下にある歌詞は私が十数年前に、いやン十年前に卒業した鷹番小学校の校歌である。作詞は小松清作、作曲は内藤濯。私はこの校歌が結構好きだったので、今でも歌うことができる。だが、この校歌、どこか不思議というか変ではないだろうか。
歌詞のなかに地名である鷹番や目黒、また東京の小学校校歌によく使われる「富士の嶺」といった常套句がまったくないのである。それはなぜかと言うと・・・。(↓へ)
この道は
野辺より坂へ 坂より峰へ
ひとすじに のぼりゆく道
いざいざ友よ、つくづくと
見よ、この道のはてしなさ。
この道は
子供ごころの 花と咲けよと
うらうらと 照りひかる道
いざいざ友よ、しみじみと、
見よ、咲く花の美しさ。
この道は
空晴れわたり 風そよそよと
吹きかよう 国へゆく道
いざいざ友よ、よりつどい、
見よ、その国のなごやかさ。
鷹番小学校は1932年(昭和7年)1月に、現在の目黒区立碑(いしぶみ)小学校の分校「荏原郡碑尋常高等小学校分教場」として開校した。そして、その年の7月に「荏原郡鷹番尋常小学校」として独立開校しているその後校歌が作られたのだが、その校歌がどうやら国粋的なものだったようで、戦後上記のような校歌に変わったのである。このように、戦後校歌を変えた学校は全国で相当数あった。しかしながら、歴史教育や郷土文化のためにも戦前の校歌を単に国粋的軍国的といって葬り去るだけでなく、なんらかの形で遺すべきではないだろうか。母校の昔の校歌は何処へいってしまったのだろうか。いつの日か調べてみたい。
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