大正13年生まれの母親は生誕の地は父親(私の祖父)の仕事の関係で台湾だが、小学校からはちゃきちゃきの牛込っ子。牛込にある愛日小学校を出たあとは、六本木にあった府立第三高等女学校(現・都立駒場高校)に路面電車の「市電」で通っていた。そのために、当時の牛込・神楽坂周辺のこと、そして市電の停留所名や東京の地名をよく憶えている。
それゆえに、私が「今日はサントリーホールに行ってくる」と置き書き(メモ)をするときは、「サントリーホール(六本木1丁目)」ではなく「サントリーホール(福吉町もしくは霊南坂町)」と書かなければならない。他にも、西麻布へ飲みに行くときは「西麻布」ではなく「霞町」か「笄町」と書いている。麻布十番へ行くときも「麻布十番」ではなく「一之橋」と書いた方が話が通じる。そして六本木ヒルズも「材木町」となる。w
このように、母親は今の地名より昔の地名の方が理解しやすいのである。ということで、昔の東京の地名や都電の停留所名に詳しくなってしまった・・・。
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