土曜日, 5月 10, 2008

『幻の宰相・小松帯刀伝』を読む

以前にも書いたが、NHK大河ドラマ『篤姫』のおかけで、小松帯刀(瑛太が好演している)が脚光を浴びている。この小松帯刀は坂本龍馬と同じ年に生まれ、幕末には薩摩藩の仕置家老として活躍するが、小説やドラマで取り上げられたことがないために、その名は余り知られていなかった。しかし、龍馬や西郷隆盛などが幕末の「表の主役」ならば、帯刀は勝海舟と同じように聡明な先見性と大らかな指導力で「影の主役」だった人である。

その小松帯刀に書かれた本はほとんどないのだが、Mixiの小松帯刀コミュニティに参加すると、その管理人さんが『幻の宰相・小松帯刀伝』(上下巻)を書いた瀬野富吉氏のお孫さんということが解り、その方より無理を言って上下巻2冊を譲っていただいた。Mixiがなければ手に入らないかったであろう本だったので、このことについてはMixiおよびコミュ二ティの管理人であるせにょる氏に感謝したい。

さて、この本を読んでみて、小松帯刀が幕末に果した役割が多方面にわたり多大であることを知らされた。坂本龍馬や中岡慎太郎らは薩長同盟や薩土同盟、そして大政奉還のために東奔西走した。こうしたなかで、帯刀は倒幕派最大勢力である薩摩藩の方向性を西郷隆盛らと共にまとめ上げ、大政奉還の際には最後のツメを徳川慶喜に迫っている。また、帯刀は坂本龍馬や海援隊の活動を側面から支援したり、長州藩に対しても武器供与の援助を行っている。他にも日本初の新婚旅行と言われる、龍馬と愛妻おりょうの薩摩行きのお膳立てもしている。つまり、帯刀は薩摩藩を束ねるだけでなく、龍馬や長州藩など他藩の手助けも行っていた。

こうした国事ごとだけではなく、帯刀は薩摩藩の藩制改革も実行している。薫陶をうけた島津斉彬や久光の教えを守り、近代産業の育成を行ったり、他藩と活発に交易することで財政再建を行う。また薩英戦争では陣頭指揮も行い、英国艦隊に大きな損害を与えている。そして、戦争後には英国公使パークスを薩摩に招待したり、留学生を英国に送ったりしている。その活躍はまさに八面六臂であり、帯刀は薩摩藩の軍事、外交、財政、教育、産業など各種の最高責任者に任ざれていて、「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と言われたことがあった。

こうした有能な才覚の持ち主であったことから、龍馬による新政府の人事構想では、帯刀の名は維新の三傑(西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎)を抑えて、筆頭に挙げており龍馬の評価が窺われる。ちなみに、私は坂本龍馬、高杉晋作、小松帯刀の三人が「幕末の三傑」もしくは「幕末夭折の三傑」だと考えている。もし、帯刀が長生きしていれば、明治新政府の中核の一人として、大久保、後藤象二郎、板垣退助らと共に辣腕を振るっていたに違いないだろう。そして、西郷と大久保の間をとりもち、西南戦争が起きることはなかっただろう。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をはじめとして坂本龍馬に関する書物は何十冊もあるが、小松帯刀のことについて書かれている本は非常に少ない。そのために、彼の名前は地元鹿児島でも知られていなかった。今回の『篤姫』で大きく取り上げられたことによって、彼の業績が再度見直されるだろう。


追記:『幻の宰相・小松帯刀伝』は小説ではないが、帯刀の業績と人となりを詳細に書いている。ただ、この本は絶版なので残念ながら入手することは難しい。帯刀のことを知りたいという人は『篤姫』の時代考証を担当していて、『幻の宰相・小松帯刀伝』の監修をしている原口泉氏が書いている『竜馬を超えた男小松帯刀』(グラフ社刊)を読むことをおすすめします。

大河ドラマで俄然注目の人、小松帯刀
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html

1 件のコメント:

とまと さんのコメント...

komatu さんてどんな方なのだろうかと興味を持ち、ここにたどり着きました。小松帯刀に興味をもっていたのですが、これほど維新に関わっていたのかと初めて知りました。実に惜しい人を失くしましたね。日本の大きな損失だと思いました。