金曜日, 7月 28, 2023

第661回落語研究会

一昨日(26日)は国立小劇場で開かれた第661回落語研究会を聞きに行ってきた。落語研究会は以前はほぼ会員制だったので、私は過去に1回しか行ったことがなかった。それがコロナのせいで予約制となり、10数年ぶりの鑑賞となった。出演者と演目は下記の通り。

柳家小はぜ  「狸鯉」
桂宮治    「道灌」
古今亭志ん輔 「小猿七之助」
 〜 仲入り 〜
入船亭扇遊  「きゃいのう」
春風亭一朝  「菊江の仏壇」

落語の演目数はどれぐらいあるかという愚問がある。

落語には古典落語と新作落語がある。古典落語は基本的に江戸から明治に作られたものをさし、新作落語は大正もしくは昭和以降に作られたものを言うが、ただ一般的には現存する落語家もしくは落語作家が作ったものを新作と言うような気がしなくもない。

さて、その愚問であるが、現在演じられている古典落語は500とも800とも言われる。ただ、主に寄席などで演じられる馴染みの噺は200ぐらいではないだろうかと言われている。新作に至っては昨日何処かで初めて演じられた演目があるかもしれないので、数えようがない。

さて今回の落語研究会の演目は「狸鯉」「道灌」の2演目は馴染みの演目だが、「小猿七之助」「きゃいのう」「菊江の仏壇」はあまり演じられることがない珍しい演目。私もこの3演目は初めて聞く。

「小猿七之助」は講談ネタなのだがそれを立川談志が落語化したらしい。よってこれが古典になるのか新作になるのかどちらか分からない。まあどっちでもいいのだが、噺の内容はさほど面白くない。

「きゃいのう」は舞台役者の悲喜交交を描く滑稽噺。歌舞伎の舞台裏を小まめに描写しながらの噺。入船亭扇遊ならではの粋で鯔背(いなせ)な話芸が冴える。

「菊江の仏壇」は上方落語の大ネタ。若旦那が自分の嫁に似た妾を囲うという噺。内容はかなり陰湿になりかねないものだが、春風亭一朝は持ち前の江戸弁をうまく活かして明朗に進めていき、明るい怪談噺に仕立てあげる。

最後に余談になるが、桂宮治がマクラで述べていたが、「笑点」と「落語研究会」では楽屋も高座も温度差が違うとか。落語研究会はまだまだ敷居は高いようだ。(笑)



金曜日, 7月 21, 2023

不忍池に野球場!? 神宮外苑再開発は同じ穴のムジナ

戦争中、上野の不忍池は食糧不足を補うために一面水田だった。それが再び池として再生されたのは終戦から5年経った1950年のことであった。その間に池を復活させるのではなく、そこに8万人収容の野球場を作ろうという計画が立てられていた。しかし住民の猛反対にあい頓挫。この計画を主導したの正力松太郎(読売新聞社主)であった。

そして今日、神宮外苑の再開発を三井不動産主体でおこなおうとしている。これは不忍池の野球場計画と「似て非なる」ものか、それとも「同じ穴のムジナ」なのか。どちらなのだろう・・・。

不忍池野球場計画は明らかに自然破壊であり、アメリカ進駐軍に媚びる商業主義的なものだった。一方で、神宮外苑整備計画はスポーツ施設の再建計画なので何の問題もないように思える。しかし、その実態は数多くの木々を伐採するなどの自然破壊であり。3棟の高層ビルを建てるなど明らかに商業主義優先計画である。

こんな自然破壊と商業主義の計画は絶対に許してはならない。




木曜日, 6月 22, 2023

林家つる子独演会「つる子の赤坂の夜は更けて」(鴻池の犬)

昨日(21日)は赤坂会館6階稽古場で開かれた林家つる子独演会「つる子の赤坂の夜は更けて」を聞きに行ってきた。会場は満員。演目は下記の通り。

林家つる子  「お菊の皿」
林家つる子  「JOMO」
 ~ 仲入り ~
林家つる子  「鴻池の犬」

つる子の演じる「お菊の皿」はそれなり怖い怪談噺なのだが、この日は短めバージョンなのかサクサク感に進んでいき全然怖くない。まあ最初の演目の場合はこういう方がいいだろう。

「JOMO」は上毛高校に入った主人公が「かるた部」へ入るが、そこはなんと「上毛かるた」部。上毛かるたは1947年(昭和22年)に作られた群馬を表現する郷土かるた。群馬県人ならみんな知っているそうだ。そんなかるた部に入った主人公が全国大会を目指すというお話。もう完全におバカを通り越した郷土愛に満ちはふれた作品。さすがぐんま観光特使だけのことはある。そんな噺のマクラがおかしかった。群馬では運動会では紅組白組などで分かれるのではなく、赤城山・榛名山・妙義山など群馬の山の名前をとって分かれるとのこと。また、列の数え方も1列・2列・3列ではなく、1の川(側?)・2の川・3の川と呼ぶそうである。いや〜、群馬県は可笑しい。

仲入り後は「鴻池の犬」。私の好きな演目だが、林家つる子がこれを演るとは驚いた。クロ、ブチ、シロの3匹の子犬の話で、大阪の鴻池にもらわれたクロに会いに行くシロが基本的に主人公。しかし、つる子は他の2匹にもスポットを当てて、3匹をほぼ平等に扱っているのが好感がもてる。特に大方の噺家ではブチは亡くなってしまうのだが、つる子は生きかえらせていて、完全なハッピーエンドの話としている。ただ、難点はシロがお伊勢参りの犬ハチとの道中の描写が見えてこない。桑名の宿での別れのシーンなどはもっと深掘りしてもいいのではないだろうか。柳家さん喬師匠と比較するのはコクかもしれないが、もっと情景が見えてくる語りにしてもらいたかった。



金曜日, 6月 09, 2023

内子、松山、今治の旅

6月4日から6日まで愛媛県の内子、松山、今治と旅をしてきた。旅にはいろいろと目的があるものだが、今回は単なる観光目的ではなく、私に少しばかり縁のある場所を訪れる旅を組み入れてみた。

愛媛県内子町にある内子座は、江戸後期から昭和初期にかけて作られた16の芝居小屋が加盟している「全国芝居小屋会議」のなかでも、もっとも有名な劇場と言っても過言ではない。ここでは歌舞伎、落語会、音楽会などが開かれ、この地域の住民にとって重要な文化拠点になっている。私も芝居に関わっていたことがあるので、ここへは以前より訪れたくて仕方がなかった。そして、内子町にはもう一つ訪れてみたいところがあった。私がよく飲みに行く学芸大学のお店が常に置いてある日本酒「京ひな」の製造元である酒六酒造が内子町があり、どんな酒蔵なのか知りたかったのである。

2日目の目的地は松山市の三津浜という港町であった。ここは目黒の行きつけのお店がコロナ前まで魚を取り寄せていた漁港で、こちらも以前より興味を抱いていた場所であった。三津浜は江戸時代は松山藩の藩港として栄え、明治から昭和初期までは海運の要衝として、とても賑わいのある町で競馬場まであったという。しかし、今では商店街はほぼシャッター街化してしまった。それでも往年の隆盛を誇った時代の建物がいくつも残っていて、散歩をするにはもって来いの場所だった。

そして、3日目の目的は今治タオル本店(今治タオルLAB)だった。30年ぐらい前まで自宅のすぐ近くに今治タオルの倉庫というか東京営業所みたいなものがあり、毎日大きな段ボールに入ったタオルを荷卸しをしたり、配送手配をしていた。そのおかげというか、私は何枚もおこぼれのタオル(多分廃棄処分になるような)をもらったりしていた。そういうこともあり、新しくできた今治タオル本店へ行き、お土産用のタオルを購入することにした。

このようにちょっとした縁のある旅も乙なものである。(笑)

月曜日, 5月 29, 2023

台南の母親が生まれ育った地は保存されている

先日、母親が入所している介護施設から「生活の記録」という報告が届いたが、そのなかに「私はね台湾で生まれたんですよ」という記述があった。母親は1924年(大正13年)に台湾の台南で生まれた。そして、その生家というか6歳まで育った家の一部は今でも残っている。

ご存知のように当時の台湾は日本の統治下にあり、日本政府は国策の一環として台湾で砂糖を大量に製造していた。特に台南には数多くの製糖会社があり、母親の父である祖父・久保田富三はそのなかの一つ明治製糖(後の明治製菓、現在の明治)の社員として働いていた。

明治製糖は欧米で糖業研究を学んで、東京工業大学の前身である東京高等工業学校の教授を務めていた相馬半治(1869年〜1946年)が子爵・渋沢栄一ら多くの財界人の協力を得て1906年(明治39年)に台南に設立した会社。その後明治製糖は台湾及び国内に工場を建設、その後同業他社をいくつも合併して業務を拡大していった。

  
「明治製糖株式会社三十年史」より

そんな出来たばかりの会社に1905年に東京高等工業学校(応用化学)を卒業した久保田富三は入社した。そして、入社後間もなくハワイに農夫や職工として、実際に糖業を見習うために派遣された。その後は台湾に派遣され技師として製糖に携わり、南投工場場長、總爺工場場長などを歴任している。

母親が生まれた台南は現在は人口約200万人近い大都市であるが、生まれた当時の台湾の総人口は約400万人(現在は約2500万人)。そして、1925年(大正14年)の台南市の人口は約8万3千人で、日本人は約15%にあたる約1万3千人が暮らしていた。

祖父・久保田富三が働いていた明治製糖は台南周辺に幾つもの製糖工場を持っていたが、祖父はどうやら南投工場場長と總爺工場長を歴任しているようで、總爺には明治製糖の本社および社長宅、工場長宅、社宅などがあった。そして、その總爺の明治製糖があったところは現在は総爺芸文中心という芸術文化を発信するセンターになっていて、当時の建物がそっくり保存されている。

一青妙(ひとと・たえ)の著書「台南『日本』に出会える街」の54ページには総爺芸文中心(ツォンイエ イーウェン チョンシン)には「1906年、台湾に進出した明治製糖株式会社の本社所在地。工場長の宿舎、オフィス、クラブハウスなど当時のまま残され、内部も見学ができる」と書いてある。

母親が生まれたときは祖父が總爺工場長だったか定かではないが、おそらく彼女は6歳になるまで何年かはここで育ったと思われる。それを確かめるためにもいつか訪れてみたい。

総爺芸術文化センター https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4984


水曜日, 5月 24, 2023

痛風顛末記(その2)

痛風は40代以降の男性なら3人に1人はなると言わている。最大の原因は美味しものの食べ過ぎというか、プリン体を多く摂取しすぎであることは言うまでもありません。そして、今回痛風になって身に沁みたのが、水分補給が少ない人もなりやすいということでした。

では、痛風にならないために普段どうするべきかというと、第一にプリン体が多く含まれる食事をなるべく摂らないこと。第二に小まめに水分補給をすること。第三に歩くなり走るなり泳ぐなり有酸素運動をすること。第四に体重コントロールをすることである。

残念ながら私は三番目以外は怠っていると反省をせざるをえません。なかでも二番目の水分補給が足りていないことを痛感せざるをえない。というのも、私は寝ている時に足をつることがある。ひどいときはのたうち回るというか脂汗をかくことがある。足がつる要因もマグネシウム不足であり水分不足にあると言われている。そして、お酒を飲むときも他人よりあまり水を飲んでいない。そのせいか、飲み屋に行ってもほとんどトイレに行くことがなく不思議がられたりもした。

ということで、自分を戒めるためにも、今後は季節が夏であろうと冬であろうと、運動をしようとしまいと、常に水分摂取をするよう心がけたい。


火曜日, 5月 23, 2023

痛風顛末記(その1)

ちょうど2週間前の5月9日、朝起きたら左足親指のつけ根が腫れ上がり、とても歩けるような状態ではなかった。痛風の発作である。昨年10月に痛風になり、またこの4月には偽痛風にもなったが、どちらも3日で腫れも痛みも消えた。しかし、今回はとんでもなかった・・・。

9日に発作が起きて、その日はまったく身動きすらできない状態で、ひたすら腫れた箇所を保冷剤などを使って冷やし、自宅にあったロキソニンを服用した。そして、翌日、近くの医者へ行ったところ「これは時間がかかるかも」と言われた。私は1週間は覚悟したが、まさかそれが10日以上もかかるとは思いもよらなかった。

痛風には2種類あるそうだ。一つはプリン体を過剰摂取する産生過剰型、もう一つは水分補給不足の排泄低下型という。私は正直、どちらにも当てはまりそうだ。最近はビールこそ控えているが、ゴールデンウィーク期間中に、うなぎの肝、鶏の胸肉、ボタン海老などプリン体が多く含まれる食事をしてしまった。一方で、運動するときはしっかり水分補給はするものの、それ以外のときはあまり水を飲まないので、排泄低下というかもともとトイレに行く回数が少ないので、どうやら正真正銘のイタ〜イ痛風になってしまった。

ということで、発作から1週間は外出することもできず、1日3回薬を飲んで、ひたすら家で足を冷やしては水を飲む生活を強いられました。(続く)



水曜日, 5月 10, 2023

さん喬あわせ鏡(上) ~新作部屋~

一昨日(8日)は日本橋劇場で開かれた「さん喬あわせ鏡(上) ~新作部屋~」を聞いてきた。出演者と演目は下記の通り。台本はすべて中央大学教授・黒田絵美子によるもの。

柳家さん喬  「恋の夢」
柳家さん喬  「はち巻地蔵」
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬  「らくだの馬」
柳家さん喬  「こわいろや」(声色や)

冒頭は「恋の夢」。緞帳が上がる前に客席には有名な韓流ドラマの主題歌が流れる。そして柳家さん喬が「みなさんは胸がときめく恋をしたことがありますか」などといったナレーションが入り緞帳が上がる。話の内容は「キミが好きだ」という言葉に表される恋話。斬新な構成でメルヘンチックな話ではあるが、いささか物足りなさも感じる。

「はち巻地蔵」は仲良く2体で並ぶは札かけ地蔵とはちま地蔵。そこに飲兵衛の熊五郎がやってきて愚痴をこぼす。それに対してはちまき地蔵は商売繁盛、夫婦円満、良縁成就の3つの良いことをすれば、熊五郎の願いは叶うと言う。言われた熊五郎は鉢巻を持って街へ飛び出す・・・。これはさん喬師匠をかなりイメージして描いたと思われる作品。江戸庶民の人情と情緒を簡略にするところなど見事な出来。地蔵同士の話模様も秀逸。この噺は是非ともさん喬一門、特に柳亭左龍師匠あたりに受け継いでもらいたい。

仲入り後は「らくだの馬」。「らくだ」をはじめ古典落語のネタを多様した面白いおかしの小品。

「こわいろや」は以前より聞きたいと思っていた作品。江戸時代には「声色屋」という歌舞伎役者の形態模写や声帯模写をする商売があったそうで、昭和になっても寄席にも出演していたそうである。お話はなかなか結婚ができない声色屋が友人に成りすまして女性の家へ・・・。さん喬師匠の芝居好き、踊り好きなどを上手く引き出し、それに応えたさん喬の語り、立ち振る舞いが凝縮した俊作。10年以上前に作られた噺のようなので、もはや新作というより古典なのかもしれない。




火曜日, 4月 25, 2023

統一地方選挙・東京都の区議会議員選挙の結果と総括

今回の統一地方選挙、東京都の21の区議会選挙では次のような結果が表れた。

21の区議会議員選挙の投票率は平均で44.51%と前回より1.88ポイント上がった。私が住む目黒区も投票率が43.18%(前回40.2%)にアップした。

・投票率がアップした。大変いいことである
・女性議員が多く誕生した。大変いいことである
・現職の自民党議員が軒並み落選した。大変いいことである
・現職の公明党議員がかなり落選した。大変いいことである
・共産党の衰退がかなり顕著になった。少し悲しむべきことである。
・維新の会の議員が大幅に増えた。懸念すべきことである。

それではどうしてこのような結果が現れたかということである。投票率アップは明らかに自民党・公明党政権への批判というか、政治を変えなければという意識の向上だったと考えられる。

女性議員が多く誕生したのは利権が多く絡む男性議員を選びたくないという心理が多く働いたからだと思うわれる。私も女性候補者にずっと投票している。

現職の自民党議員が多く落選したのは、利権絡みが嫌われたこと、定数削減などの努力を全く行わなかったことにある。こうした現職議員の無能さは立憲民主党や共産党にも影響して、こちらも現職議員がかなり落選した。

全員当選がテーゼの公明党だが、今回は票数配分の失敗と、公明党の支持母体の創価学会の高齢化が落選議員を多く招いた。同じことは共産党にもいえ、こちらの党員の高齢化はいかんともしがたい。選挙戦の後半に公明党の山口那津男代表が自宅近くで演説をしたが、その時の聴衆は高齢女性ばかりだったし、地元の最寄り駅でチラシを配っている共産党の支持者は高齢男性ばかりだった。

こうしたことの漁夫の利を得たのが維新の会である。身を切る改革=定数削減などを全面に押し出して自民党からの横滑り票および無党派層の支持をうまく取り込んで大躍進という結果を得た。しかし、統一教会との関係も深く、ポピュリズム(大衆迎合主義、衆愚主義)の政党が台頭することは憂慮すべきことである。



月曜日, 4月 24, 2023

目黒区議会議員選挙2023

昨日行われた目黒区議会議員選挙。投票率が43.18%(前回40.2%)にアップ。投票者数も97,822人(前回92,005人)と5,817人も増えたことはかなり喜ばしい。それでも、まだ50%にいかないのはやはり情けない。

目黒区議会の定数は36。人口27万人余りなのに36人は明らかに多い。そんな多い定数のせいか今回の立候補者数は57人(前回は51人)。結果は下記の通りであるが、驚いたのがトップ当選が維新の会の新人女性候補。これはおそらく自民党支持者からの横滑り票と、野党支持者のなかでも定数削減の政策が支持されたことによるものだろう。このことによって、同じ地盤にある前回上位当選していた無所属の候補(前回は立憲民主党)は獲得票数を激減して落選している。

また、今回も前回の選挙に続いて自民党の現職が相次いで落選。また、これまで全員当選をしてきた公明党も1人落選するなど、投票率がアップしたことによって組織力のある政党の候補者が落選している。

こうした結果をみると、有権者は明らかに議員定数の削減を求めていることがわかる。私が30年以上前から言っている定数削減に取り組まない人は次の選挙では落ちるだろう。