金曜日, 9月 07, 2007
わだば、ゴッホになる
棟方志功記念館は棟方志功の文化勲章受章を記念して、彼の業績を後世に伝えるため1975年11月に建てられた。残念ながら棟方はそのオープンの2ヶ月前に他界している。建物は校倉造り風の鉄筋コンクリート二階建で、前庭には池泉回遊式の日本庭園があり、落ち着いた佇まいである。
記念館に入ると最初に出迎えてくれるのが、高田博厚の手による棟方志功の銅像。棟方と高田は共に鎌倉に住んでいたこともあり、旧知の仲だったようだ。彫刻家でもある棟方を高田は非常に精悍な姿で描いている。我々がよく映像などで見る人懐っこい姿とは違い、この銅像を見ると、展示室には「真面目に見てくれよ」と言われているようだった。
記念館の展示室は2室しかなく、展示点数も数十作品とかなり少ない。この展示規模は、「あまり数多くの作品を展示して、観覧する人々が疲れたり、作品の印象が薄くなったりするよりは、やや少なめの作品数でも一点一点をじっくり見て欲しい」という棟方本人の希望によるものだそうだ。
展示品は板画(棟方は版画と言わない)以外にも、倭画[やまとが](棟方は肉筆画(水彩・墨彩・顔彩など)のことをこう呼ぶ)、初期の油絵、書、陶器などいろんなジャンルに渡る。ただ、棟方には悪いが、展示品の数はやはり少なく、私には少々消化不良だった。私は彼の肉筆画が好きなのでもっと収蔵されているはずの作品を見たかったというのが本音である。記念館では年4回の展示替えを行い、棟方の業績を紹介するようしているというが、遠方からでは簡単に訪れることはできないので、やはり残念でならない。
棟方志功は明治36年に青森市生まれ。彼はゴッホのヒマワリを見て「わだば、日本のゴッホになる」と画家を志して21歳で上京する。彼の油絵は帝展などに入選はするもののあまり認められなかった。しかし、彼が創る版画は昭和13年に帝展に特選に入選する。そして、戦後まず海外で認められ、その後国内にもその素晴らしさが知れわたるようになった。詩人の草野心平は「ゴッホにはならずに。世界の。Munakataになった。」と記している。
記念館ではロビーで棟方を描いたドキュメンタリー映画『彫る 棟方志功の世界』(1975年毎日映画社製作 カラー38分)が随時放映されている。非常に興味深い映画なのでできれば全編見るといいだろう。
棟方志功記念館
http://www.lantecweb.net/shikokan/
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿