火曜日, 10月 14, 2008

京都・幕末ゆかりの地を訪れる

先週の京都滞在での最大の目的は料亭めぐりでなく、神社仏閣めぐりでもなく、幕末ゆかりの石碑およびお墓めぐりであった。なかでも、今年の7月に建てられたばかりの「小松帯刀寓居参考地」が最大のお目あてであったので、まずはここからスタートした。

「小松帯刀寓居参考地」と書かれた石碑は堀川通から一条戻橋を東に渡って30メートルほど先の右手(南側)にある。正確には石碑の正面に「此向かい 近衛堀川屋敷跡 小松帯刀寓居参考地」と書かれ、右側面には「此付近応仁の乱洛中最初合戦地」、左側面には「藤原道綱母子 源頼光 一条邸跡」と書かれている。そして、石碑の横にある副碑には下記のような文が書かれている。

「なお当地の向かいは、五摂家筆頭の近衛家の堀川邸で、内部に「御花畑」があった。薩摩島津家の家老小松帯刀は「御花畑」のある近衛邸を寓居としたとされるため、当邸は有力候補地といえる。慶応2年(1866)1月、小松寓居には長州毛利家の桂小五郎(木戸孝允)が入り、その地で薩長同盟が締結された可能性がある。」

この後は、薩摩藩邸跡(同志社大学)、大久保利通旧邸跡、相国寺にある薩摩藩士の墓、長州藩士の墓、御所のすべての門などを歩いて廻り、最後に滞在したホテルである京都ホテル=長州藩邸跡と戻るコースを歩いた。

そして、その途中に京都滞在中だった皇太子を乗せた車が烏丸通を通るために、南北に一直線の烏丸通の信号がいっせいに青になるという珍しい光景に出くわした。今となってはあの光景を写真に撮っておけばと残念でならない。

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