火曜日, 7月 27, 2010

その昔、並木橋という駅があった

亡父は戦前に渋谷から府立高校(都立大学)に通っていたので「お前、並木橋って駅があったのを知っているか」とよく聞かされた。並木橋駅は渋谷駅より約500mほど南、明治通りと八幡通りが交差する並木橋交差点近くにあった。

東急東横線は1927年(昭和2年)に渋谷駅ー丸子多摩川駅(現・多摩川駅)が開通したが、このときに並木橋駅は同時に開設された。駅周辺には青山学院、国学院、実践女子、女学館、後に移転した東京農業大学や常磐松高等女学校(現・トキワ松学園)などの学校があったためである。しかしながら、1945年(昭和20年)5月の空襲で駅が破損してしまい、結局はそのまま廃止されてしまった。

今日、並木橋駅の面影はほとんど残っていない。20年近く前までは煉瓦で築かれたプラットフォームの桁跡を見ることができたが、今はそこもコンクリートで覆われてしまい、一見しただけではそこが駅跡とは解らない。そして、東横線も2012年度内には渋谷ー代官山間は地下化されて地下鉄副都心線と相互乗り入れをするので、おそらくこの駅跡も跡形もなくなるのであろう。

もし、今でも並木橋という駅があったら、並木橋交差点周辺は女子高生や女子大生たちでもう少し華やいだ場所になっていたに違いない。そして、センター街に一極集中している渋谷の若者地図も変わっていただろう。

下記のgoo古地図「昭和22年」の航空写真から駅跡が垣間見れる。
http://map.goo.ne.jp/history/map.php?st=100&kr=23

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