木曜日, 4月 18, 2019

ノートルダム寺院火災で連想

ノートルダム寺院が火災に遭い、尖塔が崩落するシーンを見ると、いやがおうでも2001年の9.11世界貿易センタービル崩壊を思い出してしまう。と同時に江戸好きの私としては、江戸城天守閣が1657年の「明暦の大火」によって消失した時の江戸の住民たちの思いはどんなものだったかも気になった。ただ、この時代の江戸の人口は30万人弱だったので「ああ、お城が燃える」と言った感慨も持った人は少なかったかもしれない。

1657年は4代将軍徳川家綱の時代だった。将軍はまだ10代と若く、実権は3代将軍家光の異母弟にあたる保科正之が握っていた。その保科は「天守はもはや無用の長物」という方針を打ち出し、それ以降江戸城に天守閣が作られることはなかった。

それから360年、多くの方はご存知だと思うが江戸城天守閣を再建する計画が推し進められている。しかしながら、この運動はいろんな方面から反対や圧力がかかっている。観光立国を目指す日本にとって江戸城天守閣再建は格好の目玉なはずなのだが、どうやらその裏には政治が絡んでいるような気がしてならない。

現在の安倍自民党政権はご存知のように完全に西日本主体の藩閥政治である。そんな藩閥政治が徳川の象徴である江戸城天守閣再建を喜ぶわけがない。また、現東京都知事・小池百合子にしても兵庫県生まれであるから、姫路城より観光客が来そうな天守閣の建設に面白い顔をするはずがない。

最初の計画では2020年の東京オリンピックに合わせて計画されていたが、今はその2020年竣工を目指している。いずれにしろ、暗黙の圧力に屈することなく、早く天守閣建設に取りかかってもらいたい。と同時にノートルダム寺院の早期の復興を願ってならない。熊本城天守閣は外観復旧がこの秋にも終了する。

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