木曜日, 9月 06, 2007

青森県立美術館はもう一度訪れたい


昨年、仕事で青森に3回ほど行ったが、行った場所といえば仕事先と温泉だけであった。で、今回はまったくのプライベートな旅なので、温泉だけではなく市内にある美術館巡りをすることを楽しみにしていた。なかでも、最大のお目当ては青森県立美術館だった。

青森県立美術館は2006年7月13日にオープン。三内丸山遺跡の隣に位置していて、市内の南西の外れにある。またすぐそばには陸上自衛隊青森駐屯地もあるせいか、私が訪れたときは隊員たちがメタボリック防止のためか、美術館の周辺をジョギングをする姿が目立った。

美術館は写真にあるように、白い平坦な作りなのだが、その構造はかなりユニークだ。建物の入口は1階にあるものの、美術館の入口はエレベーターで地下2階まで降りて、そこにチケットカウンター(入場料500円)がある。そして、美術館に入るとすぐに目の前に、ここの最大の売り物である、シャガールの舞台背景画3枚が掛けられたアレコホールがある。

アレコホールにはシャガールが1942年にニューヨークで手がけたバレエ『アレコ』の背景画全4点のうちの3点で掛けられている。1点の大きさは縦が約9メートル、横が約15メートルもあり、大きな空間をうまく利用したその迫力と色彩に圧倒される。私も数多くの舞台を見てきたが、これほど素晴らしく迫力の背景画を見たことがない。そして、舞台美術をこのように芸術として展示している美術館を嬉しく思った。

美術館はアレコホールのAから、Qまでの部屋に分かれていて、それぞれが独立したものを展示している。展示作品は主に棟方志功、奈良美智、寺山修司、阿部合成など青森県にゆかりのある芸術家の作品を紹介している。そのなかで、私をもっとも引きつけたのは成田亨と澤田教一の展示だった。

成田亨は1929年神戸市生まれだが、生後すぐに青森市へ移住して、青森中学校(現県立青森高校)を卒業後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)に入学。卒業後の54年に映画『ゴジラ』制作に参加したのをきっかけに、映画美術、特撮美術の仕事を始める。そして、彼がもっとも活躍したのはテレビでのウルトラシリーズだった。展示室には『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に登場した怪獣たちのデッサン数十点が飾られている。

ベトナム戦争の報道写真で有名になった澤田教一は1936年青森市生まれ。54年に青森高校を卒業。米軍三沢基地内の写真店勤務を経て、61年にUPI(United Press International)通信社東京支局に入社する。そして、65年から70年までの5年間、ベトナムやカンボジアなどで戦場カメラマンとしてインドシナ半島の現況をカメラを通じて全世界に伝えた。今回の展示にはピュリッツァー賞を受賞した有名な写真《安全への逃避》や《泥まみれの死》などの他に、遺族から借用したヘルメットやカメラなどの遺品も展示されていた。

青森県立美術館はオープン30日で入場者数が5万人を突破。また今年の5月までの約10ヶ月間で25万人の総入場者数を記録するなど、過疎地の美術館としては人気の美術館となった。今回、私が美術館にいた時間は2時間余だったが、それだけでは到底展示品を堪能することはできなかった。青森県立美術館にはもう一度訪れようと思っている。

青森県立美術館
http://www.aomori-museum.jp/ja/

0 件のコメント: