火曜日, 12月 31, 2013

2013年私的10大ニュース

今年も残すところあと何時間。2013年は師走(12月)になると、特定秘密保護法成立、猪瀬都知事の5000万円問題、安倍首相の靖国参拝、仲井眞沖縄県知事の辺野古移設承認など社会的なことで憤りを覚える日が多く、未だに腑が煮えくり返る思いです。

一方で、個人的には今年はさほど大きな出来事はなく、12月を含めて意外に慎ましやかな1年だったと思います。そんな私的な1年の10大ニュースを選んでみました。

1位. 腎臓結石を自然治癒(運動と決明子)させる(10〜12月)
2位. 四十肩?五十肩?それとも六十肩になる(5月〜)
3位. 数多くの美味しいお店に行く(1月〜)
4位. 朝ドラ『あまちゃん』にハマる(4〜9月)
5位. 落語会の観劇回数が増える(1月〜)
6位. 東北復興支援活動を地道に続ける(1月〜)
7位. 個人ホームページを閉鎖(5月)
8位. 今年も年末の有馬記念的中、そして最終レースも的中(12月)
9位. 生まれて初めて宝塚歌劇団を観る(6月)
10位. ブログおよびMixiが8年目に突入(9月)

1位は腎臓結石。先日の日記にも書きましたが、これは本当に「狐につままれたような感じ」でした。腎臓に結石があることが判明したときから「いつかは破砕術を受けなければならないんだろうなあ」と思いながらも、地道に“無駄な抵抗”と思いながら、ジムで跳ぶように走ったり決明子のお茶を毎日飲んでいたら、なんと2ヶ月後には結石は何処かへ。いや〜、“無駄な抵抗”も実ることはあるもんです。w

2位は四十肩?五十肩?それとも六十肩。こちらは腎臓結石のように自然治癒は無理でしたが、1回の注射だけでなんとか済みました。今でもほんの少しだけ肩に違和感は残っていますが、ほぼ完治と言っていいと思います。

3位はグルメ開拓。今年はかなり美味しいお店に食べにいくことができました。なかでも『レフェルヴェソンス』と『虎白』は食べログのベストレストラン2013(東京)で、前者が3位に後者が8位になっていました。じぇじぇじぇ〜。このことについてはいずれ詳細をちょっと書きたいと思います。

4位は『あまちゃん』。朝ドラでこれほどハマったのは『ちりとてちん』以来。『あまちゃん』の良さは東日本大震災への復興支援と共に80年代アイドルへのオマージュがあったことだ。小泉今日子や薬師丸ひろ子がいかに偉大であり、AKB48がいくら束になっても敵わないということを知らしめてくれた。

5位は落語会の観劇回数が増える。今年は落語会や寄席へ10回近く足を運んだかと思います。これはおそらく1990年の半ば以来かと。来年も時間の許すかぎり足を運びたいと思っています。

6位以降は省略。

来年は1位2位が病気や怪我でないもっと喜ばしい年にしたいと思います。それでは、来年もよろしくお願いいたします。みなさん、酔い(?)お年を。

木曜日, 12月 26, 2013

日本の国益をもっとも損ねる男・安倍晋三

私の友人知人の何人もが日韓文化交流や日中経済交流などに携わっている。こうした日本人はおそらく何千人何万人といるだろう。しかし、安倍晋三という男は首相という立場もわきまえずそうした人々の苦労や努力を靖国参拝を強行して無にしようとしている。

安倍晋三は特定秘密保護法を作る前に「これは国民・領土・国益を守るための法律」と言っていたが、いまや日本の国民・領土・国益をもっとも損ねているのは安倍晋三以外に誰がいるだろうか。

今後の日韓日中関係はますます冷えきるであろう。中国では暴動こそ起きるとは思えないが静かに日本製品不買運動が広まっていくだろう。残念なことだが日本車は中国市場ではさほど売れることはまずありえないだろう。また、TPPによってこれから活性化されるであろう農業製品に関しても、中国での販売経路は制約されるに違いないだろう。そして、今回はアメリカにもかなり心証を悪くしたので、TPPで日本が言う重要5項目についてもアメリカから譲歩を勝ち取るのは難しくなってしまった。

日本の国益をもっとも損ねる男はなんと日本の総理大臣である。こんな地位に相応しくない男は早く引きづりおろすべきである。


火曜日, 12月 24, 2013

新国立競技場の建設計画は白紙撤回・やり直しを

5000万円問題を解決できなかった猪瀬直樹が都知事を辞めた。同じように問題だらけの新国立競技場の建設計画もいったん白紙撤回して、仕切り直しをするべきである。

新国立競技場の建設計画は建築にほとんど無知な人たちによって構成された“有識者会議”によって、ザハ・ハディドによる流線型のデザイン(自転車選手のヘルメットのようなヤツ)が最優秀となった。しかし、このデザインで競技場を作るとなると建設費は3000億円もかかるということが解り大問題になっている。本来の予算は1300億円であり、いかに“有識者会議”というものが機能していなかったかが解る。

政府は建築計画を縮小して1852億円で建設を進めようとしているが、果たしてこれが1852億円で済むだろうか。今後、建築資材や人件費が高騰する必至であり、おそらく総工費は2000億円を上回るに違いない。つまり当初予算より700億円以上もかかるのである。こんな無謀な建設計画がどうして許されるのだろうか。

とにかく、まだ時間はあるのだから一からやり直して、総工費1300億円以内で収まる建設計画にするべきである。そして、収容人員も8万人(こんな催しをすることは年に1回もありえない)を7万人に減らして、さいたまスーパーアリーナのような稼働率が高い機能性あるスタジアムの建設を望む。

ちなみに、一部にあがっている改修工事にとどめるべきだという意見については、耐震性・老朽化・機能面などを考えると残念ながら賛成できない。ただし、新計画にあたって今の国立競技場の良さ(聖火台など)を残してもらいたいし、周囲の景観にマッチしたデザインにしてもらいたい。

とにかく、新国立競技場の建設計画は一からやり直しをするべきである。

土曜日, 12月 21, 2013

腎臓結石は運動で治る?

狐につままれたような気持ちでいる。

10月中旬に下腹部に少し違和感を覚えたので、近くのホームドクターでエコー検査を受けたら、腎臓に8ミリほどの結石があると判明した。う〜ん、今年は10月まで暑かったからプリン体が多く含まれているビールはいっぱい飲んだし、枝豆やだだちゃ豆もいっぱい食べたから、それが原因かなと思ってしまう。そして、先生から「運動をすること、縄跳びが一番。飛び跳ねるからね。それと水を1日2ℓ以上飲むこと」と忠告される。

それ以降は、ジムでそれまで行っていた1時間の早歩きトレーニングを、20〜30分走・30〜40分早歩きに変え、ランニングのスピードも時速7.5kmから8kmとゆっくりにしてなるべく跳ねるように走った。これを最低でも週3回はするようにした。また、食事もプリン体を多く含む魚卵、干物、レバーなどの内蔵物は食べることを控えた。そして、11月上旬からは漢方に詳しい友人が中国で買ってきてくれた腎臓・肝臓に効くという決明子を代用茶として飲むようにして、多く排尿するよう心がけた。

11月中旬にふたたびホームドクターでエコー検査をするもの、腎臓には相変わらず8ミリの結石が残っている。ただし、体調はすこぶる良好でジムでは40分走・20分早歩きに変えるなどして、汗をかいては水を多く飲むという生活を続けた。ビール(発泡酒)もノンアルールビールやプリン体ゼロの「サッポロ極ZERO」などにして、とにかくプリン体摂取を抑えることにする。そのおかげで、尿酸値は8.0あったものが一時的にではあるが3.5までぐ〜んと下がった。

しかし、12月に入るとまたちょっと下腹部に違和感を覚えるようになった。この時はちょうど2ヶ月に1回降圧剤をもらっている中目黒の東京共済病院へ行くときでもあり、そのときについでに泌尿器科も訪れた。そしたら、すぐに血液&尿検査、そしてエコー&CT検査をさせられる。そしたらなんと「腎臓に結石はありませんね」と言われる。確かにCTの映像を見ても白い影(結石)は見えない。また血液&尿検査の数値もいたって正常値。じぇじぇじぇ〜、である。

先生に「ちょっと激しい運動やったら結石が落ちたんですかねえ?」と聞いたら「その可能性はあります」。あと「決明子を飲んでいるんですが、それも良かったのですか?」と聞いたら「緑茶よりは効果があると思いますね」と言われた。そして「石がなくて良かったですね。もし体外衝撃波破砕術をすると7〜8万円はかかりますからね」とも言われた。

ただ、その後もまだなんとなく違和感があるので、その後も決明子を飲み続け、週3回の飛び跳ねるランニングを欠かさないようにする。そして、12月中旬(昨日)、ホームドクターで3回目のエコー検査を行う。結果は「ないですね」と。「無罪放免ですか?」と聞くと「今後もプリン体は控えて、運動はしてください」と言われる。完全釈放である。(^_^)/v

私は3年前に尿路結石で尋常でない痛みを経験している。その前には扁桃結石という珍しい病気にもなっている。要は結石のできやすい体質なのである。それゆえに今後もいつ腎臓に結石ができてもおかしくはないだろう。今回の結石が消えた理由は、運動の成果が一番大きいと思われる。また決明子も私の体質にあったのであろう。だから、これが誰にでも効くかどうかは解らない。ただし、緑茶や紅茶を飲むよりは決明子やほうじ茶などを飲む方がいいらしい。

冒頭にも書いたように、今はまだ狐につままれたような気持ちでいるが、これでシャバの飲み屋に大手を振って飲みにいくことができる。(笑)しかし、今後もプリン体に気をつけて、しっかりと運動を続けたいと思う。

木曜日, 12月 19, 2013

今度は清廉潔白な都知事を

猪瀬直樹が安倍政権や石原慎太郎などの圧力に屈してやっと都知事を辞職した。

2012年の都知事選で猪瀬直樹は434万票も取って当選したが、そのとき支持をしたのは自民党、公明党、維新の会の3党である。なかでも政党として一番強力な組織的な援護をしたのは自民党ではなく公明党である。また、石原慎太郎が維新の会を橋下徹と共に結党したことによって、維新の会も猪瀬をバックアップしたことはいうまでもない。一方、自民党は石原慎太郎と仲違いや、猪瀬直樹がもともと全共闘だった経歴があることなどから、さほど積極的な協力はしなかった。

それでも、猪瀬が434万という都知事選至上最大の票を得たのは、都知事選と同時に衆議院選挙が行われ、国政の停滞、民主党の分裂に嫌気をさした有権者がマスコミの誘導にものって雪崩現象的に猪瀬に投票して、対抗馬であった宇都宮健児(日本共産党、社会民主党、日本未来の党が支持)や元神奈川県知事の松沢成文などに大差をつけて勝てたのである。

しかし、今回の徳州会問題で判明したように、猪瀬直樹だけでなく石原慎太郎も徳州会と深い関係があり、次の都知事選ではこうした汚れきった都政の流れを払拭しなければならない。

すでに来年2月に行われる都知事選の候補者がいろいろと取り沙汰されているが、そのなかでナンセンスな声は「今度の都知事はオリンピックのときにも都知事になるのだから、それに相応しい人を」という考えである。オリンピックが行われるのは2020年のことであり、それまでに最低でももう1回都知事選選挙は行われる。それゆえに、こんな声に絶対に惑わされてはならない。まずは、石原慎太郎→猪瀬直樹と続いた腐りきった体質を刷新してくれる人を都知事に選ばなければならない。そのためにも、同じ穴のムジナのような輩(ヤカラ)の立候補はご遠慮願いたい。

そして、誰がもっとも都知事にふさわしいかと考えていくと、その答えは吉永小百合に辿りつく。

水曜日, 12月 18, 2013

カレンダーの季節

言葉の表現が少しおかしいような気もするが「カレンダーの季節」である。

12月になるとカレンダーを貰ったり買ったりする。そんななかで最近戸惑っているのが月曜日始まりの(月めくり)カレンダーである。カレンダーといえばずっと日曜日始まりのものばかりであった。ところが、ここ数年月曜日始まりのカレンダーも多く出回るようになってきた。そこで、ちょっとカレンダー事情について調べてみた。


カレンダーの曜日編成はキリスト教などの関係で日曜日がキリストの復活日(=礼拝日)だったこともあり、週の最初に置かれたのがその起源と言われている。ところが、最近のヨーロッパでは週休2日制が定着したこともあり、実用性を考えて月曜日始まりのカレンダーが主流となってきている。一方でアメリカではまだ月曜日始まりのカレンダーというのはほとんど出回っていない。

イスラム圏ではイスラム暦のカレンダーは別にして、グレゴリオ暦の場合でも日曜日始まりのカレンダーとは別に金曜日が公休日(=礼拝日)ということで、こちらでは金曜日を始めにおくのではなく最後にして、土曜日から始まるカレンダーが多いという。

アジアやアフリカのカレンダーは基本的に日曜日始まりが多いようだ。これは欧米列強の植民地支配の副産物としてそのまま残っているからなのであろうか。中国でも昨今では週休2日制が定着しているが、カレンダーは基本的に日曜日始まりで、月曜日始まりのカレンダーというのはほとんどないみたいだ。ただし、中国語では日曜日は星期天または星期日と書き、月曜日は星期一、火曜日は星期二と書く。それゆえに、週の始まりは月曜日という意識が強いようなので、いずれ月曜日始まりのカレンダーも登場するかもしれない。

さて、日本はというと、日本でグレゴリオ暦(太陽暦)が採用されたのは1872年(明治5年)だった。しかしながら、月めくりのカレンダーがすぐに普及するわけではなく、1902年に日めくりカレンダーが大阪で製造されて、商店・銀行などが大量に印刷・配布するようになって普及するようになった。ただし、月めくりのカレンダーが流通するようになったのは1945年以降で、カレンダーの歴史は意外にも浅い。

そのカレンダーに月曜日始まりが日本で初めて登場したのは、1997年に電子手帳のシャープ・ザウルスで機能性を重視してからだそうだ。ただし、壁掛けの月めくりカレンダーがいつ登場したのかは定かでない。ただ、おそらく2000年までには市販が開始されていたのではないかと推測される。そして、昨今では月曜日始まりのカレンダーもすっかり定着するようになった。

しかし、カレンダーが日曜日始まりと月曜日始まりの2つが存在するとやっかいなことも起こりかねない。例えば、日曜日始まり派の人と月曜日始まり派の人が前月に会話したときに「12月の第1週の日曜日に会いましょう」と会話が成立した場合、仮に1日が日曜日だった場合は、日曜日始まりの人は12月の第1週の日曜日を1日と思うが、月曜日始まりの人は7日を日曜日と思ってしまう。こうした誤解が起こるのではないだろうか。いや、すでに起きているのではないだろうか。

今日、カレンダーは日曜日始まりを使い、スケジュール帳は月曜日始まりを使うという人が多い。いずれ日本のカレンダーも実用性を重んじて月曜日始まりになっていく可能性が高い気がする。ただし、学校週休2日制がなくなり土曜日も学校があるようになったりすると、月曜日始まりのカレンダーの勢いは削がれるかもしれない。

ちなみに、私はずっと日曜日始まりのカレンダーおよびスケジュール帳を使っているので、月曜日始まりのカレンダーは今後も使いそうにない。というより、使えそうにない。w

月曜日, 12月 16, 2013

テレビのチャンネル権を買う?

先月から今月にかけて、なぜか病院に行く機会が多い。そこで気になったのが病院の待合室にあるテレビ。なぜかだいたいどこも日本テレビが映っている。

その昔、ある大手電器量販店のテレビコーナーで「どうして写っているテレビはみんな同じテレビ局のものばかりなのですか」と質問したことがある。そしたら店員は「比較しやすくするためです」と答えたので、私が意地悪に「池袋も新宿も同じテレビ局なんだけど、これは偶然なの?」と聞くと「それは上に聞いてくれないと・・・」と言葉を濁した。それから、しばらくしてこの話を業界に詳しい人に聞いたら「ああ、それはテレビ局がチャンネル権を宣伝費として買っているんだよ」とあっさり答えた。やはりである。

量販店に並ぶテレビは宣伝効果もあるし、テレビ局にとっては視聴者を誘導する狙いもあるかもしれない。それゆえに、病院の待合室に置かれているテレビも同じで、そのほとんどが日本テレビが映っているということに疑念をいだかざるをえない。高齢者がよく観るNHKならまだ解るが、広告もある民放のなかで日本テレビが多いというのは、やはり病院(=医師会)と日本テレビ(=読売新聞)との間になにか密約があるのではと思わざるをえない。真相はいかなるものであろうか。

日曜日, 12月 08, 2013

柳家さん喬一門師弟四人会(夜の部)

昨日(7日)はイイノホールで開かれた「柳家さん喬一門師弟四人会(夜の部)」を聞いてきた。出演者と演目は下記の通り。

林家なな子 『みそ豆』
柳家喬太郎 『首ったけ』
柳亭左龍  『鹿政談』
柳家さん喬 『中村仲蔵』
 〜 仲入り 〜
柳家さん喬 『浮世床』
柳家喬太郎 『聖夜の鐘』
柳家喬之助 『子は鎹(かすがい)』

イイノホールといえば、細長いビルのなかにある古めかしいホールというイメージしかなかったが、行ったらびっくり。いつの間にやらビルは超高層ビルに変貌、そしてホールは超綺麗。ヒェ〜。

柳家さん喬はもはや柳家小三治にも並ばんかなという落語界の大看板であり重鎮。人情噺や廓噺での情景描写は他の追随を許さないほどの実力で、その噺ぶりを聞いていると江戸時代(もしくは明治時代)に誘われているかのようになってしまう。そんな彼の一門会ということで非常に楽しみにしていた。

開口一番の林家なな子は林家正蔵の弟子。林家の軽妙な芸風を受け継いでいるが、落語の方は意外に落ち着いた語り口。女流落語家は以前のように珍しい時代ではないので、もうチヤホヤされることはないだろう。その分しっかり精進していってほしい。

柳家喬太郎は11人いる柳家さん喬の1番弟子。そして、今や押しも押されぬ落語界の人気者。前半の一席目の『首ったけ』では得意の歌で「お〜い、中村くん」を熱唱。で、次に登場する柳亭左龍の本名が「中村」と軽く2番弟子にジャブを放つというか、プレッシャーを与える。それにしても、マクラで何気に言った「NHKとは中野、方南町、高円寺」という言葉には笑った。この反応に喬太郎も「意外に受けますねぇ」とご満悦だった。

柳亭左龍は上方落語の名作『鹿政談』を丁寧に演じきる。特に最後の奉行と役人たちの駆け引きの描写がうまく、師匠譲りの正統派古典落語の王道を楽しませてもらった。彼には底力を感じた。落語協会のプロフィールによると柳家三三と年4回の勉強会をやっているというので、チャンスがあれば是非とも聞きに行ってみようと思う。

前半のトリは柳家さん喬の『中村仲蔵』。「お〜い、中村くん」の歌に始まり、本名が中村である左龍が演じ、今度は中村が演目という中村つながりという粋な計らい。『中村仲蔵』は『仮名手本忠臣蔵』五段目の定九郎を演じて、後に名優となった話であるが、さん喬はこれを鳴り物を入れてたっぷりと演じる。これを聴けただけで来たかいがあった。パチパチパチパチ!

休憩後、最初のお囃子に「鞍馬獅子」が鳴る。「あれ、またさん喬なの?」と思ったら、下手から登場したのはやはりさん喬師匠。あとで解ったのだが、この日は鈴本演芸場でトリを務めることになっていたので、イイノホールでトリを務めると夜8時に上野に間に合わないからであった。ということで、噺の方も『中村仲蔵』とは違ってかなりアッサリで終わり、ちょっと拍子抜け。それにしても、この日のさん喬師匠は、一門会の昼の部で2席、夜の部で2席、そして鈴本で1席と、1日で5席も務める。いくら体力があるとはいえ、年齢的なことを考えれば少しは控えていただきたい。

『聖夜の鐘』は喬太郎の新作落語。ビジネスホテルのボーイとガール(そういう職種になっている)と1人の宿泊客による噺で、この客の正体がある有名な彫師の末裔というオチ。ところで、マクラで話した前日に岩国で飲んだビールをマッコリで割ったという「モッコリ」というのは本当になのだろうか、と思ってネット検索してみたら結構各地の韓国系居酒屋にはメニューとしてあるようである。師匠はマズいと言っていたが、私もいつか試しに飲んでみたい。

最後は諸般の事情で3番弟子の柳家喬之助による『子は鎹(かすがい)』。別れた子供を上手くダシに使って、奥さんと再会して、仲直りするという人情噺。かなりの大ネタではあるが、正直なところ喬之助はうまく役を演じ分けられていない。男(熊五郎)と子供(亀坊)との会話は軽快でいいのだが、奥さん(お光)を加えた3人の親子の会話ではもう少し情感を入れてほしかった。あとつなぎの部分(解説?)で焦ってトチリが少し目立ってしまったのが残念。しかし、素晴らしい人情噺をする師匠がいるのだから、この噺も1〜2年でしっかりとした持ちネタにするのではないだろうか。期待したい。

この日の一門会は昼の部も夜の部も完売。イイノホールは定員が500人だが、そのうち200人は昼夜を聴くという強者だったという。昼夜で7時間もさん喬一門を聞くというのだから、この200人には頭が下がる。強者というより好き者と言わざるをえない。w

土曜日, 12月 07, 2013

私のなかの特定秘密第1号

戦争がしたくてたまらない自民党および中道主義を棄て保守主義となった腰巾着な公明党によって強行採決&成立された特定秘密保護法ではないが、私なりの“特定秘密”を決定することにした。その第1号は「読売新聞を購読する人は自民党もしくは公明党支持者だ」と特定した。

先月下旬(11月28日)に、安倍晋三は大手町の読売新聞東京本社ビルの竣工パーティに出席した。一国の首相が一新聞社のパーティに出席するとは異常である。さすがに自民党の広報紙である読売新聞に対する配慮が伺える。

読売新聞といえば、その昔、務台光雄が「読売と名がつけば白紙でも売ってみせる」と豪語したぐらい、販売戦略に長けている。というより、押し売りが上手い。

務台は戦前の報知新聞時代から販売拡張員を起用して販売の凄腕と呼ばれた。その後、正力松太郎に見出され読売新聞に移り、販売拡張戦略を体系化していった。彼は戦後の混乱期には貧しい人たちに鍋釜を与えて新聞を購読させ、昭和30年代になると洗剤を配ったり、巨人戦のチケットをあげて販路を拡大していった。これら手法は現在も行われている。

先日、ジムであるおじさんから次のような話を聞いた。
「読売新聞は半年後ごとに缶ビール1ケース(20本入)持ってくるよ。購読契約が半年だから、契約が切れる直前になると缶ビールを持ってきて、また半年よろしくお願いします、と言うんだよね」
「それって、ほとんど買収と変わりませんね」
「そうだね。うちは読売以外に日経も取っているけど、日経はそんなことしないもんね」
こうした手法は読売以外の他社もやっているが、読売ほど露骨ではない。

原発を推進し、特定秘密保護法にも反対しない、自民党の広報紙・読売新聞。2012年末の衆議院選挙では世論調査という名のもとに争点を「原発、TPP、消費税」でなく「経済」とすり替えたエセ・マスコミ。自民党、官僚、電通などと常に“特定秘密”の共有・連携している策略集団の一員。反社会的勢力の団体員が販売員をしながら販路を拡大して、広告代をダンピングするマスゴミ。読売新聞こそが日本の諸悪の根源の1つである。

そんな読売新聞を購読する人は自民党もしく公明党支持者と特定されてもおかしくないだろう。