日曜日, 7月 31, 2011

子供の頃は新聞記者になりたかった・・・

子供の頃、自分は大きくなったら新聞記者になるんだ、と思っていた。小学校の卒業文集にもそのようなことを書いた記憶がある。しかし、中学でバスケットボールに熱中し、高校ではバスケット部と新聞部に入り、その夢をキッパリと捨てた。

というのも、日本の新聞は客観中立公正報道主義という新聞綱領を掲げながらも結局は商業新聞でしかない、ということを悟ってしまったからだ。そのために、その後は新聞記者ではなく漠然とマスコミで働きたいということを考えるようになり、その夢というか目標は編集者になることである程度達成することができた。

それにしても、今回の大震災および原発事故で、新聞がこんなに腐っていて、頭デッカチの非力なものなのかということを思い知らされた。強がりで言うのでも、負け惜しみでも言うのでもない。つくづく新聞記者にならなくて良かったと思う。もし、新聞記者になっていたら、今ごろはデスククラスにでもなって、年収1,000万円以上になっていたかもしれない。しかし、その考え方は本来の自分の考えとはほど遠い保身保守になっていただろう。

どんな仕事も続けるということは大変であり、「継続は力なり」という言葉があるように継続は力を発揮する源である。と同時に、継続は自分の身を守ることにもなっている。今の新聞記者たちは初心を忘れて、保身を継続しているようでならない。新聞は客観中立公正による報道も大事かもしれないが、在野精神に富み、加えて建設的な意見を伝えるのも仕事のはずである。今の新聞には在野精神もなければ、建設的な意見もほとんどない。

新聞記者にならなくて良かった。

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