日曜日, 8月 28, 2022

飯岡、銚子、佐原の旅(その3)

飯岡(千葉県旭市)は岩牡蠣の産地として有名であるが、それと共に東日本大震災で千葉県のなかで最も被害を受けた場所である。東日本大震災では東日本の海岸線(青森、三陸、仙台、福島、茨城)に大津波が押し寄せて、各地に甚大な被害をもたらした。そして、あまり知られていないが千葉県の旭市にも多大な被害をもたらしている。旭市では死者13人、建物の全壊334棟、半壊923棟の被害に見舞われている。そのほとんどが漁港のある飯岡町周辺であった。

それではなぜ飯岡に津波が集中したかというと、地形の起伏と水深の深さ、また何度も押し寄せてきた津波の押し寄せと引きなど、かなり複合的な関係によって起きたようである。写真にある「旭市の津波を被害を記録する会」の簡略なパンフを読んでも、正直明確に理解するのは難しい。


ただ、刑部岬展望台(風がめちゃくちゃ強い)に行ってみてわかったのが、銚子マリナーナから刑部岬まで約10km続く断崖(高さは40〜50m)の屏風ヶ浦と、飯岡漁港から南へ連なる九十九里浜(約66km)の地形にあることはなんとなく理解ができた。津波というのは遠浅のなだらかな海岸よりも、三陸のような入り組んだ水深の深い海岸線に押し寄せる。つまり、犬吠埼から周り込んできた津波は屏風ヶ浦に何度も押し寄せたが、その押し寄せと引きが重なりあい、屏風ヶ浦の隣にある飯岡に押し寄せてきたのではないだろうか。

飯岡の町ではお土産の魚介類を求めてタクシーで巡ったが、そのときに運転手さんがところどころで車を停めて「この辺の家はみんな被害を受けて、引っ越ししてしまったんです」「更地になっているところはいいですが、空き家になっているところもあるんです」「ここには中学校があったんですが、何年か前に内陸側に完全移転しました」などと説明してくれた。

百聞は一見にしかず、の旅だった。



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