火曜日, 4月 30, 2019

元号が変われど時代は変わらない

昭和が終わるとき(1989年1月7日)、日本はバブル真っ只中だったが、テレビやラジオは放送を自粛して追悼の音楽などを流し、またCMは2日間流されず哀悼の意を示していた。ところがである。平成の終わりは安倍フシダラ政権は改元を政治利用、マスコミは「平成最後の〜」とお祭り騒ぎである。昔なら不謹慎で不敬罪になっただろう。

それにしても、なんで元号が変わるからといって「時代が変わる」などと安易なことを言うのかが分からない。

そもそも時代名は明治まで飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と権力者が所在する地名で『区分』されてきた。それがなぜか、明治以降は地名ではなく元号で区分するようになった。なぜだろう。あくまでも推測だが、おそらく天皇制を維持するための藩閥政治が歴史学者たちにゴリ押ししたからではないだろう。

もし、こうしたゴリ押しがなければ、明治も大正(15年しかない)も昭和も平成もみんな「東京時代」と区分されるはずである。これが権力者の所在で区分するならば明治・大正・昭和20年までは枢密院があった「皇居時代」もしくは「大日本帝國時代」または「帝都時代」であり、昭和20年以降は「永田町時代」もしくは「日米安保時代」と呼ぶべきである。つまり、いくら元号を安倍がゴリ押しで名付けた「令和」になろうが、時代はまったく変わらないのである。

それを時代が変わるなどと騒ぐマスコミは大馬鹿ものである。ちゃんと歴史を勉強をしろよ、と言いたい。そして、歴史学者たちも時代区分の見直しをするべきである。そうでないと、日本人の時代感覚は永遠に島国根性もしくはガラパゴスだ。

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