火曜日, 2月 20, 2007

流氷は碧かった

流氷見学(流氷ウォッチング)というとガリンコ号のような砕氷船に乗り沖合まで出て、船の上から流氷を見るものになりつつある。しかし、その昔私が流氷見学(こんな言葉はなかった)に訪れた時はガリンコ号はなく、流氷は陸上から見るものでしかなかった。

私が流氷を見に行ったのはアメリカでの学生生活にピリオドを終えて戻ってきた月だった。帰国してボーッとしていた私は国内を旅行してみたくなり、温暖の地カリフォルニアにいた反動からか極寒の地へ行くことにした。国鉄(現JR)の北海道周遊券を利用して、2〜3週間の道北・道東をバックパッカー旅行に出た。

初めて流氷の姿を目にしたのは浜頓別(はまとんべつ)の高台からだった。その姿は沖合彼方遠方に、細長い白い島があるかのように見えた。そして、地元の人から「あと2〜3日すれば着岸するから、もう少し南の方へ行った方がいいよ」と言われた。流氷は稚内や浜頓別のような北から接岸するものでなく、網走から知床近辺に一番早く接岸することをそのとき知った。

そこで、私は今はもう廃線となってしまった興浜北線、興浜南線、湧網線と乗継ぎ、釧路から釧網本線に乗り、止別(やむべつ)という駅で降りた。駅の前には商店など何もなく、吹雪の中を私は網走で調べておいた海岸近くの民宿に宿泊した。1泊1500円という超格安の値段だった。ただし、食事はごはんとみそ汁と魚の干物だけだった。

その宿には私のように流氷を見にきたという同志社大学の女子学生が先客としていた。彼女は流氷の接岸の瞬間を見ることと、流氷の鳴く音を録りにきたと言い、今はもう見かけることはなくなってしまった大きなデンスケ(カセットテープ用の録音機)を持っていた。そして、すでに一週間もこの寒い宿に滞在していると言った。

翌日の朝、起きたら彼女は寂しそうな顔した。昨日の吹雪の間に流氷はすでに接岸していた、と言うのである。私も朝食もそこそこに吹雪がおさまった外へ出て海岸へ行ってみた。というより、どこが海岸か全然わからなかった。白い雪とも氷ともいえないデコボコが一面を敷き詰めている。そして、50メートルぐらい先には隆起した青白い塊が水平線と一緒に走っているのである。

流氷は碧いのだ。

そして、耳をすますと寒風のなかに流氷が擦りあう音というか軋む音が聞こえる。
キュッキュッ、キュッキュッ。
流氷の鳴く音だ。

私の脳裏から決して離れることのない感動的な光景だった。後にも先にも、この流氷以上に日本で大自然を体感する光景を見たことがない。今日のように暖かい冬が続くと、いつしか流氷も接岸することがなくなってしまうのだろうか。いまだに初雪が降らない東京にいると、流氷が船でしか見れなくなる時代がいつかやってくるのか、と思うと寒々する。

流氷サイト
http://www.noah.ne.jp/ice/l

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