金曜日, 10月 31, 2008

映画『ブロードウェイ♪ブロードウェイ〜コーラスラインにかける夢〜』を観る

原題は『Every Little Step』。記録映画である。ドキュメンタリー映画である。プロモーション映画である。ただし、そんな概念をすべて吹っ飛ばすぐらい面白い。

『コーラスライン』は1975年から1990年までロングランされたブロードウェイ史上最高傑作と言っても過言でないミュージカル。私もその間にニューヨークで2回観ている。また、1985年に映画化された作品も観ている。その『コーラスライン』が2006年から16年ぶりにブロードウェイでリヴァイバル上演されているのだが、この映画はその配役を射止めるためにオーディションに集まるダンサーたちと、オーディションをする側のスタッフたちの8ヶ月におよぶ真剣勝負を追いかけた作品である。

とてもドキュメンタリー映画には思えない。『コーラスライン』という舞台に賭けるダンサーたちとスタッフたちの言動は誰もがドラマチックで、下手な青春映画なんかより圧倒的に感動的だ。ダンサーたちが人生のスポットライトを浴びるがんために、『コーラスライン』に駆ける情熱の光と影が見事に描かれている。合格するであろうと思われたダンサーが最終選考で落ちたり、エッと思えるダンサーが合格したり、オーディション最中にスタッフが不覚に陥ったりと、「事実は小説よりも奇なり」なストーリー(出来事)がいろいろ展開される。

とにかく観て損はない映画である。そして、この『コーラスライン』は来年8月に渋谷Bunkamuraオーチャードホールで上演される。おそらく、私は観にいくだろう。その意味では見事なプロモーション映画でもある。

映画「ブロードウェイブロードウェイ」公式サイト
http://www.broadway-movie.jp/

木曜日, 10月 30, 2008

麻生も野党もマスコミもみんな庶民でない

麻生首相が夜な夜なホテルのバーに通っていることがなにかと話題になっているが、野党やマスコミがこのことをどうして問題にするのか私にはあまり解らない。彼が通うバーは帝国ホテルやホテルオークラ内にある会員制バーであり、その入会金は50万円以上するという。日本一高いバーと言っても過言ではない。

しかしながら、彼はおぼっちゃま育ちで、首相になる前からこれらのバーに通っていた。そして、自腹でその代金を払っている。それを今さらヤメろというのも可愛そうな話である。もし、ヤメたら彼はどこに飲みにいけばいいのかである。仮に彼が私の行きつけの飲み屋に来たら、どうなるであろうか。そりゃもう大変である。新聞記者やSPなど何十人がぞろぞろついてくる。マスコミは常連客をすぐに取材対象にするだろうし、ご近所中が大騒動になってしまい、それこそパトカー騒ぎで迷惑千万になる。

政治家が高級料亭で会合を開いていることは問題である。それは政党交付金をはじめとした税金を使われている可能性があるからだ。しかしながら、麻生は日本一高いバーといえども、自腹で飲んでいる。野党も野党である。酒を飲むぐらい好きにさせてやれよ、と言いたい。

麻生がカップ麺の値段を400円と答えたことは明らかに庶民感覚の欠如であるが、あまり野党やマスコミも庶民感覚、庶民感覚と言わない方がいいだろう。衆議員議員は最低でも年収が約2400万円ある。また新聞記者やテレビ局の連中たちの年収も30歳を過ぎれば、みんな1000万円以上ある。そんな彼らに正直、庶民感覚だと私は言われたくない。

水曜日, 10月 29, 2008

ナベツネは胸中穏やかでないだろう

来年2009年のWBC監督が巨人の原辰徳監督に決まった。

今から一ヶ月ぐらい前に行きつけの寿司屋で私は「WBC監督は王総監督、原監督になるよ」と言ったことがある。いみじくも大筋で当たってしまった。星野仙一がならないだけでもマシだったが、それでも、この結果にナベツネ(渡辺恒雄)は苦笑しているかに違いない。

そもそもナベツネは今年の春頃に、星野を次期巨人監督にすると共に、オリンピックに続いてWBC監督も星野で行く腹づもりでいた。そして、オリンピックで惨敗しても相も変わらず星野に固執していた。ところが、天変地異というか阪神の余りの弱体化によって巨人が棚ぼたでセリーグ優勝してからは、その言動をいっさい控えるようになった。WBC監督に原辰徳の芽が出てきたからである。

ナベツネは現役監督にはずっと反対してきた。それはなぜかといえば、長嶋茂雄、王貞治、星野ときた日本代表監督にパリーグ出身者を据えたくなかったからである。世間的には野村克也、玄人的にはボビー・バレンタインを推す声が強かったが、ナベツネはこれらの声にいっさい耳を傾けなかった。それはパリーグ出身者を監督にすると、巨人およびセリーグの権益に影響をするからである。

しかしながら、今後は原監督にしろナベツネにしろバラ色とは言えない。もしかするとイバラの道かもしれない。まず、巨人はもし日本シリーズに勝った場合、11月中旬に行われるアジア・シリーズに出場することになる。このアジア・シリーズで日本のチームは3連覇をしているので、原巨人は絶対に負けられない。

そして、3月初旬にWBC1次リーグ(アジア予選)で韓国、台湾、中国のそれぞれのオールスターチームと戦って、2位以内を確保しなければサンディエゴで行われる2次リーグ、ロサンゼルスで行われる準決勝・決勝へ進むことはできない。日本はディフェンディング・チャンピオンであるから、少なくともベスト4ぐらいまで行かないと正直格好がつかない。

ナベツネはほくそ笑んでいると同時に、実は原辰徳と心中できるのかと胸中穏やかでないだろう。

月曜日, 10月 27, 2008

立会川は小便飛ばし川だった

久しぶりに地元話です。

先場所の大相撲では立ち合いが話題になったが、こちらの立ち会いは相撲ではなく川である。

立会川(たちあいがわ)は目黒区と品川区を流れる東京都の二級河川。源流は碑文谷公園と清水池公園のそれぞれの池の湧き水である。目黒区のHPによると「昭和20年代までは、小魚やザリガニがいるきれいな小川で、子どもたちの絶好の遊び場だった」らしい。しかし、私が子供だった昭和30年代はすでに生活廃水が流れ込んでいて、小魚もザリガニもほとんどいなかった。それでも、子供たちに格好の遊び場のひとつであり、なかでも誰が一番遠くまで小便を飛ばせるかという「小便飛ばし」には最適の場所ではあった。良き時代であった。(笑)

しかしながら、東京オリンピック頃に川には蓋がかぶせられ、暗渠(あんきょ)となり、川は遊歩道へと変貌していってしまった。

立会川の名の由来は諸説あるのだが、なかでも有名なのが、鈴ヶ森刑場へ向かう罪人を立会川で、家族らが最後に見送ったことから名付けられたという説である。しかしながら、鈴ヶ森刑場が出来たのは1651年(慶安4年)のことであり、その頃まで川に名が付いていなかったとは思えないので、この説はあまり説得力がない。

これ以外の説では「川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」となった」とか、「品川区中延の滝間(たきあい)という地を流れていたので滝間川(たきあいがわ)と呼ばれ、それが立会川に変わった」という。

今となっては目黒区ではこの立会川の流れを全く見れなくなってしまったが、私の記憶のなかには川の姿が鮮明に残っている。

写真上:碑文谷公園方面の裏道から目黒通りを越して
  下:目黒消防署碑文谷出張所裏から田向公園脇を流れていた

金曜日, 10月 24, 2008

後家がいい

久しぶりに、江戸小話です。

男が集まって、酒を飲むと、いつの世でも必ず出るのが女の話。

「おいらは振り袖姿のよく似合うおぼこ娘と寝てみたい」
「おいらは新造さんより、年増の方がいい」
「おいらは遊ぶならやっぱり夜鷹か比丘尼(びくに)に限る」

すると、横の席で飲んでいた男が
「いやいや、後家、後家、後家に限る」
と言うと、
「そうそう、後家がいいに決まっている」
「なるほど、男を知った後家が一番かもしれない」
「後家がいい、後家にしよう」

と、みんなが口ぐちに後家、後家と言うものだから、
後ろの席で話を聞いていた馬鹿な男が、
「そんなにいいなら、おいらのカカァも早く後家にしたい」
と言ったそうだ。

水曜日, 10月 22, 2008

鳥取県がちょっと熱い

鳥取県の人口は2008年9月1日時点で595,184人(男284,091人、女311,093人)と、日本でもっとも人口が少ない都道府県である。また、市の数もたった4つ(鳥取、倉吉、米子、境港)しかなくこれまた最少である。

そして、鳥取県は福井県、高知県と並んで観光客の少ない県とも言われてきた。その鳥取県が今ちょっと熱いのである。というのも、2012年までには中国横断自動車道姫鳥線(全長62.3キロ)が全線開通するからである。

姫鳥線は中国自動車道の佐用ジャンクションから鳥取市までを結ぶ路線で、開通時にはこの区間が全線無料で走れるようになる。鳥取市は47都道府県の県庁所在地で唯一高速道路が開通していない都市だそうで、鳥取市民にとっても開通は悲願でもある。この開通によって関西方面から観光客の増加を期待すると共に、観光鳥取県への脱皮をアピールしたいようである。

鳥取県といえば鳥取砂丘が有名であるが、それ以外にも世界屈指のラドン温泉として有名な三朝温泉、米子のすぐ近くの海岸沿いにある風光明媚な皆生温泉などいくつもの温泉がある。また、ベニズワイガニをはじめとして海産物にも恵まれている。

また、最近では水木しげる(境港市)、谷口ジロー(鳥取市)、森秀樹(米子市)、青山剛昌(北栄町)ら数多くの漫画家を輩出していることから、「まんが王国」としてアピールして中国や韓国からの観光客の誘致も盛んにすすめている。

鳥取県はこれまでは日本一マイナーな県と揶揄されたりもしてきたが、姫鳥線の開通によって産業も観光も変わるかもしれない。やはり地方では高速道路ができるかできないかで経済が大きく左右するようである。

火曜日, 10月 21, 2008

イチロー、松井、岩村たちの弊害

タイトルからすると、WBC監督問題での例のイチロー発言かと思う方がいるかもしれないが、申し訳ないが話は全然違うことである。

先日、行きつけの寿司屋で少年野球の監督をしている人と話をする機会があった。

「イチローや松井の活躍で、野球をする子供が増えたのではないですか」
「確かにここ3〜4年は増えています」
「楽しくていいですね」
「それが、そうでもないんです。悩み事が多いんですよ」
「なにがですか?」
「親が子供に左打ちをさせたがるのですよ」
「ああ・・・・、イチローや松井、岩村らの影響ですね」

監督さんは軽く頷いた。

「野球の場合、左打ちの方が優位であるのは事実ですが、左打ちにするとやはり身体のバランスとかが悪くなり、右では打てる子も打てなくなってしまうんです」
「そうでしょうね」
「バッティングは利き腕だけの問題でなく、利き目、足の早さ、バランス感覚などで、右打ちを左打ちにしてもOKな場合はありますが、それ以外の子は右打ちの子はそのままの方がいいんです」
「解ります。しかし、親としては少しでも活躍のチャンスがある左打ちにさせたい」
「そうなんです。それで、チームは左バッターだらけの打線になってしまい、相手のチームに良い左投手がいると、もうイチコロなんですよ。ですから、右の強打者がほしいんです」
「なんか日本のプロ野球と一緒ですね」
「今年はセパ共に右打者が本塁打王になったり、首位打者になったりしましたが、野球の底辺は左打ち流行なんです・・・・」
「そうですかぁ」
「えええ・・・・」

監督さんの溜め息は、なんか今後の日本のプロ野球の行く末を案じているかのようにも思えた。

月曜日, 10月 20, 2008

10,982,020円で得た教訓

昨日、京都競馬場で行われた3歳牝馬によるGIレース秋華賞で、1着から3着までを当てる3連単という馬券で、なんと10,982,020円という配当が出た。

以前は「競馬で家はつぶれるが、家が建つことはない」と言われたが、100円の馬券が1000万に化けてしまうのだから、この格言はもはや当たらなくなってしまった。今は「パチコンで家庭は崩壊するが、その仲は立ち直らない」と言った方が世情に当てはまっているかもしれない。

さて、その秋華賞で私は馬連(順不同で1〜2着を当てる)で馬券を買った。私の本命はトライアルレースで好走した8番人気のムードインディゴからの7点流し。牝馬のレースは荒れるということで、ちょっと穴狙いをした。それでも、それなりの自信はあった。

で、結果はというと、私のムードインディゴが最後直線で突っ込んできて2着に食い込み、思わず「やったー!」と叫んでしまった。ところが1着にきたのが、11番人気のブラックエンブレムで、私はその馬への馬券を買っていなかった。もし、買っていれば馬連の配当は23,080円。私はだいたい1000円単位で馬券を買うので、当たれば23万円にもなっていたのだが、結局はつかの間のぬか喜びで終わってしまった。

競馬を見終えた後は、少し肩を落としながら近くのジムに行ったのだが、ロッカーで競馬の話をよくする清掃員のおじさんが「取りましたよ」とニヤニヤするではないか。まさか、1098万円をと思ったが、おじさんは「馬単52,130円を」というではないか。凄い〜〜。

当てた秘訣を聞いてみたら「私の好きな数字を5点でボックス買いしたんですよ」と。やはり競馬は無欲の人が高額配当を当てるようである。1,089万円を当てた人も、おそらくおじさんのように好きな数字で買った人たちではないだろうか。ということは、いつの日にかおじさんも1000万を当てる可能性がある。今後もおじさんとは仲良くしておかなければならない・・・。w

土曜日, 10月 18, 2008

来年のセリーグ観客動員を危惧する

プロ野球ファンである。ただし、熱烈なパリーグファンである。そのパリーグファンである私がセリーグのことについて言うのもなんだが、あえて言わせていただく。

今年(2008年)のプロ野球レギュラーシーズンの観客動員数は下記の通りである。

阪神      2,976,754(3,144,180/前年比94.7%)
巨人      2,876,274(2,911,358/前年比98.8%)
中日      2,427,805(2,390,532/前年比101.6%)
広島      1,390,680(1,129,061/前年比123.2%)
東京ヤクルト  1,281,714(1,333,231/前年比96.1%)
横浜      1,129,954(1,231,997/前年比91.7%)

福岡ソフト   2,250,044(2,307,160/前年比97.5%)
北海道日本ハム 1,873,931(1,833,054/前年比102.2%)
千葉ロッテ   1,601,632(1,558,430/前年比102.8%)
埼玉西武    1,413,583(1,093,471/前年比129.3%)
オリックス   1,266,765(1,137,186/前年比111.4%)
東北楽天    1,149,061(1,117,369/前年比102.8%)

セ・リーグの総観客動員数は前年比0.5%減の12,083,181人で、パ・リーグの総観客動員数は5.6%増の9,555,016人であった。

セリーグでは阪神が甲子園球場の改修により客席数が約4,000席も少なくなったり、最後に優勝を逃したこともあり、前年比5.3%減であったが、なんとか4年連続のトップ観客動員数をキープした。そして、土壇場で2連覇を成し遂げた巨人も1.2%減で終わってしまった。セリーグで観客動員を増やしたのは、最後までクライマックス・シリーズを競い合った中日と広島だけで、広島は広島市民球場最後の年ということもあり、23.2%の大幅増となった。

そんなセリーグだが、来年の観客動員数もお先真っ暗ではないだろうか。阪神は岡田監督の辞任に加えて、若手選手がまったく育っていないために、来年はクライマックス・シリーズを戦えるAクラスは難しい戦力になりそうである。強い阪神に慣れてしまった阪神ファンの観客動員は確実に落ちると思われる。このことは、阪神の観客動員数だけにとどまらず東京ヤクルトや横浜のように相手チームの観客動員に頼っているチームの観客動員を下げることになるだろう。

そして、巨人であるが、今年は2連覇したにもかかわらず、観客動員数を伸ばせなかったとはなさけない。昔はプラチナ・チケットと言われた巨人戦のチケットも今では簡単に入手できる。それは日本でプロ野球観戦にもっと行くと言われる、20代30代といった男性に巨人ファンが少ないからである。というよりも、巨人がそういうファンを育てなかったツケが今となって反映しているのである。ということで、巨人は来年も優勝争いをするであろうが、観客動員を伸ばすことができるかは微妙である。

来年、セリーグで観客動員数を大幅に伸ばせそうなのは広島だけではないだろうか。新球場がオープンということもあり、またセリーグ唯一の地元密着球団だから、今年の2〜3割増になり、ひょとして200万人も夢ではないかもしれない。一方、パリーグは優勝を手にした埼玉西武と、若手投手陣が成長したオリックスが大幅増になり、来年の観客動員数もよほど景気が悪くならないかぎり増加が見込めそうである。

ただし、来年3月に開催されるWBCで日本代表が悪い成績だと、観客動員数に大きな影響がでるだろう。そして、そのときの監督がもし星野仙一だと、阪神や中日の観客動員数は大幅に減るであろうから、セリーグのためにも絶対に星野をWBC監督にしてはならない。

木曜日, 10月 16, 2008

『埴生の宿』は心に残る歌

BSハイビジョンで再放送されている『純情きらり』を録画して見ている。2年前の放送のときは4:3のテレビ画面で見ていたが、今回は16:9のハイビジョン対応画面で見ているので、内容は解っていながらも少し新鮮な気分である。

その『純情きらり』の第1週では主人公の桜子が亡くなった母を慕う音楽として、『埴生の宿』が効果的に使われている。この歌は小学校の音楽唱歌になっていたり、「日本の歌百選」に選ばれていたり、数多くの映画やドラマで印象的に使われ、日本人にはとても馴染み深い歌である。しかし、この歌はご存知の方も多いと思うが原題は『Home, Sweet Home』といい、日本の歌ではない。

『埴生の宿』は1823年にイギリスで初演されたオペラ『ミラノの乙女』のなかの挿入歌で、作詞はアメリカ人のジョン・ハワード・ペイン、作曲はイギリス人のヘンリー・ローリー・ビショップ。日本では明治時代に里見義(ただし)の訳詞よって紹介されたという。

里見義は1824年(文政7年)福岡県豊津町生まれ。小倉藩藩校の流れをくむ旧制豊津中学(現福岡県立育徳館高校)の校長をした後、1881年(明治14年)に文部省の音楽取調掛御になり、おそらくここに在任中に『Home, Sweet Home』を知るようになり、それを自ら訳詞したと思われる。そして、1889年(明治22年)12月22日発行の『中等唱歌集』に納められている。しかし、残念ながら里見はそれ以前の1886年(明治19年)8月12日に亡くなっている。

先にも書いたように『埴生の宿』は映画、ドラマなどで度々印象的な音楽として使われている。もっとも有名なのが1956年に市川崑が監督した映画『ビルマの竪琴』だろう。そして、最近では1988年にスタジオ・ジブリが製作したアニメ映画『火垂るの墓』(原作:野坂昭如)であろう。しかし、私にとっては昭和30年代に放送された少年向けテレビドラマ『ナショナル・キッド』の「謎の宇宙少年シリーズ」のなかで、宇宙少年が故郷の星を思うときに歌っているシーンが今でも瞼に残っている。

※「埴生の宿」とは「埴輪」という言葉からも連想できるように、土で造った粗末な家のことを言う。

火曜日, 10月 14, 2008

京都・幕末ゆかりの地を訪れる

先週の京都滞在での最大の目的は料亭めぐりでなく、神社仏閣めぐりでもなく、幕末ゆかりの石碑およびお墓めぐりであった。なかでも、今年の7月に建てられたばかりの「小松帯刀寓居参考地」が最大のお目あてであったので、まずはここからスタートした。

「小松帯刀寓居参考地」と書かれた石碑は堀川通から一条戻橋を東に渡って30メートルほど先の右手(南側)にある。正確には石碑の正面に「此向かい 近衛堀川屋敷跡 小松帯刀寓居参考地」と書かれ、右側面には「此付近応仁の乱洛中最初合戦地」、左側面には「藤原道綱母子 源頼光 一条邸跡」と書かれている。そして、石碑の横にある副碑には下記のような文が書かれている。

「なお当地の向かいは、五摂家筆頭の近衛家の堀川邸で、内部に「御花畑」があった。薩摩島津家の家老小松帯刀は「御花畑」のある近衛邸を寓居としたとされるため、当邸は有力候補地といえる。慶応2年(1866)1月、小松寓居には長州毛利家の桂小五郎(木戸孝允)が入り、その地で薩長同盟が締結された可能性がある。」

この後は、薩摩藩邸跡(同志社大学)、大久保利通旧邸跡、相国寺にある薩摩藩士の墓、長州藩士の墓、御所のすべての門などを歩いて廻り、最後に滞在したホテルである京都ホテル=長州藩邸跡と戻るコースを歩いた。

そして、その途中に京都滞在中だった皇太子を乗せた車が烏丸通を通るために、南北に一直線の烏丸通の信号がいっせいに青になるという珍しい光景に出くわした。今となってはあの光景を写真に撮っておけばと残念でならない。

日曜日, 10月 12, 2008

備中松山城を訪れる

私はお城マニアではないが、名城と呼ばれるお城へはなるべく足を運ぶようにしている。日本には国宝となっているお城が4つあるが、犬山城以外の姫路城、松本城、彦根城には行ったことがある。この4カ所の他に江戸時代以前に建造された天守閣を有するお城が8カ所あり、それらはいずれも重要文化財に指定されている。これらを現存12天守(もしくは十二現存天守)、国宝四城、重文八城(もしくは重文八天守)と呼ぶそうである。

今回、私が訪ねた備中松山城(岡山県高梁市)は現存天守のなかで唯一の山城であり、もっとも標高の高い所(標高430m)にあるお城である。場所はJR西日本伯備線・備中高梁駅からタクシーで8合目のふいご峠駐車場まで約10分。そこから少しきつい上り坂や階段を登ること約15〜20分でお城に辿り着く。

このお城、築城が1240年というから、768年にもおよぶ長い歴史をもっている。もともとはお城というよりは砦であったのだが、写真のような天守閣ができたのは江戸時代に入ってからで、1683年に当時の藩主であった水谷勝宗によって造られた。しかし、いくらお城といえども、山の上では藩の執務に不便をきたすために、麓に御根小屋という御殿を造り(現在の高梁高校がある所)、そこで藩主は寝起きをする共に政務を行った。

私がここを訪れた理由は江戸幕府最後の老中と言われた板倉勝静と、彼を支えた山田方谷の郷土を見たかったためである。生憎の雨になってしまったが、昔ながらの城郭や町中に残る武家屋敷を見ていると、つくづくこの地が戊辰戦争の戦いの場にならなくて良かったと思わざるをえなかった。

備中松山城(高梁市観光協会)
http://www.takahasikanko.or.jp/matsuyamajo-kaisetu.htm

参考までに重文八天守とは、弘前城、丸岡城(福井県坂井市)、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の8カ所。

土曜日, 10月 11, 2008

先斗町で生まれ育った京懐石のお店『ふじ田』

『ふじ田』は三条大橋の近く先斗町歌舞練場前にあり、わかり易いロケーションである。外観はいかにも料亭風の作りで、ちょっと敷居が高そうな感じがする。店内は1階が掘り炬燵式カウンターで12席、2階が和室の個室(席料なし)が3部屋、3階が25人まで入れる宴席用が1部屋となっている。

しかし、ここのお店は板前さんたちの話が楽しい。料理長の田中さん、板前の川村さんは聞き上手にして話し上手。そういう意味では、1階のカウンター席がお勧めと言えよう。もちろん、2階の個室でしっぽりまたはまったりと京料理を味わうのもいい。個室にもかかわらず席料のチャージはないという。

料理はシーズン到来ということもあって松茸のどびん蒸し、子持ち鮎の塩焼、このお店の名物ともいうべき鴨の石焼などが出てきた。どの料理も手がこんでいる上に、旬の素材でうまく彩っている。こうした料理がうまかったせいか、それとも料理長たちのお酒の進め方がうまかったせいか、それともお酒がうまかったせいか、写真にある「京の銀明水仕込み『古都』」を4〜5杯飲んでしまった。

夜はやはり少しお高くなるが、昼の会席料理はかなりリーズナブルではないだろうか。女性一人でも気軽に入れそうなお店である。

『ふじ田』
京都市中京区先斗町三条下ル歌舞練場前
電話:075-255-0500 (要予約)
昼 11:30〜14:00
夜 17:00〜22:30(ラストオーダー21:00)
定休 毎月曜日
http://www.pontocho-fujita.jp/

金曜日, 10月 10, 2008

京都・美食日記(新町仏光寺 木乃婦)

京都でいま評判の高い京料理のお店と言われている『木乃婦』(きのぶ)へ行ってきた。夜はちょっとお高いので、昼のミニ会席を味わせてもらった。

『木乃婦』は初代高橋元信氏によって昭和10年に創業。京都には江戸時代から続くお店がいくつかあるので、老舗中の老舗というほどの京料理のお店ではない。以前は宴席や仕出し弁当のお店として評判だったが、三代目高橋拓児さんが若主人になってから、新たな創作料理も手がけるようになり、新感覚な京料理を作りだし注目を集めるようになったようだ。彼はソムリエの資格をもっていることから、ワインと相性のいい「ワイン献立」というコースも設けている。

この『木乃婦』はカウンター席はなく、全室お座敷のために1人客はお断りである。というわけで、奈良に住んでいる女友達(小学校の同級生)を急遽呼び出して伺うことにする。そして、彼女と午前11時に京都駅で待ち合わせをしたあと、タクシーで『木乃婦』へ向かった。

ところが、タクシーのおじいさん運転手は「『木乃婦』ですかぁ、あまり評判よろしいおまへんねぇ。私は『菊乃井』の方がいいと思いますが・・・」といきなり先制攻撃を食らってしまった。そりゃ、そうだろう。『菊乃井』は東山にあり、京都駅近くの『木乃婦』よりは距離が稼げるからねぇ、と半分言いかけそうになった。w そして、お店に着くと今度は店先が全面改装中で「こりゃ、大変だわなぁ」と運転手の口は止まらない。困ったものである。せっかく美味しい料理を食べに行こうと思っているのに。ブツブツブツ。ちなみに、このタクシーは山科にある●●タクシーであった。

お店へ入ると京都ならではの水を打った小道を少し歩いて玄関になり、そこは外の喧噪がまるで嘘のように静かさである。案内された2階の部屋は15〜6畳はあろうかという広さ。そこに写真のような席が二つ。電話では「大部屋でご相席になりますが」と言っていたが、こういうのは東京では相席とは言わない。窓からは隣のお寺(仏光寺?)も見ることができる。もし、1階の部屋だと店の箱庭を眺めながら食事をいただけるようである。

さて、料理であるが写真にあるように先付を皮切りに、お造り、お椀、揚物、煮ものなどが次々に出されてくる。女友達は「これでミニ会席、ちゃうんじゃないの」と驚いていた。そして、味はどれもこれも手の込んだ雅な味がして「大変おいしゅうございました」としか言いようがない。最後にデザートのアラカルトが出てきたときには、これは女心を得ているお店だなぁと感心しながらも、私も食べてしまった。(笑)

下記のHPには「最高の京料理と心尽くしのおもてなし」というキャッチフレーズが書かれているが、その言葉に偽りはない。今度はぜひとも夜の「ワイン献立」という料理をいただいてみたいものである。どなたか、連れて行ってください。w

写真上:私たちの席から撮ったもうひとつの席
  中:ミニ会席の先付
  下:デザート
(上段左からココナッツアイス・ゼリー・バニラアイス)
(下段左からみたらし団子・ムース・くず餅)

「木乃婦」(きのぶ)
京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町416
電話075-352-0001(要予約)
昼はミニ会席(平日のみ) 5250円・6300円・7350円
夜は会席料理 8400円〜21000円
ワイン献立  15750円〜21000円
http://www.kinobu.co.jp/

木曜日, 10月 09, 2008

先斗町の隠れた名店『炭火割烹いふき』

京都へ行ってきた。ということで、飲兵衛としては先斗町へ足を運ばざるをえない。ただし、今回は居酒屋やバーといったお店でなく、ちょっとリッチに京料理を味わうことができるお店へ伺った。

『炭火割烹いふき』は先斗町21番路地の一番奥、つき当たり右側にあり、本当に隠れているようなお店である。店内はカウンターが8席、テーブルがひとつ、それ以外に8人まで入れる個室がひとつある。こうした隠れたお店ではお酒と料理と雰囲気を楽しみたいので、料理の写真を撮るのは野暮というもので、料理や店内の画像を見たい人は下記のお店のHPか他のブログをご参照いただきたい。ちなみに店内は個室以外は禁煙。

「炭火割烹」と名がついているので、炭火料理ばかりかと思われるかもしれないが、おまかせコースではお造り、煮付け、鯖寿司なども出される。今回、私が食べたお造りのなかでは、ごま塩で食べる五島列島産のイカが逸品であった。他には定番ではあるが鱧のお吸い物など京料理らしい上品な味わいで絶妙な舌鼓であった。

お酒は『奥琵琶湖』という少し昔風のしっかりとした味と香りのする日本酒を飲んだ。このとき、女将さんにかなり高価な陶器のオチョコを出していただき、初参者である私にまで気配りある心遣いをしてもらい嬉しかった。そのためかどうか知らないが、お酒はぐいぐいと進んでしまった。(笑)

このお酒同様に楽しかったのが、目の前で料理を造る板さんたちの立ち振る舞いである。カウンター前にある厨房はきれいに機能的に整備されている。そのなかで、店主の山本典央さんは主にお造りやお椀ものなどを手がける。また、中央の炭火の前では山本さんと同郷(舞鶴出身)の焼き方のお兄さんが、機敏な動きと個性的な笑顔で、銀杏を炙ったり魚や牛肉などを焼く。こうしたキビキビした姿が見ていて楽しい。そして、その彼が焼いたキンキは火のとおり方、焦げ方などパーフェクトで筆舌に尽くしがたい味であった。ブラボー!である。

私は常日頃、料理は舌で味わうだけでなく、目で味わうものであり、話で味わうものだと思っている。独りで寡黙に酒をチビチビ飲みながら、料理を味わうのもいいかもしれないが、私のような饒舌な男には無理である。こうした男は京都には似つかわしくないかもしれないが、それを受け入れてくれるお店は嬉しい。『炭火割烹いふき』は私のような飲兵衛には嬉しい隠れた名店である。

炭火割烹いふき
先斗町21番路地奥 電話番号075-211-3263(要予約)
午後5時〜午後10時(ラストオーダー)不定休
http://ifuki.jp/

金曜日, 10月 03, 2008

TINNA(ティナ)というグループを憶えていますか

まずは下記のYou Tubeの曲を聴いてみてください。

シャイニング☆スカイ
http://jp.youtube.com/watch?v=KcbT9K2RBws

TINNAは1979年に、ソロのシンガー・ソング・ライターとしても活躍していた惣領智子と、アメリカ在住の日系3世の高橋真理子の2人で結成された女性デュオ。そして、このグループのアレンジャー兼プロデューサーは惣領智子の旦那さんであった惣領泰則。

惣領泰則は70年代にロサンゼルスでフランク・シナトラのアレンジャーだったドン・コスタに音楽を学び、当時国立音楽大学に在学中だった惣領智子をリード・ボーカルに抜擢してブラウン・ライスというバンドを結成。全米各地を4年に渡って廻って活躍した。

こうしたことから、TINNAはそれまでの日本にはない、思いっきりアメリカン・テイストの洗練された女性デュオで、70年代半ばにカリフォルニアに住んでいた私には親しみがあると共に、かなり鮮烈なインパクトを与えたグループであった。

TINNAはおそらく『LONG DISTANCE』『童夢』『MONDAY MORNING RAIN』『1999/TINNA』という4枚のアルバムをリリースしているが、押し入れのなかを調べたら、『童夢』以外の3枚と惣領智子のソロ・アルバム『IT'S ABOUT TIME』が出てきた。しかしながら、現在の私はレコード・プレイヤーをもっていないので、残念なことに彼女たちの歌声を聴くことができない。おそらく80年代のグループなのでCD化もされていないだろう。いずれCD化もできるレコード・プレイヤーを買うしかない。

Googleで調べたら、惣領智子さんは沖縄・那覇市でライブも行える飲食店『母家』を経営していたが今年5月末に閉じ、来年、別の場所に違うお店をオープンさせるようです。次に沖縄へ行くときは、4枚のレコードを持ってサインをもらいに行こうかなとミーハーな気分でいる。。

惣領智子の母家
http://omoya.ti-da.net/

木曜日, 10月 02, 2008

引退セレモニーあとの清原の思いやり

昨晩はたまたま家にいたので、何気なしにオリックス・バッファローズの清原和博の引退セレモニーをCS放送で見てしまった。長渕剛が登場したこともあって、おそらくプロ野球史上もっともド派手なセレモニーだったに違いない。

引退セレモニーは清原の涙、涙、涙で、それはそれで良かったのだが、今朝、スポーツ新聞(日刊スポーツ)を読んで、清原の人柄の良さに感心させられた。

清原は現役最後の打席で三振。全球まっすぐで勝負してくれたソフトバンク・ホークスの杉内俊哉投手に一礼した。そして、球審から最後となった記念のボールを少し苦笑いしながら受け取った。しかし、清原は球場を離れる直前に関係者を通じて、ボールを杉内投手に戻した。そこには『杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博』と書き込まれていた。

また、「勝利投手になってウィ二ング・ボールを清原さんに渡すんだ」と公言していた近藤一樹投手は、その通り完投勝利して、記念のウィ二ング・ボールを清原に渡したが、清原は『10勝おめでとう』と書いて近藤投手に戻した。

バッターにとってボールはたとえ記念のホームランボールでも、それよりはそれを打ったバットの方が記念の品なのかもしれない。ウィ二ング・ボールなどの記念のボールはやはり投手のものなのかもしれない。

派手なセレモニーに隠れているが、清原の思いやりをみるエピソードである。