水曜日, 10月 30, 2013

新国立競技場建設計画は白紙撤回すべき

私が幾度か問題視してきた新国立競技場建設計画が揺れに揺れている。

当初総工費1300億円と想定してデザイン公募だったのが、採用したザハ・ハディドのデザインの建設費を見積もったところ総工費が3000億円にもなるというかことが、採用後にわかったからだという。そして、政府はデザインはそのまま生かして、競技場は国際オリンピック委員会の基準に合わせるが、周辺は縮小して建設予定を行うと言う。また、建設費の3割を東京都に負担を求めるなどしている。

私は建築家でなければ、建設業界にも関ったことがいっさいないド素人である。そんなド素人な私ですら、あのデザインを見たとき「これ、いったいいくらで造れるの?」と思った。そのときは予算が1300億円ということは知らなかったが、採用を決めた国立競技場将来構想有識者会議の委員(安藤忠雄、森喜朗など)は知っていたはずであるから、なんと無能な委員たちであろうか。

それにしても、デザイン優先で工事費の見積もりもせずに公募をするという方法は間違っている。こんな公募方法をしている文部科学省も問題である。とにかく、今回の問題は縮小して建設するとかではなく、白紙撤回して新たに工事費・工事期間を含めたデザイン公募を行うべきである。もちろん、選考委員も総入れ替えのうえ専門家を半分ぐらい入れたプロの集団にしてもらいたい。

火曜日, 10月 22, 2013

実はカタカナに弱いんです

小学生のころまでは、これといって意識をすることもなかったカタカナ。しかしながら、中学・高校に進むにつれて漢字主体の本を読んでいたせいもあり、またその後はアルファベットの外国語ばかり勉強していたこともあり、ほとんどカタカナに慣れ親しまなかった。そのせいか、社会人になってからカタカナをとても不得手とするようになってしまった。

以前ガイドブックを作っていたときは、カタカナといえば地名店名ぐらいで、これはさほど問題がなかった。また、演劇関係の仕事をしていたときもカタカナといえばシェイクスピアぐらいで、さほど頻繁に難しい言葉に接することはなかった。そして、クラシック音楽関係も作曲者と簡単な音楽用語ぐらいで、これといってカタカナに不自由することはない。

ところが、オペラやバレエの解説文・あらすじにはカタカナが氾濫している。それも英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、中国語などの世界中の地名・人名、専門用語がカタカナとなってごちゃまぜになっていたりする。時おり、全部英語にしてくれと思ったり、カタカナの部分だけすべてアルファベット表記にしてくれと思ったりしてしまう。あと、一流レストランなどでもチンプンカンプンのカタカナに悪戦苦闘したりすることがある。

ということで、私はカタカナに相当弱いために、あらすじや解説、そしてメニューをちゃんと理解するのに人の2倍3倍の時間がかかっています。

月曜日, 10月 21, 2013

四十肩? 五十肩? それとも?

それは突然やってきた。5月下旬のある日、朝起きた途端に右肩に激痛が走った。そして、右手がなかなか上がらない。後ろに回すなどの動作もできない。というより、右肩全体が萎縮硬直して動かないのだ。頭をよぎったのが、四十肩五十肩である(もうすぐその上の大台に乗ろうとしているのに・・・)。

そこで、ネットを開いて調べてみると、まさに症状である。「肩を動かすと痛い」「肩から腕にかけて痛む」「腕を後方へ回すと痛む」「上下/水平の動きが制限される」「肩が上がらない」と書かれているではないか。私の場合はこれらに加えて、肩の周囲の筋肉がガチガチに張るという症状もあった。

そこで、まずは痛みを取り除くために、家にあったロキソニンを服用。ちょうど、翌日に鍼を予約していたので、その日はなんとか我慢して、鍼の先生に相談してみると「おそらく五十肩でしょう」ということで、肩周辺に十数本の鍼を打ち、抜いたあとにマッサージをしていもらった。

それから1〜2週間に1度の鍼治療を行ったが、あまり改善されなかったので、8月に入って整形外科に行くと、先生は「肩関節周囲炎でしょうね。一応、レントゲンをとって、肩に注射(ヒアルロン酸ナトリウム)を打ちましょう」ということで、とりあえずはレントゲンを撮ってみる。そして、先生は「注射は普通の注射より痛いですけど、打ちますか」と脅かしてきたが、注射にはめっぽう強い体質なので「打ちましょう」と返事すると、ちょっと太めの注射器をもってきて、肩に刺した。一瞬、痛みが走ったものの、さほど大したこともなく、ほんの数秒で終わってしまった。

で、翌日になると肩の痛みがかなり軽減された。それ以降は温湿布を貼ったり、せんねん灸をしたり、マッサージに行ったりして、とにかく肩をほぐすようにした。そして、今ではまったく元と同じように不自由なく右手右肩を動かすことができるようになった。

四十肩五十肩の原因はいろいろあるようだが、もし四十肩五十肩ではないかと思う症状が出たら、まずは整形外科に行くことをおすすめする。鍼やマッサージは治療としては有効手段だと思うが、まずは整形外科医で治療方法を相談するのがいいのではないだろうか。

木曜日, 10月 17, 2013

取材ヘリコプター規制法案を作れ!

阪神大震災のとき一番人命救助の妨げをしたのは、新聞社やテレビ局の取材ヘリコプターだった。そのためもあってか、地上でカメラを回すだけで救助活動を手伝おうとしなかった記者やカメランマンたち何人もが市民から殴られ、機材を壊された。その轍があったせか、東日本大震災のときは取材ヘリコプターはかなり自粛していた。

しかしながら、今回の伊豆大島の台風による土砂崩れでは、馬鹿なヘリコプターが何機も飛来して、救助活動の妨げをした。このことに対して各マスコミおよび日本新聞協会もしく民間放送連盟からお詫びもしくは謝罪のコメントは一切ない。

このようにマスコミというのは自分たちの悪行に対して何も報道することなく、自己批判をすることもない。ましてや自主規制をしようとする意志も持っていない。こうなれば、災害時の取材ヘリコプターは規制するという法案を作るしかないだろう。

火曜日, 10月 15, 2013

10月を閏(うるう)月に?

母親が面白いことを言った。

「今年の10月はこんだけ暑いし、なんか9月みたいだから、昔みたいに(9月の)閏月にすればいいのに」
「・・・・」
「いい考えでしょ」
「あの〜、閏月というのは陰暦での話で、太陽暦にはないのですが・・・」

知らない方のために説明するが、閏月というのは月の満ち欠けの周期によって作られる陰暦(江戸時代まではこれが使われていた)で、3年に一度の割り合いでひと月をそっくり余分に設定するというものである。正確な計算でいくと3年に一度ではなく、19年に7回にするとほとんど時の狂いがなくなるらしい。

しかしながら、これを太陽暦でやったら、どうなるのだろうか。もし母親が言うように10月を閏9月にしたら、11月は10月になるのだろうか。それとも今年は10月はなかったことになるのだろうか・・・。

大正生まれの発想はちとおかしい。w

金曜日, 10月 11, 2013

東京で最も遅い真夏日を記録

気象好き (^_^) としてはこの記録はやはり書き留めておかなねばならない。

今日(10月11日)の東京の最高気温は13時17分に観測された30.2℃だった。この記録は気象庁が1975年(明治8年)に統計を取り始めてから最も遅い真夏日となった。ちなみに、これまでの記録は98年前の1915年(大正4年)10月9日で、このときは31.3℃を観測した。

   最高 最低
1日 23.9 19.5
2日 26.4 21.0
3日 28.8 21.9
4日 18.9 17.6
5日 19.3 15.2
6日 24.3 18.8
7日 27.1 20.6
8日 29.6 22.7
9日 28.8 24.4
10日 28.4 23.0
11日 30.2

上記は今月(10月)に入ってから東京の最高気温と最低気温である。

今年の夏は例年通りといってはなんだが「暑さ寒さも彼岸まで」という諺の通り、9月の22日に30℃を記録した以降は9月末まで23℃〜26℃と安定していた。そして、10月に入って台風による秋雨前線の影響で4日・5日としとしとした雨が降り、肌寒い日が続き、その後は秋らしい天候になるかと思われた。しかし、逆に台風が南から湿った空気と高気圧を押し上げた格好となり、ついに今日30℃越えとなってしまった。

一昨日(9日)に新潟県糸魚川で10月としては国内観測史上最高の気温35.1℃を記録したことにも驚いたが、今日の東京の30℃越えも驚きである。日本はもはや温帯に属しているのではなく亜熱帯に属しているようである。

【追記】
と書いた翌日(12日)には東京ではなんと31.3℃を記録。1日にして「東京で最も遅い真夏日」を更新してしまった。加えて、記録上には残らないかもしれないが、11日夜から12日朝にかけての温度は25℃を下回らず、おそらく「東京で最も遅い熱帯夜」であった。う〜ん、10月にこんな寝苦しい夜を過ごすとは信じられない。


土曜日, 10月 05, 2013

ケンタッキーフライドチキンの新店舗「鶏から亭」

今月1日に碑文谷ダイエー内にケンタッキーフライドチキンが経営する新しい持ち帰り専門店「鶏から亭」がオープンした。早速食べたいと思ったのだが、最初の3日間はいつ行っても長蛇の列で、並ぶことが嫌いな私は4日目にしてようやく買うことができた。

この「鶏から亭」はこれまでのオリジナルチキンとは別に、新しく開発された4種類の和風感覚の“唐揚げ”を提供するお店としてオープンしている。その4種類とは下記の通り。

醤油:にんにくを効かせた王道の味
秘伝スパイス:ケンタッキーの味、そのまま。
辛旨(からうま):唐辛子の辛みと、にんにく醤油の旨味。
胡山椒:胡麻、山椒、醤油の味が香る

写真:上側の3品はオリジナルチキン。下側が左から胡山椒、秘伝スパイス、醤油、辛旨。

値段はどれもが100g270円だが、14日まではオープン記念のお試し価格として100g240円で販売されている。これとは別に、この4品とオリジナルチキン3品が入った「味くらべパック」(1000円)や、好きな唐揚げを入れた「お好み鶏から弁当」(500円)も販売されている。ということで、私はオリジナルチキンも好きなので、とりあえず「味くらべパック」を買ってきた。

さて、その味だが、う〜んまだ開店直後というせいもあるのか“唐揚げ”4品はいまひとつケンタッキーフライドチキン特有のクリスピー感がほとんどない。まあ“チキン”でなく“唐揚げ”なので、多少の油味が残るのは仕方がないのかもしれないが、もう少しパリッとした爽快感みたいなものがほしい気がする。また、味つけはオリジナルチキンに比べて全体的に少し辛く、ビールのつまみにピッタリでかなり大人向けなのではないだろうか。

KFCとしては今後1年以内にスーパーを中心に6店舗を出店する予定とのこと。値段的にはちょっと高めの“唐揚げ”ではあるが、鶏好きな人にとっては夕食のお惣菜、お酒の一品としては良いかもしれない。もし、お近くにお店が出来たらお試しあれ。

ケンタッキーフライドチキン|ニューコンセプト|鶏から亭
http://www.kfc.co.jp/info/torikaratei/index.html

金曜日, 10月 04, 2013

なぜ小久保裕紀がプロ野球日本代表監督に

プロ野球の日本代表新監督に昨年まで福岡ソフトバンクホークスでプレイしていた小久保裕紀が就任することになった。う〜ん、相変わらずというか、いつまでたっても日本のプロ野球は読売新聞の影響下にあるのだなあと思わざるをえない人選である。

歴代のプロ野球の日本代表監督は2004年アテネ五輪の長嶋茂雄(実際は中畑清が監督を務める)に始まり、2代目は第1回WBCの王貞治、3代目は北京五輪の星野仙一、4代目は第2回WBCの原辰徳、第5代は第3回WBCの山本浩二だった。このなかで巨人でプレイしたことがないのは星野と山本だが、二人ともセリーグ出身であり、どちらも少なからず読売新聞との関係があった。そして、次期監督が小久保である。

小久保裕紀は1993年にダイエーホークスにドラフト2位で入団。1年目のルーキーイヤーこそ大した成績を残せなかったが、2年目以降はコンスタントな成績を残し、ホークスの中心選手となった。そんな小久保が2003年オフに無償で巨人にトレードされた。この謎というか疑惑のトレードは、小久保がダイエーの球団首脳陣と確執があったというのが一般的見方である。しかし、当時のダイエーは経営危機にあり球団を手放す危機にもあった。そのために中内正オーナーが読売およびマスコミへそうした体質の口封じというか、泣きつきとも言えるご機嫌取りのために小久保を巨人に無償トレードしたとも言われている。

ということで、小久保は魑魅魍魎とした球界の体質のなかで翻弄されたと言っても過言ではないだろう。そして、今回の日本代表監督就任である。これは読売による小久保に対してのお礼とご褒美なのかもしれないが、実態は日本代表監督は読売の影響下にある者でなければなれないぞ、という球界全体に対しての威嚇のように思える。プロ野球はいつまでたっても読売のアンダー・コントロールにある。

水曜日, 10月 02, 2013

美食日記「アジュール フォーティーファイブ」(六本木)

いざという時のために友人や知人に医者や弁護士を持つべきと言われたりするが、食通や飲兵衛にとっては一流料理人の知り合いがいるというのは頼もしいものがある。ということで、今回はちょっと美味しいものが食べられるなという下心ありありで(笑)、友人の知人がスー・シェフを務めるレストランを訪れた。

「アジュール フォーティーファイブ」は六本木ミッドタウン内にあるリッツ・カールトンホテルのフランス料理店。“アジュール”とはフランス語で青という意味で、45階のレストランから望める湾岸エリア、東京湾、房総半島の景色のことを表している。私たちが訪れたのは夜であったので、東京湾こそ見えないもの、眼の前の東京タワー、レインボー・ブリッジなどのライトアップや、遠くに房総半島の灯り、加えて羽田や成田から飛び立つ飛行機の点滅灯を楽しむことができた。

とまあ、完全なデートスポット的なテーブル席に着いたものの、今回はこうした光景はあくまでも背景画に過ぎず、主役はあくまでもお料理。スー・シェフの山中賢二さんにどのような美味しい料理を食べさせてもらえるかであった。で、料理のコースは下記の通り。

・オシェトラキャビア"アジュール 45"カリフラワームース(写真右上)
・鰻のフォワグラムース、 ミルフィーユ仕立て 赤ワインゼリー バルサミコ
 (or ブリとホタテとミル貝のカルパッチョ)
・アワビと野菜のフリット サルミソース サングリアのフォーム(写真左下)
・ブイヤベース 旬の魚、野菜のジュリエンヌ、サフランアイオリ
・ブルターニュ産チュルボ(カレイの一種)
・能登牛フィレ肉のソテー(写真右下)
・特選チーズ
・ルビーポートソース 無花果のシャーベット

まず初めの一品が素晴らしい。キャビアが美味しいのは当たり前として、キャビアの下に隠れているカリフラワーのムースが粘り気があるにもかかわらず味はさっぱりしていて、キャビアの塩味をうまく引き立てくれる。ビールやシャンパンとの相性はもちろんだが、これをパンにつけて食べるのはかなりの贅沢であった。すみません。w

2品以降も海鮮を主体とした料理が続き、フレンチというより素材的にはイタリアンと思われそうだが、フレンチ特有のしっかりしたソースによる味つけがされている。そのなかで、私が一番圧倒されたのが、3品目のアワビだった。アワビというとコリコリ感というイメージがあるが、この料理はそのコリコリ感に芳醇な柔らかみが加わり、サルミソースと共にこれまで味わったことのない豊穣な食感が口から胃の奥まで伝わるようであった。ブラボーものである。他にも初めて食べるカレイの一種のチュルボは、肉厚にもかかわらずサクサクと食べられ、最高級の能登牛フィレ肉もまろやかな味わいで申し分なかった。

食事中に山中さんと話をしたり、海外研修の一環としてサービススタッフとして働いている若いイケメンのスイス人とイタリア人と会話をしたり楽しんでいたら、なんと4時間半も過ごしてしまい、これまでのレストラン滞在時間最長記録を更新してしまった。そして、このことは時を忘れた至福の時間を過ごしたという証しでもあったことは言うまでもない。