金曜日, 5月 30, 2008

学芸大学駅周辺おすすめランチ・スポット

最近はブログの更新ばかりで、ホームページの更新をしていなかった。この「学芸大学駅周辺おすすめランチ・スポット」はMixiの日記で何度か書いて評判がよかったので、それをまとめたものです。ご興味のある方はご一読ください。

学芸大学駅周辺おすすめランチ・スポット
http://www.macnet.or.jp/co/ok21/gakudai-lunch.html

月曜日, 5月 26, 2008

しゃべる自動販売機、知っていますか?

東京にはほとんどないのだが、関西などで話題になっているのがしゃべる自動販売機。これは大阪の飲料メーカー・ダイドードリンコが自社製品を売るために開発したもので、正式名称は「おしゃべり自販機」という。

ダイドードリンコのプレスリリースによると、同社は2000年に自動販売機とユーザーとのコミュニケーションを目的として、標準語による「おはようございます」をはじめとする挨拶から50パターンの言葉を喋る「おしゃべり自販機」を投入した。そして、2003年からは「まいど〜!」「おおきに。また来てや〜」などと喋る関西弁バージョンが登場。2005年には「ポルトガル語」「中国語」「英語」の外国語バージョンを追加、そして2006年からは展開エリアを限定した「津軽弁」「名古屋弁」「博多弁」「広島弁」バージョンを随時投入している。

東京弁(江戸弁)や横浜言葉の登場も待たれるが、関東の言葉は総じてガラが悪い言葉が多いので、う〜ん、ちょっと難しいかもしれない。私の希望としては、東京に京言葉や沖縄言葉の「おしゃべり自販機」に登場してもらいたい。

おしゃべり自販機紹介
http://www.dydo.co.jp/corporate/jihanki/talk/

江戸弁変換プログラム
http://www.edo.net/goinkyo/edo.html

金曜日, 5月 23, 2008

黒人選手が減少している

私はテレビでメジャーリーグを見るのが好きだが、最近気になっているのが黒人選手が実に少なくなったということである。

先日、ジャッキー・ロビンソンのデビュー61周年記念日に、フロリダ州立セントラルフロリダ大学のスポーツ多様性倫理研究所が発表したデータによると、現在のメジャーリーグで黒人選手の占める比率は8.2%。過去20年で最低を記録したそうである。このデータによると、非白人選手は40.1%を占めていて、その内訳はラテン系29.1%、アフリカ系8.2%、アジア系2.8%となっている。

1970年代から80年代にかけてはメジャーリーグといえば、2〜3人に1人は黒人選手という時代だったが、最近ではラテン系の黒人選手を含めても、4〜5人に1人ぐらいという感じになっている。こうした黒人選手の減少は観客動員の減少にもつながることから、バド・セリグ・コミッショナーは昨年11月に現役の黒人選手たちから意見を聞いている。そして、その共通認識は「バスケットのNBAやフットボールのNFLが行っているように黒人選手の開拓が急務」だったそうである。

今日、野球は黒人の子供たちにだけでなく白人の子供たちまでにも魅力を感じなくなってきていると言われる。現在のアメリカで子供たちの人気スポーツは一にフットボール、二にバスケット、三にサッカーだと言われている。野球は子供たちの間ではマイナースポーツと化している。野球は1試合に出場しても、打席に立てるのはせいぜい3〜4回、そして投手と捕手以外はあまりボールに触れる機会がない。野球は忍耐を必要とするスポーツなので、現代社会の子供たちに受けないのかもしれない。

メジャーリーグはこれまでドミニカをはじめとした中南米諸国に多くの野球養成機関を作ったが、アメリカ国内には作ったことがない。マイナーリーグや独立リーグなどメジャーを支える底辺はあるものの、その下を海外からの人材に頼っていたのである。メジャーリーグは単に黒人選手の開拓だけでなく、子供たちの野球離れを食い止める手段を講じなければならない時がきたようである。

水曜日, 5月 21, 2008

映画「ラフマニノフ〜ある愛の調べ〜」を観る

ひどい映画である。

ロシア映画の低レベルを象徴しているかのような映画だ。カット割り、カメラワーク、ストーリー構成、字幕スーパー、演技、演出、音楽、音響などなど、なにもかもがひどい。

スペインで撮影されたかと思われるシーンは、とてもロサンゼルスやニューヨークを表わしているようには見えない。また、挿入されているラフマニノフの音楽のほとんどが1950年代のモノラル盤で、演奏もいいとは思えない。明らかに著作権をケチったとしか思えない。この他にも、文句をつけたらキリがない。

こんなひどい映画は1950年代のアメリカ西部劇、1960年代の日本のB級映画にもなかった。そういう意味では、観る価値の映画かもしれない。(苦笑)

ラフマニノフ好きとしては、いつの日かアメリカで別のラフマニノフに関する映画を作ってもらいたい。こう思わせてくれたのが、この映画の唯一の救いだろう。

月曜日, 5月 19, 2008

大河ドラマ・最多出演者は?

NHK大河ドラマ、1963年(昭和38年)に「花の生涯」が放送されてから、今回の「篤姫」が47作目になる。さて、この間に一番多く出演している人は誰かなぁ、と思ってネット(Google)検索したら、ありました、ありました。

そして、案の定、第1位に輝いたのは江守徹であった。なお、このランキングは昨年の「風林火山」までデータで、彼は「篤姫」でも徳川斉昭役で出演しているので、計18回の出演となり、ダントツの1位である。当分破られそうもない記録で、これは彼にとっては勲章だろう。

主要登場人物ランキング
第1位 江守 徹  17回
第2位 久米 明  14回
第2位 北村和夫  14回
第4位 金田龍之介 13回
第5位 佐藤 慶  12回

最多登場人物
第1位 林邦史朗  23回 殺陣師
第2位 戸沢佑介  21回 劇団仲間
第3位 伊藤正博  20回 劇団東芸
第4位 渥美國泰  19回 アクト21
第4位 竹田寿郎  19回

大河ドラマ・最多出演者(主要登場人物部門)ランキング
http://kassy4503505075642.cocolog-nifty.com/blog/files/gd0503.pdf

大河ドラマ・最多出演者ランキング
http://kassy4503505075642.cocolog-nifty.com/blog/files/gd0502.pdf

土曜日, 5月 17, 2008

国歌よりは愛国歌(第二の国歌)が好きです

アメリカ国歌("Star-Spangled Banner"「星条旗」)を、最初に嫌というほど聞かされたのは1964年の東京オリンピックのときだった。このときアメリカは水泳や陸上で金メダルを独占状態で、表彰式が行われるたびに、あの♪ジャ・ジャ・ジャーン・ジャーン・ジャーン・ジャーン〜♪という曲がテレビから流れてきた。まるで、アメリカ国歌がオリンピックのテーマソングのようであった。

次にアメリカ国歌を聞くようになったのは、ここ数年である。テレビでメジャー観戦をするたびに嫌がおうにも聞く羽目になってきてしまった。

さて、このアメリカ国歌の中味を知っている日本人がどれくらいいるであろう。下記の歌詞および訳詞を読んでいただければわかるが、この国歌は非常に好戦的で軍歌といっても過言ではない。それもそのはずで、この歌詞は1812年の米英戦争で、ボルチモアのマックヘンリー砦をめぐる戦いがモデルにしたものと言われ、英軍の夜間攻撃に米軍が必死に砦を守り、朝方になっても星条旗が砦の上にはためいている光景を、フランシス・スコット・キーが描いたものなのである。歌詞は1番から4番まであり、その内容は国歌というようり戦闘歌であり、アメリカの歴史的体質を象徴している。

ただ、アメリカにもこの好戦的国歌を好まず、愛国歌ともいうべき「ゴッド・ブレス・アメリカ God Bless America」「America the Beautiful アメリカ・ザ・ビューティフル」を国歌にしようという運動が1970年代から80年代にあった。今でもあるのだろうか・・・。

ゴッド・ブレス・アメリカ
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/pat/gba.htm
アメリカ・ザ・ビューティフル
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/pat/amrbtfl.htm

"Star-Spangled Banner"「星条旗」

Oh, say can you see, by the dawn's early light
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?

Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming?

And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there,

Oh, say does that star-spangled banner yet wave.
O'er the land of the free and the home of the brave!

おお、キミには見えるだろうか、夜明けの薄明かりのなか
我々は誇り高く叫ぶぞ、先の夕暮れ陽が落ちる時

危険な戦いの中、太き縞に輝く星々を我々は目にする
城壁の上に 雄々しく旗は翻る

砲弾が赤く光を放ち、炸裂するなか
我々の旗は夜通しで翻っている

おお、星条旗はまだたなびいているか
自由の大地 勇者の故郷の地の上に!

アメリカ国歌
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/usa.htm

火曜日, 5月 13, 2008

三寒四温の反対語は四温五寒?

三寒四温とは、冬から春にかけて三日寒ければ四日暖かくなり、これを繰り返すうちに春になる、という意味である。

さて、この一週間の東京地方の天気と気温は──

06日火曜は晴れ 最高気温25℃ 最高気温15℃
07日水曜は晴れ 最高気温26℃ 最高気温15℃
08日木曜は曇り 最高気温23℃ 最高気温16℃
09日金曜は晴れ 最高気温23℃ 最高気温17℃
10日土曜は雨  最高気温17℃ 最高気温13℃
11日日曜は曇り 最高気温13℃ 最高気温9℃
12日月曜は曇り 最高気温15℃ 最高気温10℃

三寒四温ならぬ、逆さまの四温三寒状態である。そして、今日13日も最高気温が14度と低く、この天気は明日まで続くらしいので、四温五寒になりそうである。

昨日、一週間以上前に押し入れにしまった電気ストーブを取り出してしまった。「天然気象予想士」の私もさすがにこの冷え込みは予想できなかった。(笑)

月曜日, 5月 12, 2008

ゴールデン・ウィーク疲れ

毎年、GWの間は何処にも行かない。何処へ行っても人がいっぱいなので、昔からGW期間中は仕事をするようにしている。そもそも私のような自由業の人間は「休日」というものを勝手にとることができる。そのために、GW期間中にしか行楽にいけない人のために、外出は自粛しなければならない。

しかし、この期間ほど実に仕事や読書に専念できる時期も少ない。電話やFAXがこない、メールがくることもない、打ち合わせもない、会議もない、と仕事を妨げる要素がすべてないのである。また、飲み屋も休みになるところが多く、付き合いで飲むこともない。こうしたことから、毎年GWは資料や本を読むことができ、原稿や企画書を書くようにしている。仕事が非常にはかどるときなのである。

今年もGW中はコンサートに行くこともなく、飲み屋に行くこともなく、数多くの本を読むことができ、仕事をすることもできた。ただ、そのせいかどうか解らないが、この2〜3日疲れがでてきた。睡眠も充分とっていて、熱があるわけでもないのに、ジムや飲み屋にもあまり行く元気がない。

ということで、本日午前中にいつもの病院に行き、検査をうけたが特に異常なし。少しホッとするが、それにしても、この疲労感は何? 5月病? それとも単なる仕事疲れ?

土曜日, 5月 10, 2008

『幻の宰相・小松帯刀伝』を読む

以前にも書いたが、NHK大河ドラマ『篤姫』のおかけで、小松帯刀(瑛太が好演している)が脚光を浴びている。この小松帯刀は坂本龍馬と同じ年に生まれ、幕末には薩摩藩の仕置家老として活躍するが、小説やドラマで取り上げられたことがないために、その名は余り知られていなかった。しかし、龍馬や西郷隆盛などが幕末の「表の主役」ならば、帯刀は勝海舟と同じように聡明な先見性と大らかな指導力で「影の主役」だった人である。

その小松帯刀に書かれた本はほとんどないのだが、Mixiの小松帯刀コミュニティに参加すると、その管理人さんが『幻の宰相・小松帯刀伝』(上下巻)を書いた瀬野富吉氏のお孫さんということが解り、その方より無理を言って上下巻2冊を譲っていただいた。Mixiがなければ手に入らないかったであろう本だったので、このことについてはMixiおよびコミュ二ティの管理人であるせにょる氏に感謝したい。

さて、この本を読んでみて、小松帯刀が幕末に果した役割が多方面にわたり多大であることを知らされた。坂本龍馬や中岡慎太郎らは薩長同盟や薩土同盟、そして大政奉還のために東奔西走した。こうしたなかで、帯刀は倒幕派最大勢力である薩摩藩の方向性を西郷隆盛らと共にまとめ上げ、大政奉還の際には最後のツメを徳川慶喜に迫っている。また、帯刀は坂本龍馬や海援隊の活動を側面から支援したり、長州藩に対しても武器供与の援助を行っている。他にも日本初の新婚旅行と言われる、龍馬と愛妻おりょうの薩摩行きのお膳立てもしている。つまり、帯刀は薩摩藩を束ねるだけでなく、龍馬や長州藩など他藩の手助けも行っていた。

こうした国事ごとだけではなく、帯刀は薩摩藩の藩制改革も実行している。薫陶をうけた島津斉彬や久光の教えを守り、近代産業の育成を行ったり、他藩と活発に交易することで財政再建を行う。また薩英戦争では陣頭指揮も行い、英国艦隊に大きな損害を与えている。そして、戦争後には英国公使パークスを薩摩に招待したり、留学生を英国に送ったりしている。その活躍はまさに八面六臂であり、帯刀は薩摩藩の軍事、外交、財政、教育、産業など各種の最高責任者に任ざれていて、「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と言われたことがあった。

こうした有能な才覚の持ち主であったことから、龍馬による新政府の人事構想では、帯刀の名は維新の三傑(西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎)を抑えて、筆頭に挙げており龍馬の評価が窺われる。ちなみに、私は坂本龍馬、高杉晋作、小松帯刀の三人が「幕末の三傑」もしくは「幕末夭折の三傑」だと考えている。もし、帯刀が長生きしていれば、明治新政府の中核の一人として、大久保、後藤象二郎、板垣退助らと共に辣腕を振るっていたに違いないだろう。そして、西郷と大久保の間をとりもち、西南戦争が起きることはなかっただろう。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をはじめとして坂本龍馬に関する書物は何十冊もあるが、小松帯刀のことについて書かれている本は非常に少ない。そのために、彼の名前は地元鹿児島でも知られていなかった。今回の『篤姫』で大きく取り上げられたことによって、彼の業績が再度見直されるだろう。


追記:『幻の宰相・小松帯刀伝』は小説ではないが、帯刀の業績と人となりを詳細に書いている。ただ、この本は絶版なので残念ながら入手することは難しい。帯刀のことを知りたいという人は『篤姫』の時代考証を担当していて、『幻の宰相・小松帯刀伝』の監修をしている原口泉氏が書いている『竜馬を超えた男小松帯刀』(グラフ社刊)を読むことをおすすめします。

大河ドラマで俄然注目の人、小松帯刀
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html

木曜日, 5月 08, 2008

世界の平均労働時間と祝日

長い長いゴールデンウィークが終わった。

日本の祝日は年間15日。これは先進諸国のなかでももっとも多いと言われている。これは日本の労働時間が先進諸国でも長いから、祝日がこれだけあっても当然だという意見がある。はたしてそうであろうか。

OECD(経済協力開発機構)の2008年資料によると、2005年時点で日本の平均労働時間は年間1,784時間。アメリカは1,797時間と日本を上回っている。ちなみに世界でもっとも長く働く国は韓国で2,357時間、次いでギリシャの2,052時間であった。ちなみに、最も労働時間が短かったのはオランダの1391時間で、調査をした30カ国の平均労働時間は1,777時間。日本はほぼ世界標準の労働時間の国なのである。

さて、世界の祝日だが、これは国によって宗教や地方の慣習などによって年ごと地域ごとによって変わっているので、正確な平均日数を出すことができない。ジェトロの通商弘報によると、アメリカ10日、イギリス9日、ドイツ8日、フランス11日、イタリア12日、カナダ10日、ロシア18日、中国19日、韓国14日などとなっている。

ロシア、韓国、中国の祝日が多いのは、新年や旧正月などの祝日を3日から1週間と取っているので、日本でも正月三が日を祝日にすると、日本も17日になってしまう。

こうした統計を見てみると、日本の祝日は多いと言わざるをえない。それにしても、韓国の労働時間の多さと祝日数を考えると、韓国人は明らかに働きすぎである。

OECD Factbook
※下記ページのPDFを参照にしてください。
http://oberon.sourceoecd.org/vl=2210620/cl=26/nw=1/rpsv/factbook/060302.htm

ジェトロ通商弘報 世界の祝祭日
http://www.jetro.go.jp/biz/kouhou/holiday/

火曜日, 5月 06, 2008

ウォシュレット、使ってますか

商品名がそのまま製品名のように思われている品物はいくつもある。ホッチキス、セロテープ、エレクトーン、ウォークマンなどなど。そして、ウォシュレットもそのひとつではないだろうか。

ウォシュレットはTOTOの「温水洗浄便座」の登録商標及び商品名である。しかし、誰もがINAX製であろうが松下電器製だろうが、「温水洗浄便座」とは呼ばず「ウォシュレット」と呼んでいる。それほどウォッシュレットという名は世間に普及している。

ウォシュレットはTOTOが1980年(昭和55年)に発売した温水洗浄便座である。すでに発売して28年になる。この温水洗浄便座は日本が最初に作ったものだと思われがちだが、最初に発売したのはアメリカだそうである。TOTOは1964年からアメリカの「ウォッシュ・エアー・シート」という製品を輸入販売していたが、その後、国産生産をすることになった。というのも、痔を患っている人に確実なニーズがあったからそうである。

しかしながら、ウォシュレットは発売当初は全く売れなかった。そこで肛門科や産婦人科などの病院やゴルフ場などに置いて、体験してもらう戦略をとった。そして、1982年に戸川純の「おしりだって洗ってほしい」CMで、徐々に世間に認知されるようになり、1987年に100万台と80年代後半から販売台数が伸びていった。私が初めてウォッシュレット使ったのは検査入院したときであり、おそらく1985年だったと思う。

その後、ウォシュレットは口コミでその機能性や清潔感が伝わり、1998年に1000万台、2005年に2000万台まで普及するようになった。そして、2007年3月に発表された内閣府の消費動向調査によると、一般世帯の普及率は驚くべきことに65.3%になっているそうである。つまり、3戸に2戸の家にウォシュレットが普及しているのである。もちろん、この普及率は世界でも日本がダントツであるそうだ。考えてみれば、私は海外でウォシュレットにお目にかかったことは一度もない。

ちなみに、内閣府の消費動向調査によると全国7地域に分けた地域別普及率では、東海の74.5%がもっとも高く、TOTO(北九州市)のお膝元である九州・沖縄の50.9%がなぜか一番低い。

ウォシュレットがこれだけ普及した最大の理由はやはり日本人が清潔好きだからだろう。また、水道が衛生的であり、下水が完備されているという理由も大きい。加えて、和式便器から様式便器に変わる時期にちょうどウォシュレットの販売が重なったからだとも言われている。

日本を訪れた外国人の多くがウォシュレットの普及率の高さに驚くそうである。ホテルや旅館のほとんどがウォシュレットになっている今日、日本でウォシュレットの良さを体感した人のなかには、帰国後にすぐにウォシュレットを購入する人が少なくないそうである。水を簡単に殺菌できる能力のあるウォシュレットができれば、ウォシュレットはもっともっと海外でも普及するに違いないだろう。

金曜日, 5月 02, 2008

気象庁の「天気予報の精度検証結果」

4月28日に、気象庁は大型連休中の29日から5月5日までの天気予報を発表した。それによると「連休中は日本列島は広く高気圧に覆われ、北日本から西日本にかけて晴れる日が多く、期間の終わりは西・北日本で天気が下り坂となるものの、東日本は大きく崩れない見込み」と言っていた。

その発表を気象予報士がテレビで言ったとき、天然気象予想士の私はテレビに向って「1週間も晴れが続くわけないよ。どうせまた金曜か土曜に雨が降るよ」とうそぶいていた。

そして、案の定というか予想通り、昨日(1日)になって気象庁は「東日本から西日本にかけては、期間(5月2日から5月8日まで)のはじめと中頃に気圧の谷の影響で雲が広がり雨の降る所がある見込みです」と、3日前の予想をあっさり覆してきた。まったく、もぅ〜である。

そこで、気象庁の天気予報の当たる確率を調べてみたら、なんと気象庁のホームページに「天気予報の精度検証結果」というのがあるではないか(下記参照)。それを見ると、当たるか当たらないかの一番判断基準となる「降水の有無」の的中率では、短期予報では8割以上、週間予報では7割以上になっている。ほんまかいなぁ。これは気象庁自身の判断基準だから、1割引きしていいのではないだろうか。

それにしても、この結果を見ると、この15年間で短期予報の的中率はほとんど変わらないのに、週間予報の的中率は向上している。これもほんまかいなぁ、と言いたくなるのは私だけだろうか。

天気予報の精度検証結果
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/kensho/yohohyoka_top.html

木曜日, 5月 01, 2008

インターナショナルな武蔵小山

一昨日(29日)、野暮用で武蔵小山へ行った。久しぶりである。おそらく10数年ぶりではないだろうか。天気もよかったので、立会川緑道沿いをチンタラ歩いていったら30分以上もかかり、結構いい散歩にもなった。

ご存じの方も多いと思うが、武蔵小山には駅前から中原街道まで約750mも続く日本一(?)のアーケード街がある。ここは以前から庶民的な商店街として有名で、日用品・衣料品・食品が下町価格と言ってもいいリーズナブル・プライスで購入できる。また、飲食店にしても、高級店はほとんどなく誰もが気軽に入れるお店で、その値段もどこもがおばちゃん価格と言っていい。

こうした価格の安さに引きつけられてだろうか、商店街を歩いている外国人の多さに少しびっくりした。私が見た聞いた限りで、英語、ドイツ語、スペイン語、アラビア語、タガログ語、中国語、ハングル語。それに加えて解らないがヒンズー語にスワヒリ語と、ほぼ世界中の言語を聞くことができた。私の地元の学芸大学商店街はもちろんのこと、渋谷や新宿でもこんなに外国語を聞くことはできない。

そして、こうした外国人を相手にも商店街の人たちはまったく臆せず、店先で日本語と英語などを使いながら、呼び込みや売り込みをしているのである。こうしたエネルギーが商店街を活気づかせ、また多くの外国人が訪れる源になっているのであろう。

浅草や広尾などもインターナショナルな町であるが、武蔵小山は一味も二味も違った庶民派インターナショナルな町である。