金曜日, 11月 27, 2020

あれは夢か幻だったのかを思い出せてくれたN響@サントリーホール公演

先日(25日)サントリーホールで聞いたNHK交響楽団(指揮:原田慶太楼)のプログラムは、アメリカ、アルゼンチン、メキシコの作曲家たちによる南北アメリカ大陸を彷徨するプログラムだったが、そのなかで最後に演奏されたメキシコのマルケスによる「ダンソン 第2番」を聞いていたら、45年前のカリフォルニアのド田舎の光景が鮮明に蘇ってきてしまった。

1975年のある日の午後、ルームメイトだったメキシコ人のセルヒオが「カツヒコ、今日はメキシコへ行こう。ただし、30分ぐらいで行けるメキシコだけど」と意味深なことを言ってきた。少し訝しがったが、私が運転する車でサンフランシスコとサクラメントの中間にある私たちが住む片田舎の町から、セルヒオがもつ地図を頼りに小麦畑やぶどう畑のなかにある道をくねくねと走った。

そして、それこそ30分ぐらい走ってから畑のなかにポツンとある19世紀にに作られた家ばかりの町が現れた。町の中心であろう場所にはスピーカーが立っていて、そこからはマリアッチが流れていた。人影はほとんどなかったが、もうメキシコに来たというより西部劇の撮影場所に来たような錯覚に陥った。

車を町外れにおいて、我々はこの町唯一の食堂兼酒場へ訪れた。客は何人かいたが、もちろん全員がメキシコ人でスペイン語の会話がなされたいた。私は「セルベサ(ビールのこと)」と頼むと、しっかり歳を聞かれたので「ヴィエンテウノ(21歳)」と答え免許証を提示した。それからは、セルヒオの助けを借りながら私のつたないスペイン語と英語のチャンポンで主人やお客と話をした。

それによると、ここはゴールドラッシュの頃(19世紀半ば)に出来た町のようで、現在は100人ぐらいの住民がいるが全員がメキシコ人で、そのほとんどは季節(移動?)労働者だと。つまり、彼らのほとんどはここを拠点に何処かで麦、ぶどう、イモなどの収穫があるとそこへ短期的にヘルパーとして住み込みをしては、仕事が終わるとここに戻ってくるそうだ。我々が訪れた時はその端境期だったらしく「あと1〜2時間すれば、ここも満員になるよ」と。

そして、日が少し傾きはじめてからポツポツと人が集まり始め、そのなかにはどう見ても遊女らしき女も混じっていた。そして、みんなはビール(主にドスエキス)やテキーラを飲み始めて、誰かがギターを片手に歌い始め狂騒の世界に変わり始めていった。

あれは夢か幻だったのだろうか・・・。そんなことを思い出しながらN響が奏でるマルケスの音楽を聞いていた。

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