入船亭扇太と改めて二ツ目に昇進する。私は扇ぽうが前座に成り立ての頃から聞いているが、扇遊の弟子ということもあり、その実直さと素直さにずっと感心させられている。加えて、最近は芸の幅が広がったというか懐が深くなった。まだ童顔にして落語家としての風格はないが、将来は間違いなく一門だけでなく落語界に名を轟かせる存在になると期待している。

柳家さん喬の1席目のマクラは趣味の話、釣りの話。そして「野ざらし」へ。長屋に住む八五郎が隣に住む医者(隠居の場合もある)に昨夜は女性の声がしたと言って入ってきて、その後は向島に釣りに行くという少し取り留めもない噺。これまでに他の落語家で何度か聞いているが、私はあまり好きになれない。さん喬はフルバージョンを披露するが、やっぱり私にはこの噺は不向きであった。

2席目のマクラは多くの落語や江戸言葉は上方から来ていると話をすすめる。これはひょっとすると演目は「鴻池の犬」でないかと思ったらビンゴであった。「鴻池の犬」は上方落語の名作。それをさん喬が江戸風にアレンジして、私も2年前に浅草見番で聞いた時の感動は忘れられず、いつかもう一度聞きたいと願っていた。

本所にある乾物屋・角屋の小僧・定吉が3匹の捨て犬(クロ、ブチ、シロ)を育てる。しかし、そのうちの1匹クロが大阪の豪商・鴻池善右衛門にもらわれることになった。クロを一番可愛がっていた定吉は、クロがいなくなるとブチとシロを邪険するようになり、ブチは大八車に轢かれて亡くなってしまう。翌日悲観したシロは大阪にいるクロ兄を慕って江戸を出る。大阪への道中は”おかげ犬”(人に代わってお伊勢参りする犬)のハチと同行する。この時の道中はお囃子(太田その)が「箱根八里」などを入れてその様はとても楽しい。そして、伊勢へ行くハチと大阪に行くシロが別れる場面ではさん喬はその刹那さを“犬芸”で鮮やかに表現、思わず目頭が熱くなる。その後、シロは大阪でクロと再会するが、その大阪での他の犬たちとのやりとも絶品だ。

この噺をいま東京で演じているのはさん喬師匠だけだと思うが、いずれ柳家喬太郎をはじめとした弟子たちにも受け継いでもらいたい。

3席目はマクラなしで「柳田格之進」へ。囲碁仲間である柳田格之進と両替商・萬屋源兵衛が、源兵衛とその番頭の失態から発生する50両にまつわる約45分にもおよぶ大ネタ。さん喬はいつものように江戸の光景をはっきり見えるように語っていく。特に源兵衛宅の離れで碁を打つ場面、湯島で番頭が柳田格之進と再会する場面などは、昨日も書いたが後ろにある屏風に背景が映っているのではないかと思うぐらい、ものすごい情景描写である。この「柳田格之進」は多くの落語家が演じているし、私も聞いてきているが、着物を含めてその所作、語り口などすべてで彼に勝る人はいない。さん喬の「柳田格之進」を聞かずして、この落語は語るべからすである。

明日土曜は最後の三夜目となるが、さん喬師匠は何を披露してくれるのだろうか。楽しみである。



木曜日, 5月 12, 2022

皐月恒例 さん喬十八番集成(さん喬選三夜の一夜)

昨日(11日)は日本橋劇場で開かれた「さん喬十八番集成・さん喬選三夜」の一夜目を聞きに行ってきた。出演者と演目は下記の通り。

柳亭左ん坊  「やかん」
柳家さん喬  「千両みかん」
柳家さん喬  「寝床」
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬  「唐茄子屋政談」

前座の柳亭左ん坊は柳亭左龍の弟子(=柳家さん喬の孫弟子)。私はさん喬を聞く機会が多いので前座は左ん坊が務めることが多い。これまで彼のいくつかの演目を聞いたが、当然ながら演目によって出来不出来は変わる。今回の「やかん」は残念ながら彼にはマッチしているように思えなかった。

柳家さん喬の1席目のマクラは師匠(5代目柳家小さん)と食べた美味しいものの話。19歳で福岡の料亭で食べた焼き松茸はさほどではなかったが、東京の有名店で食べた鰻は今でも忘れらないと。師匠と食べたからから美味しかったのだろうと師匠愛。その鰻から土用の丑の日の時期なのにみかんを食べたいという「千両みかん」へ。1席目ということもあるのかもしれないが、さん喬は情景描写などは控えるも、みかんを求めて走り回る番頭やそのみかんを食べる若旦那の心理描写は憎いばかり。まさに甘酢っぱい語りだった。

2席目のマクラは大師匠である黒門町(桂文楽)の話。師匠は義太夫好きだったとか。ということで、噺は「寝床」へ。私が最も聞いている落語家はさん喬であり、おそらくもっとも聞いている落語の演目は「寝床」だと思うが、さん喬の「寝床」を聞くのは実は初めて。これまで聞いた「寝床」との大きな違いは他の落語家では義太夫部分は適当に唸るだけだが、さん喬はちゃんとひと節ふた節入れる。この節を入れたことによって、ざわつく大店内の情景が浮かびあがる。鮮やかである。

3席目はマクラもそこそこに「唐辛子屋政談」へ。先日鈴本演芸場で春風亭一之輔の熱演を聞いたばかりだが、柳家さん喬の「唐辛子屋政談」はひと味もふた味も違う。一之輔師匠には悪いが、さん喬が江戸噺をすると後ろにある屏風に江戸の街並みや長屋の様がシルエットのように映るかのようだ。加えて、勘当された若旦那の心理描写の浮き沈みも見事に描く。感動と感服の一席だった。

最後にさん喬師匠は自身の企画で10月31日(月)に深川江戸資料館でお囃子衆8人を集めた催しをするとのこと。普段は舞台の袖(下座)にいるお姐さんたちに何をさせるのだろうか。本人はまだ何も考えていませんと言っていたが、ちょっと楽しみである。



水曜日, 5月 11, 2022

新版三人集@日本橋社会教育会館(一蔵、市弥、小辰出演)

昨日(10日)は日本橋社会教育会館で行われた春風亭一蔵、柳亭市弥、入船亭小辰による「新版三人集」を聞きに行った。

最初はトークから始まるのだが、ところが3人が登場するやいなや客席から「一蔵さん、痩せたねえ〜」のちょっと古びた黄色い声が。これには3人が「お客さんからトークが始まるは初めて」と。で、その一蔵は蝶花楼桃花の襲名興行での番頭仕事、自分の真打披露興行への準備、加えて九州での公演と大忙しでなんと12kgも体重が減ったとのこと。これには市弥、小辰だけでなくお客さんも納得。まあ、そんな大忙しいのに、彼のブログを見るとしっかり競艇はやっているようなので、まだまだ体力はありそうである。(笑)

ということで、出演者と演目は下記の通り。

入船亭辰ぢろ 「道具屋」
春風亭一蔵  「小言幸兵衛」
柳亭市弥   「あくび指南」
 〜 仲入り 〜
入船亭小辰  「木乃伊取り」

前座の入船亭辰ぢろは入船亭扇辰の三番弟子。「道具屋」は与太郎が伯父に変わって道具屋をやるというお馴染みの噺だが、辰ぢろは無難に話をすすめるが、なんか思い入れを感じない。噺の好き嫌いはあるかもしれないが、もう少し感情を込めてほしかった。

春風亭一蔵のマクラは弟子入りのときの裏話ゆえに割愛。「小言幸兵衛」は大家の幸兵衛が空いた部屋に入りたいという男たちを見定めながら、妄想をかき立てるというお噺。12kg痩せたとはいえ一蔵には既に噺家としての風格風情が備わっている。加えて剛腕な引きというか、観客を手繰り寄せる力技も身につけている。そして、春風亭一朝一門ということもあり、品位を落とすことはしない。豪放磊落のように見えて、これだけ痩せるのだから本当は胆大心小の人なのだろう。将来が本当に楽しみだ。

柳亭市弥のマクラは名古屋の大須演芸場で会った漫才のダイノジや曲芸独楽の柳家三亀司師匠の話。「あくび指南」は熊五郎があくび指南所に行くという噺。この噺、話の内容はシンプルなのだが、演じるのは難しいので聞ける機会は意外に少ない。そんな噺を意外にもといっては失礼だが、さほど器用でない柳亭市弥がちょっと粗忽ながらも展開していく。しかし、この開き直った馬鹿馬鹿しさが次第に全開になり、話を盛り上げる。そして、色気も加えて噺に広がりをもみせる。なんか市弥の新たな一面をみた思いだった。

入船亭小辰はマクラもそこそこに本題へ。「木乃伊取り」は田所町に住む大店の若旦那が吉原の角海老に5日間も入り浸りなり、弱った大旦那は番頭の佐兵衛が迎えに行かせるが帰ってこない。続いて鳶職の頭が迎えにいくが帰ってこない。最後は飯炊きの清蔵が行くがこれまた木乃伊取りになるという噺。小辰は二ツ目のなかでは抜群の実力の持ち主。ただ、感情の出し方が醒めているのが少し難があるが、この噺では顔を真っ赤にしながらの大熱演。これならば、大名跡入船亭扇橋をしっかり継いでいくに違いない。

最後に、この日配られたパンフには主宰(オフィスエムズの加藤さん)の3人の寸評・苦言と今後への期待などが書かれていた。ある落語家が「加藤さんほど落語を愛していて落語家を知っている人はいない」と言っていたが、その加藤さんに可愛がられている3人は幸せ者である。



月曜日, 5月 09, 2022

春風亭柳雀・春風亭昇也真打昇進披露興行@新宿末広亭

先週金曜(6日)は新宿末広亭で開かれている「春風亭柳雀・春風亭昇也真打昇進披露興行」へ行ってきた。春風亭柳雀は滝川鯉昇弟子であり、春風亭昇也は春風亭昇太の弟子。

この日の番組は今回の披露興行の番頭を務める二ツ目の春風亭昇羊(粗忽長屋)、コントの青年団(病院長と葬儀屋)、三遊亭小笑(悋気の独楽)、桂伸衞門(老人ホームごっこ)、奇術のポロン、滝川鯉斗、滝川鯉枝、漫才の三拍子(山手線)、桂米助、春風亭昇太(看板のピン)が出演して、まずは披露口上前の客席を盛り上げる。

このなかで、特筆すべきは桂伸衞門の「老人ホームごっこ」。公園で遊ぶ9歳のタケシくんと70歳の初老の老人(田中さん?)がタイトル通りのお遊びをするという噺で、観客を交えたグーパー体操を入れるなどの意欲的な新作落語。この噺、最初にオチを言ってしまうのだが、それでも思わず聞きいってしまう。桂伸衞門は二ツ目(桂伸三)のときに何度か聞いたことがあるが、彼がこんな面白い新作落語を演じると思いもしなかった。今後はシュールな新作をどんどん披露してもらいたい。

披露口上は下手より司会の桂伸衞門、滝川鯉昇、春風亭柳雀、春風亭昇也、春風亭昇太(落語芸術協会会長)、桂米助と並ぶ。口上では昇太が昇也の娘7歳が来ているので、弟子なのに今日は持ち上げる、と。(笑)最後はお手を拝借で3本締め。

口上後は漫談のねづっち、昇進の春風亭柳雀が「疝気の虫」、滝川鯉昇、曲芸のボンボンブラザース、そして、トリに真打の春風亭昇也が「おみたて」を演じる。

春風亭柳雀は入門が遅かったせいもあるせいか、その様相はすでに真打風格。落ち着いた語り口ながらも、ハメを外す時もしっかり観客の様子も見ながら演じていてとても冷静沈着。古典落語の王道を歩んでいってもらいたい。一方、春風亭昇也は底抜けに明るい。その明るさは昨年真打に昇進した桂宮治に通じるものがあるが、昇也は宮治ほどデジタル的というかテレビ的ではない。昇也はアナログ的というかマンガチックな感じがする。それゆえに、大衆的な受けはないかもしれないが、マニアック的というか演芸ファンというか通受けする噺家になるに違いない。その意味においては、"成金メンバー"のなかでは一番凄みを持っているのではないだろうか。大いに期待している。


木曜日, 5月 05, 2022

上野鈴本演芸場5月上席夜の部(主任:春風亭一之輔)

昨日(4日)は上野鈴本演芸場で開かれている5月上席夜の部を聞きに行ってきた。本来ならば柳家権太楼が主任を務めるはずだったが、不整脈のために検査入院してしまったので、春風亭一之輔が急遽トリを務めることになった。なお、出演者と演目は下記の通り。客席はほぼ満席。なお私のお目当ては入船亭扇遊の五街道雲助のベテラン2人と、柳家喬太郎、橘家文蔵、春風亭一之輔の3人の中堅というか無頼漢たち。(笑)

金原亭駒平   「道灌」
柳家燕弥    「金の大黒」
鏡味仙志郎・仙成(大神楽)
鈴々舎馬るこ  「東北の宿」
入船亭扇遊   「たらちね」
米粒写経    (漫才)
五街道雲助   「狸賽」
柳家喬太郎   「親子酒」
  〜 仲入り 〜
林家正楽    (紙切り)
橘家文蔵    「千早ふる」
柳家小菊    (粋曲)  
春風亭一之輔  「唐茄子屋政談」

前座の金原亭駒平は落語家というより役者っぽいなあと思ったら、この人、本当に小劇場の役者を10年もやっていたらしい。柳家燕弥が演じた「金の大黒」は大家の子供が金の大黒を掘り起こしたことに始まる長屋の住人たちのドタバタを描く噺。この噺を聞くのは初めて。そのせいか面白いのか面白くないのかよく分からなかった。大神楽のあとは鈴々舎馬るこの「東北の宿」。この噺も初めて聞いたが、これは分かりやすく楽しく聞くことができた。

入船亭扇遊の「たらちね」はかなりコンパクトにまとめたものだが、扇遊の「自らことの姓名は〜」の長ゼリフの名前口上は柔らかくとても聞き取りやすい。漫才の米粒写経はお得意の都道府県紹介で今回はリクエストに応えて「北海道」「岡山県」「愛知県」を披露。五街道雲助の「狸賽」は恩返しのために狸がサイコロになるという噺。雲助はいつものように飄々と話を進める。この人の話には嫌味がなく気分が朗らかになる。柳家喬太郎の「親子酒」は禁酒を誓っていたはずの親子が共にその禁を破って、2人で話にならない話をするという滑稽噺。喬太郎は2人の酔っ払いを巧みにというか、もうほぼ酔っ払い状態で演じ分ける。これには場内抱腹絶倒。喬太郎の凄みを感じる。

林家正楽は紙切り一家。息子の林家二楽、孫の林家八楽も活躍している。正楽はお客のリクエストに応えて「双子のパンダ」「川開き」「人魚姫」を作る。「双子のパンダ」は見事な出来だった。橘家文蔵の「千早ふる」は在原業平の百人一首の意味を問うという噺だが、文蔵はなんと最後の「”とは”てぇのは?」をオチをトリの春風亭一之輔に振って噺を終えてしまう。これにはお客も唖然。柳家小菊は端唄や都々逸などの粋曲を得意とするお姐さま。三味線も歌声もいつも色っぽく、一度は寄席ではなく座敷のある会場で聞いてみたい。

トリの春風亭一之輔はマクラで「船徳」(?)をやるかのような話をしながら、文蔵に無茶振りされた「”とは”てぇのは?」のオチを披露する。お見事。「唐茄子屋政談」は若旦那が勘当されて唐茄子を売るという噺だが、前半は滑稽噺で後半は人情噺という作りで1時間近い大ネタ。一之輔は前半の唐茄子を売るという部分は情景描写を交えながら滑らかに話を進めるものと、後半の母子を助けるところはその心理描写に気を遣いながら慎重に話を進める。これがこの噺の難しさなのだろうか。サゲではこの噺の難しさを吐露する。それでも1時間の熱演は充分に聞き応えがあった。