私が生まれ育った東京都目黒区には珍しい地名、美しい地名がいっぱいある。私が住んでいる碑文谷、私が通った小学校がある鷹番、高校があった八雲、他にも柿の木坂、大岡山、中根、平町など東京の他区にない由緒ある地名がいっぱいある。
というより、もっといっぱいあったのだが、1964〜69年の町名変更で由緒正しい町名がいくつも消えてしまった。町名変更の理由は、区役所の業務の推進と郵便局の能率化ということからであった。要は地元出身でない役人や郵便局員たちが、自分たちには馴染まない町名を、覚えやすいように無機質で味気ない地名にしたのである。
このために目黒区には上目黒、中目黒、下目黒(ここまでは元々あった町名)に加えて、目黒、中町、中央町、目黒本町、南などといった歴史にまったく関係のない地名が誕生してしまった。これでは、覚えやすいどころか混同してしまって、何のための町名変更だったのか今だによく解らない。
目黒はもともとは田道(でんどう)、中町は油面(あぶらめん)、中央町は唐ヶ崎、目黒本町は清水町、月光町、向原町という由緒ある名前があるのだ。こうした由緒ある名前は小学校や住民センターには残っていて、田道小学校、油面小学校、月光原小学校、向原小学校、田道住区センター、油面住区センター、月光原住区センター、向原住区センターがそれぞれ存在している。
地元に住んでいる人間としては、中町、中央町といった記号もしくは符牒のような地名より、歴史感生活感のある地名の方が親しめるものである。ここは思い切って、いつか地名復活をしてはもらいたいと常々考えている。懐古主義的な意味でなく、自分が住んでいる地域の歴史認識を問い直すためにも必要だと思うのだが。
1 件のコメント:
はじめまして。碑文谷の検索により貴ブログに不時着いたしました。
今まで住んできた場所全て土地の歴史に興味を持ってしまい、「地元の小学生なら社会の授業でいやでも教わるだろうな」とうらやみながら自分で図書館に通ったりしました。
私は、1982~86年のわずか4年間(サレジオ教会で例の有名な結婚式があった際は飛んでいく鳩を見ました)ですが、学生寮生活で目黒本町に住んでいた関係で、筆者殿の郷土史関係の記述には非常に興味を持っております。
年末には隣の郵便局やトークスでアルバイトをし、近所の住区センター横のパン屋さん、出たてのほっかほっか亭、さらにちょっと足を伸ばして有名パン工場のアウトレット食品なども堪能させていただきました。
住宅街ですが、ちょっとおしゃれながら町工場の雰囲気もあり、かなり気に入っておりました。引越しのバイトもやっていた関係で、地名には非常に興味をもち、(確かに私の周辺には本町、中町、中央町など「いかにも新しい」地名がある一方、「清水」「油面」「月光原」など交差点、バス停などには頑固に残っており、それがまた実用的な点、面白かったです)。
私が目黒に来て新しく興味を持ったのが、「暗渠(緑道)」です。世田谷や品川など東京西南部には多いようですが、これを探して歩くのが密かな楽しみでした。「廃線跡巡り」に似ているようですが、道のうねり具合から地下の水路を想像してたどっていくと池に当たり、あとで文献で裏づけするという作業です。
今後も時々読ませていただきたいので、郷土史関係宜しくお願いいたします。
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