子供の頃は手塚治虫が描くような世界やアポロ11号の月面着陸などで、10年後の世界はどうなるだろうかと胸躍らせ、未来に浪漫を求めていた。しかしながら、それが歳をとると共に現実的になり、50歳を過ぎた頃からは過去に浪漫を感じるようになってしまった。
もともと歴史少年ということもあるが、昨今は時代小説や歴史本を読むことが多い。音楽にしても現代音楽ではなくクラシック音楽ばかりを聴くようになっている。つまり、過去のものに浪漫を抱くようになったのであろう。しかしながら、その過去のものなかにある普遍性は現代と何の代わりがない。結局のところ、過去のものを借りて現代を追究しているのかもしれない。
以前は新しい物事を作ることへの挑戦とか、創作活動に対するこだわりが自分の仕事であり浪漫だと考えていた。しかし、今は過去のものをいかに新しいものへと転化させていくかが浪漫ではないだろうかと考えるようになっている。
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