土曜日, 2月 27, 2010

バンクーバー・オリンピックあれこれ(その4)

朝日新聞しか報道していないのが少し気になるが、25日に石原慎太郎都知事がバンクーバー・オリンピックの日本選手の活躍に対する国内の反応について報道陣にこう述べたそうである。「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」と。自分の愚かさをここまで吐露するとは情けない都知事である。

石原都知事は選手たちの心情を察しているのだろうか。銅メダルを取って狂喜するとは、おそらく男子フィギュアの高橋大輔選手のことを指しているのだろうが、彼は決して銅メダルを取るためにバンクーバーに行ったのではない。それを応援しているファンも国民も誰もが金メダルを獲ってほしいと願っていたはずである。しかし、結果は結果である。国民はそれを素直に受け取っている。

4年に1回しかない大会で世界で3番目という順位を喜んではいけないのだろうか。いくらマスコミが騒ぎたてるからといって「狂喜する」と言うなど、全くもってスポーツに関して無知蒙昧である。

これだから、2016年のオリンピックに立候補したものの、都民の支持はあまり得られず、IOC総会でも見事にリオデジャネイロに破れるも当然である。その上、誘致費用に100億円の税金を使い、それプラス7億円の赤字まで出しておきながら、無責任にも「馬鹿な国」発言である。

まさに負け犬の遠吠えでしかない。こんなヤツに都民税を使って欲しくないので、早く都知事を辞めてもらいたい。

石原都知事「銅メダルで狂喜する、こんな馬鹿な国ない」
http://www.asahi.com/national/update/0226/TKY201002250536.html

木曜日, 2月 25, 2010

バンクーバー・オリンピックあれこれ(その3)

金メダルアナウンサーと呼ばれる人がいる。その代表がテレビ朝日の田畑祐一アナウンサーとNHKの刈屋富士雄アナウンサーだ。共に1960年生まれの49歳。

田畑祐一アナは1998年長野五輪でさほど期待されていなかった女子モーグルの里谷多英が金メダルを獲ったときに実況。続いて男子ショートトラックで西谷岳文が金メダルを獲得したときも実況して、一躍「金メダルアナウンサー」という名声を得た。しかしながら、バンクーバー五輪の実況アナウサーのグループ・ジャパンコンソーシアム(NHKと民放共同の取材チーム)には入らなかった。どうしてなのだろうか。

一方、刈屋富士雄アナは2004年アテネ五輪で男子体操団体の中継を担当。エースの冨田洋之が着地する直前に、NHKの大会テーマソングだったゆずの「栄光の架橋」をモチーフに「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!」と絶叫して一躍有名になった。そして、2006年のトリノ五輪の女子フィギュアでは「トリノのオリンピックの女神は荒川静香にキスをしました」と静かに囁いて、これまた名をあげた。そして、今回のバンクーバーでも女子フィギュアなどを実況しているが、残念ながら、まだ金メダルアナウンサーの面目躍如を発揮されていない。

次なる金メダルアナウンサーの誕生が待たれる。

水曜日, 2月 24, 2010

バンクーバー・オリンピックあれこれ(その2)

バンクーバー・オリンピックで旋風を起こしている韓国。ショートトラックの強さにはもともと定評があったが、今回はスピードスケート、そしておそらくフィギュアスケートとその勢いは止まりそうにない。

この活躍にもっとも喜んでいるのが、韓国の平昌(ピョンチャン)だろう。平昌はこれまで2度冬季オリンピック開催地として立候補したが、2010年は今回のバンクーバーに、2014年はソチ(ロシア)に負けてしまった。そして、2018年の誘致活動もすでに行っている。

今のところ競合相手はドイツ・ミュンヘンとフランス・アヌシー。地理的条件からしても、また現在の韓国の勢いからして、2018年は平昌になる確率が高そうである。これは日本にも喜ばしいことであり、全面的に応援するべきである。

というのも、韓国には日本ほどスキー場の数はないので、他国はオリンピック直前の練習を時差のない日本でやることになるだろう。スキー競技だけでなくジャンプ、スノーボード、そしてスケートといった他の競技も日本で直前合宿するチームが増えるだろう。

そして、日本が2018年の平昌冬季オリンピック開催を全面支援すれば、韓国も2020年の広島(東京はありえない)での夏季オリンピック開催を支援するのではないだろうか。

火曜日, 2月 23, 2010

バンクーバー・オリンピックあれこれ(その1)

バンクーバーへは何度か行ったことがある。その街並は確かに美しい。しかしながら、"世界一住みやすい都市"という称号を得るような都市かというと、残念ながらそうは思えない。

というのも、今はオリンピックのために整備されたかもしれないが、ダウンタウン・イーストサイドと呼ばれる地区はさほど治安がいい場所ではなかった。また、北米で2番目の大きさと言われるチャイナタウンもグッド・プレイスかというと疑問である。

また、バンクーバーがオリンピックに適している土地かというと、さほどそうも思えない。6年半前にバンクーバーの地元紙が「バンクーバーは冬季五輪の開催地として最も温暖な都市」と書いたそうだ。

バンクーバーは北緯50度と北海道より北に位置するが、温暖な海流の影響で冬でもさほど寒くならない。バンクーバーの2月の平均気温は4.5℃、東京が6.1℃、札幌が−3.5℃なのだから、「バンクーバーは冬季五輪の開催地として最も温暖な都市」と言われる所以であろう。加えて、2月は雪ではなく雨が多く、地元紙も「1年で最も惨めな月」と書いているそうだ。

トラブル続きのバンクーバー・オリンピック。日本ではほとんど報道されないが、バンクーバーでは一部の人間だが抗議行動も行われている。

金曜日, 2月 19, 2010

寿司は手で食べる? 箸で食べる?

最近よく行く地元にある寿司屋で「お寿司を手で食べる人はどれぐらいいますか」と聞いたところ、「2割か3割、いや、1割か2割かもしれませんねぇ」という答えが返ってきた。

私は寿司を手で食べるのが苦手だ。手がベタつくのが好きでないからだ。同じような理由の人は多いと思う。また、当然のことながら(笑)にぎりを食べる前に、必ずお酒を1杯2杯とやり、刺身(造り)を2〜3品食べるので、どうしても最初に箸を使わざるをえない。その流れからにぎりも箸で食べるようになってしまう。

ちょっと昔「江戸前の寿司は箸を使わないで、手で食べるのが粋なんだ」と言って、刺身まで手で食べた人がいたという。本当かどうかは定かではないが、ありがちな話である。

江戸時代、寿司はもともと屋台で食べられていたもので、その名残は銀座「二葉鮨」の店構えに見ることができる。この時代は屋台には刺身もなければ酒もなく、お客は誰もが手で食べていた。寿司屋でお酒を出すようになったのは大正末期から昭和の初め頃だそうだ。

昭和に入ると、寿司はお店で食べるだけでなく、出前で食べるのも一般的になった。正月など忙しいときは来客は断って、出前だけにしていた店も多かったという。こうした出前に割り箸をつけたことから、手で食べる習慣が薄れていったとも思われる。

回転寿司などで若者が手で食べている姿を見かけることがある。あんな忙しない場所で、ちょと通ぶってもなぁ、と思ってしまう。しかし、これには別の理由もあるようで、ある寿司屋の店主が「箸使いのできないヤツが手で食べているだけですよ」と揶揄していた。なんか主客転倒な食べ方である。

ちなみに、にぎり寿司を手で食べる場合は、親指と中指で握りをはさみ、人さし指でタネを押さえ、そのタネに醤油をつけて食べるのがマナーのようである。また、のり巻きは切り口の下に醤油をつけて食べる。まあ、箸も同じことなのだが・・・。

参考文献:『すし屋の常識・非常識』(著・重金敦之/朝日新書)

水曜日, 2月 17, 2010

『JIN-仁-』は映画化されるのか、されないのか

1月29日付の日刊スポーツが昨年大ヒットしたTBSドラマ『JIN-仁-』の映画化が決定した報道した。ところが、その後すぐにTBSはプロデューサー・石丸彰彦のコメントとして「『映画化』などの決定している事はまだない状況」と報道を否定するFAXをマスコミ各社に送付した。

昨年末もTBSの番組宣伝担当者は『『JIN-仁-』の映画化やスペシャル番組が関して強く否定した。「映画や続編があると週刊誌などであおられて本当に迷惑している。ドラマで完結。今言えるのは、今後の予定は全くないってこと」と述べていた。

TBSが映画化すると明言できない理由はいろいろ考えられる。まず第一に主要キャストの確保がまだできていないのではないだろうか。第二に、主演の大沢たかおが1月から映画『桜田門外ノ変』を撮影に入っていて、その完成・公開がまだなのでそれに対する配慮もあるだろう。第三に今年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」ということで、NHKに対しての遠慮というか配慮からかもしれない。第四に原作者との著作権がクリアになっていないとかも考えられる。

また、TBSは今年12月に木村拓哉主演の映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を公開予定している。ジャニーズ事務所との関係からして、この映画を絶対にヒットさせてはならないというお家事情もある。さらに視聴率低迷や広告収入の減少といった台所事情も関係していると思われる。こうしたことから、『JIN-仁-』の映画化発表をすんなり言えないのだろう。

しかしながら、私は映画化すると思う。TBSは今やテレビ事業より不動産や映画の収益でなりたっている会社である。昨年も『ROOKIES-卒業-』をヒットさせて大儲けしているので、こんな美味しい話はそうそうない。

ただし、『ROOKIES』に続いて、TBSはドラマでヒットしたものはすべて映画化していくと、テレビで続編を作って商売をするというテレビ局本来の姿を失っていってしまう。せめて、映画化するならば第2シリーズを放送してか、『のだめ』のようにスペシャル番組を作ってからにしてほしかった。

月曜日, 2月 15, 2010

忙しい人、忙しくない人

自宅を少し改装している。一緒に地デジ対応のアンテナを新設する予定にしている。それに伴い各部屋のアンテナ・ジャックも変えなければならない。まだある古いテレビも新しくしなければならない。忙しそうにしている電気屋さんといろいろ相談をした。

「確かに忙しいです。2月は冬場ということもあり、エアコン工事もありませんので、例年は忙しくないのですが、今年は地デジ・アンテナやいろいろなエコポイントのおかげで忙しいですね」

一方で、この時期忙しいはずの税理士さんは嘆いていた。

「私はまだ仕事に恵まれていますが、暇な先生(税理士)がすごく増えているんですよ。会社はまだしも、個人で確定申告を依頼する人は10年前に比べて10分の1以下でしょうね。バブルの頃はこの時期になると忙しくて、体重が4〜5キロは落ちましたが、今は気を揉んで体重が落ちますよ」

時代の流れや景気の善し悪しによって、忙しい人と忙しくなる人は変わるものだが、2月という時期はそれを敏感に反映する月なのかもしれない。

土曜日, 2月 13, 2010

十人十色、女性客のドリンク・オーダー

先日、地元にある美味しい宮崎県産地鶏を食べさせてくれる店へ久しぶりに行ったら、お座敷は女性客のグループでいっぱい。

「華やかでいいねぇ」とひやかすと、若い店主は「飛び込みで嬉しいですよ」と笑顔だった。

ところが、しばらくすると彼の顔色が変わった。というのも、10人の女性が全員違うドリンクをオーダーしてきたのである。カウンター越しに私が「男なら絶対にありえないね」と言うと、彼は苦笑いをしていた。

十人十色全く違うドリンクをオーダーするというのは珍しいと思うが、女性は男性と違って「俺も同じものを」という人が少ないように思う。それだけ、女性は自分の飲みたいものがはっきりしている。男性のように「酒さえ飲めれば」とか「酒なら何でも同じ」という考えがあまりない。また、女性のグループだと、いろいろなドリンクをオーダーして、その味の違いを利き比べているのかもしれない。

いずれにしろ、女性のお酒の楽しみ方を、男性も少しは勉強した方がいいのかもしれない。だけど、男性客が十人十色違うドリンク・オーダーをしたら、お店の人は苦笑いではすまないだろう。(笑)

木曜日, 2月 11, 2010

いろいろなイカ(烏賊)の名前と呼び方

日本人ほどイカを食べるのが好きな人種はいない。なんとその消費量は世界の年間漁獲量の半分。つまり、世界の人口の50分の1しかない国が世界の半分のイカを食べてしまうのである。

そのなかでも、スルメイカがまたその半分を占めると言われる。スルメイカは日本列島を中心に極東アジアから北はアラスカ・カナダ西岸、南はベトナムまで生息しているといわれ、日本人にはもっとも馴染みのあるイカである。このほかにも、日本人はいろいろなイカを食べるが、このイカの名前は魚と同じように場所や季節によって名前が違ったりする。

まず、スルメイカだが、新緑の季節や少しこぶりのものを麦イカといったり、また夏イカといったりする場所が各地にあるそうだ。アオリイカはたくさんの名がある。外見がバショウの葉に似ることからバショウイカとよく呼ばれる。しかし、四国地方ではモイカ、九州地方ではミズイカ、沖縄ではシロイカ(シルイチャー)といった別名があるそうだ。

ケンサキイカも同様で、中国地方だはシロイカ、南関東地方ではアカイカと対照的な名前がある。ただし、築地ではシロイカと呼ばれる方が多いそうだ。コウイカも同じで、中国・四国地方ではハリイカ、関東地方ではスミイカもしくはマイカと呼ばれる。ただし、スルメイカのことをマイカと呼ぶところも全国各地にある。

このほかにもイカにはヤリイカ、ホタルイカなどたくさんの種類のイカがあるが、各地でいろいろな呼び名はあるようである。しかしながら、イカの数え方はほぼ全国共通のようで、生きているときは1匹2匹だが、水揚げされると1杯2杯、そして、干すと1枚2枚に変わる。

水曜日, 2月 10, 2010

流氷は碧かった

8日に網走地方気象台が、網走沿岸に流氷が接岸して、船舶が航行できなくなる「流氷接岸初日」を観測したと発表した。平年(2月1日)より7日遅く、昨年(2月19日)より11日早いとのこと。そして、この接岸は3月下旬ごろまで続くそうだ。

その昔、20代の頃に流氷を観るために冬の北海道へ行ったことがある。当時は国鉄(JRではない w)の北海道周遊券があり、それを使って道北から道東へかけて2週間余り旅をした。まず夜行列車で札幌から稚内まで向かい、そのあとは天北線に乗りオホーツク沿岸の浜頓別まで行き、流氷接岸に備えるべくオホーツク沿岸を南下した。

浜頓別で一夜を過した後、今は廃線となってしまった興浜北線、途中バスに乗り替え、その後は興浜南線で興部(おこっぺ)まで行き、そこから名寄本線に乗り換えて、紋別まで行った。その間、列車(ディーゼル車)からは遠くに流氷を望むことはできても、まだ接岸するという感じではなかった。

紋別に着いたときに、翌日に網走あたりで接岸をするのではないかという話を聞きこみ、その日は網走に泊まった。しかし、その年の流氷は網走沿岸を通り過ぎて、知床方面へ向かっていた。そこで急遽、知床半島の付け根にある斜里まで向かうことにした。そして、海にもっとも近い民宿は何処かを探してみると、斜里の一駅手前ので止別(やむべつ)が良いと教えてもらい、そこで降りた。

そして、翌朝、民宿前の海に出たら、そこは別世界だった。海が白い、いや碧いのである。そして、大小の氷の塊が重なりあい、泣いている。

キュッ、キュッ・・・
ギィー、ギィー・・・
ギシギシ、ギシギシ・・・
と様々な泣き(鳴き)声が聞えてくる。

日本の自然のなかでもっとも雄大で神秘的な光景だった。

流氷サイト
http://www.noah.ne.jp/ice/index.html

火曜日, 2月 09, 2010

気象庁の3ヶ月予報「暖冬少雪」

昨年11月25日に気象庁が発表した3ヶ月(12月〜2月)の長期予報は「暖冬で日本海側の雪は少ない」だった。しかしながら、この予報はご承知のように大ハズレであった。

今年の冬は平年並かそれよりも寒い。12月中旬から下旬にかけて冬将軍が到来して、日本海側を中心にかなりの雪が降った。12月の降雪量は平年比で北海道が109%、東北日本海側が80%、北陸が131%だった。ここ最近3年間の12月の積雪量が、東北日本海側で30〜60%、北陸で平年の20%前後だったので、これらの地方に住んでいる方は数字以上に大雪と感じたのではないだろうか。

1月中旬から下旬にかけては比較的温暖な天候が続いた。しかし、2月に入ると再度寒波が押し寄せて、3日には札幌で最高気温が氷点下9度を下回った。これは9年ぶりとのこと。また5日には新潟で積雪が80センチを越え、これは26年ぶりの大雪である。

コンピューターのおかげで、明日の天気予報や週間天気予報の当たる確率は非常に高くなっている。しかしながら、1ヶ月予報や3ヶ月予報の長期予報はコンピューターだろうがカンピューターだろうが、当たる確率は非常に低い。相手は自然現象であり、大気の状態など神のみぞ知る世界である。

それにしても、気象庁は当たるかどうか解らない長期予報をどうして発表しているだろうか。その存在意義というか理由がよく解らない。農業関係者や漁業関係者からの要望なのだろうか。衣料品などを扱う商業関係者からの要望なのだろうか。それとも、私のような天の邪鬼のために発表をしているのだろうか。(笑)いずれにしろ、気象庁の長期予報の当たらなさには呆れ返る。平成18年豪雪(2006年)のときも、気象庁は「北日本を除き暖冬」と予想していた。

よ〜く、憶えておこう
http://k21komatsu.blogspot.com/2009/11/blog-post_26.html

月曜日, 2月 08, 2010

レッグウォーマーとへぎそば

先日、行きつけの指圧マッサージ店で、かかり付けのマッサージ師のおばさんに思いっきり押し揉みほぐしてもらった。ムギュ〜〜。

「右側の座骨がカチカチなんですけど」
「ああ、これですね。随分やられていますね」
「なんとかなりませんかねぇ」
「足が冷えているのが原因ですから、レッグウォーマーを穿いてください」
「レッグウォーマー? 男物なんかあるのですかね」
「女性もので平気ですよ。あれは相当伸び縮みしますから」
「僕の足、太いですよ」
「私よりは細いでしょう」(笑)

というわけで、女性ものレッグウォーマーを買ってきて、履いている。私はズボン下を履かないので、足下というかふくら脛が実に暖かくなった。これで座骨のコリが治ることに期待したい。

続いて、おばさんの話題は出身地である十日町に。ムギュ〜〜。

「今年は十日町も大雪で大変なんですよ」
「そうみたいですね。知り合いのブログに積雪300センチと書いてありました」
「3メートルなんてまだ少ないかも。私が子供の頃には5メートルでしたからね」
「ところで、十日町の名物って何ですか。着物と雪まつり以外で・・・」
「十日町といったら、へぎそばです。小嶋屋のへぎそばです」
「小嶋屋のそば、先日もらいましたが、へぎそばって何ですか」
「へぎ(片木)というのは、お蚕さんを育てるときに使う箱のことですよ。十日町は昔は蚕もやっていたんです」
「それにそばを盛ったのですね」
「そうですね。とにかく小嶋屋のへぎそばは美味しいんですよ。以前は宮内庁御用達で、今でも献上されているとか。お忍びで食べにくる有名人も多いみたいです」
「へぇ〜、そんなに美味しいんですか」
「十日町に行ったら、水車が目印の小嶋屋に絶対に行ってくださいね」
「解りました・・・、ウゥゥゥゥ〜〜〜」

指圧マッサージは「ムギュ〜〜」(笑)だが、おばさんとの会話は楽しい。

小嶋屋総本店
http://www.hegisoba.co.jp/

金曜日, 2月 05, 2010

国会で相撲の“国技”論争をしてもらいたい

年頭に予想した通り、朝青龍が引退した。でも、夏ぐらいかなぁと思っていたのだが・・・。w

さて、今後は責任逃ればかりしていた高砂親方を追及してもらいたい。

ところで、現在開かれている国会で「相撲は国技なのか、それとも違うのか、どうなのか」を論議してくれないかなぁ、と思う。相撲協会と密接な関係のある自民党議員が質問することはないだろうから、他党の議員の誰か質問してくれないかなぁ。

そして、監督官庁である文部科学大臣がどう答えるかが是非とも聞きたい。

できれば、その答えは「相撲協会が勝手に言っているだけで、文部科学省としては“国技”と認めたことは一度もない」と明確に述べてもらいたいもんだ。

水曜日, 2月 03, 2010

エコポイント申請は面倒くさい

自宅を改装するにあたって、古いテレビを地上デジタル対応の薄型テレビに買い替えた。もちろん、エコポイントが利用できる。約8万円の買い物およびリサイクルで15,000ポイント=15,000円分相当なのだからお得である。

しかしながら、そのエコポイント申請がめんどくさい。いくらお役所仕事とはいえ、もう少し簡素化できなかったのだろうか。家電店が申請の代行をするとかしないと、高齢者などは面倒くさい、と言って申請をしない人も数多く出ているのではないだろうか。もちろん、逆にサービスとして代行をしている家電店も多いかもしれない。

さて、私はなんとか自分で申請書やコピーなど必要書類を揃えたが、確認のために家電店を訪れた。やはり1ヶ所のミスがあった。

申請書の説明のなかで私がもっとも混同したというか読み違えたのが「控え」と「コピー」という言葉である。私の頭のなかでは「控え」と「コピー」は同義語で同じ意味である。英語で「控えをとる」は「take a copy」である。せめて「コピー」という言葉には「コピー(複写)」と日本語も入れてほしかった。

それにしても、エコポイント申請は面倒くさい。そして、実際にそのポイントがもらえるのは1ヶ月以上も先とのことである。

月曜日, 2月 01, 2010

吉村昭著『桜田門外ノ変』(上下巻)を読む

上下巻の長編歴史小説の大作を1週間余りかけてじっぐりと読んだ。現在、この本を原作にした映画『桜田門外ノ変』(監督:佐藤純彌 主演:大沢たかお)の撮影が行われている。秋から冬にかけて全国200以上のスクリーンで公開予定とのこと。

さて、原作本の話だが、作者の吉村昭は水戸藩および主人公・関鉄之介の視点で話を進めていき、読者は知らず知らずと大老・井伊直弼憎しとなっていく。それは歴史小説にとっては客観的でないと批判を唱える人もいるだろうが、ぐいぐいと物語のなかに引き込まれていき、主人公の葛藤と心情が解るようになっていく。

桜田門外の変というと、安政の大獄を起こした井伊直弼を水戸藩士が桜田門外で暗殺したことまでは誰もが知っているが、この本を読むとこの襲撃が第二の“忠臣蔵”ともいう思われる話で非常に奥が深い。ただ、忠臣蔵に比べるとかなり血なまぐさを感じる。それは壮絶な斬り合いと自刃で数多くの死者が出たからだろう。

物語のなかには西郷隆盛、坂本龍馬、徳川斉昭、松平春嶽といった幕末の有名人たちが数多く登場する。また、女性との秘話もあり、なぜこれまでに大河ドラマに取り上げられていないのかが不思議くらいだ。第1回大河ドラマ『花の生涯』では井伊直弼の生涯を取り上げているが、この本のように水戸藩士のことを細かく描いていたのだろうか。

主人公・関鉄之介の人生はまさに波乱万丈である。なかでも、安政5年(1858年)から翌年にかけて、井伊直弼に対する諸藩の決起を促すため、越前藩・鳥取藩・長州藩へと旅にでるところが面白い。そして、襲撃の実行部隊総指揮官となり、事件後は1年半に及ぶ逃亡生活の果てに捕らえられ、最後は死罪となる。吉村はその逃亡生活を克明に描写していき、まるで自分が逃亡者のようになった気にすらさせてくれる。

司馬遼太郎は自著で桜田門外の変のことについて「史上希有な、歴史を前に動かす暗殺」と書いているが、実際にこの事件によって幕府の権威は失墜していき、時代の流れは8年後の明治維新へと突き進んでいった。

関鉄之介は間違いなく明治維新の立役者の一人である。映画の公開も待ち遠しい。

「桜田門外ノ変」映画化支援の会
http://mitoppo.jp/